当たり前が歪むとき
このところ、回転寿司店における迷惑動画が世間を賑わせておりますが、どうしてあのような行為を配信してしまうのか、というところを私、近頃いろいろと考えておるわけでありますが、例えば、『ジョジョの奇妙な冒険』第三部において、ディオというラスボスが渋滞する車道の代わりに「歩道は空いてるじゃないか」とかなんとか言って運転手に歩道を突っ切らせる場面があるんですが、あれを真似して「歩道を車で突っ切ってみた!」なんていう動画を配信する輩はいないわけではありませんか。では、「歩道を車で突っ切る」と「回るお寿司に唾をつけた指で触る」の間のどこかに境界線があるに違いない。
歩道を車で突っ切れば、死人が出かねない。危ない。ということは想像に難くないが、回るお寿司に唾をつけることによって死人が出るということは考えにくいから危なくない、ということなんだろうとは思いますが、しかし、お店の評判が下がり客が来なくなり閉店に追い込まれた結果、失業した元従業員が・・ということはあり得るわけです。しかし、その惨劇は想像の範疇の外にあるということなのでしょう。
小さな、あるいは閉ざされた世界で生きているということもあるかもしれません。仲間うちの5、6人で悪ふざけして楽しんでいたものが拡散されてしまったということはあると思う。カラオケボックスで火炎放射してる動画もアップされていましたが、カラオケボックスなんてものはまさに密室であり、ラブホテルに入る金のない男女がはっけよいをすることもあるらしいではありませんか。ネット配信はしないまでも、そういう動画を撮影する人たちもいるらしいではありませんか。閉ざされた世界では悪ふざけが起こりがちであり、例えば、誰も知らない人がいない車道と歩道ならば、ディオの真似事だってやっちゃう輩はいると思う。
「当たり前」が歪んできちゃった結果でしょう。狭い世界で過ごしているうちにその世界の常識に染まってしまい、それが外の世界との常識と乖離してしまったばかりに「このオレたちの世界観、面白いからオレたちだけで共有してるのもったいないから動画配信しちゃおうぜ!」ということが起こったとしても不思議ではありません。
密室では当たり前が歪んでしまいます。それは相撲部屋のしごきや部活動の体罰などにも通じることでしょう。ブラック企業の労働力の搾取も同じ理屈です。配信しちゃったか隠し通しているかの違いでしかなく、根本のところはみんな同じです。回転寿司のあの迷惑動画を言語道断などと切り捨てている人のなかにも、似たようなことを「当たり前」のこととして続けている人はけっこういるんじゃないかしら。人のフリ見て我がフリ直せといいます。今一度、自分の生きる姿勢を考えてみたい。さすがに自分にはあんな非常識なところはない、という人ほど気をつけなければいけません。それはここ数日の岸田文雄さんの言葉を見てみてもよくわかることです。
以下、二つの記事を引用します。
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荒井氏の発言は「岸田政権は、持続可能で多様性を認め合う社会を目指すと申し上げてきた。(発言は)政権の方針とは全く相いれない。言語道断だと思っている。厳しく対応せざるを得ない」と述べた上で「(更迭かの問いに)そう受け止めている。至急、具体的な対応を考える。進退をも考えざるを得ない発言だ」と述べ、速やかに更迭する方針を示した。
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2月1日、岸田文雄首相は衆院予算委員会で、同性婚の法制化に関して「極めて慎重に検討すべき課題だ」と述べ、否定的な考えをあらためて示した。同性婚や夫婦別姓について「制度を改正すると、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と強調した。
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いかがでしょうか。同じ人の発言なんです。バグってるとしか思えません。岸田さんに限ったことではなく、人というのは、こういうことを無自覚にやってしまうものなんだと思うんです。迷惑動画がいっこうに無くならないのも、「あれは迷惑だけどオレのは違う」のかもしれないし、いや、ほんと、まじで人って自分のことはちゃんと見えないものなんだってば。気をつけないといけませんね。
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