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二人の帰り道

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、せっかく狭き門をくぐり抜け、入団した合唱団の活動がストップしてしまったのが再開したものの、ストップ下の自主練習をさぼりがちだったためか、再開後も長男の、合唱練習への足取りは重い。

夏休みになれば、母ちゃんも父ちゃんも仕事の都合で送り迎えできないかもしれないし、行き帰りが一人になることもあるからね、と言ってある。それも足取りを重くさせている理由なのかもしれない。

今日は、行きは母ちゃんと一緒に行ったが、終始不機嫌で、お腹痛いとか何がどうだとか、しかめっ面でぶーぶー文句を垂れながら歩いていたという。父ちゃんとのペアならば、そういうことは全く言わない。母ちゃん相手だと、精神的に凭れかかってしまうものらしい。

帰りも一人で帰ってくるように言付けてあるというし、おそらくそれで問題はないであろうが、なんというか、心全体が日焼けして真っ赤になったような、少し触れればヒリヒリするような長男のそれは、お年頃のせいなのか、父ちゃんの血を受け継いでいるからなのか、当の本人でなければ蚊に刺された程度のことだって実際はめちゃくちゃ痒くて仕方なかったり、実はマラリア級の危険な虫に噛まれていたりするものだ。雨が降りそうな気配もある。気になり出すと止まらないのは、片想いの女の子も我が子もどうやら同じらしい。実際近頃はサザンの歌を聴きながら、我が子のことを思い出したりすることがある。

18時30分に合唱は終わるが、長男は誰も迎えに来ないと思っているから、少しでも遅れたら父ちゃんに気付かずに帰ってしまうかもしれない。合唱をやっている音楽学校のすぐ近くにあるバス停に5分前には待機した。たかが片道20分ほどのこと。相手は小学5年生。何を心配することがあろうとも思うが、それは例えば三十路や四十路の恋だって、同じことではないかと思う。

待ちながら、どんな風に来てほしいか考えてみる。当たり前のように合流するのか、遠目で父ちゃんを確認して目いっぱい手を振ってくれるのか、いや、ひょっとしたらお友達と一緒に帰る約束をしているから待っていること自体を迷惑がられたりするだろうか。どういうシミュレーションをしても笑みがこぼれるのは、こちら側に余裕があるからなのだろう。そこが恋とは違うところ。余裕があった試しがない。

それで実際どんな風にやって来たのかといえば、こちらを確認した瞬間、徒歩からダッシュに切り替えて颯爽なこと風の如し、運動神経はいいほうではないから、ホントはもっとドタドタしていたけれど、こちらの気持ちとしては風であった。タタタタタタタタ逞しくなったけど、やっぱりまだまだ子供なんだね。いないはずの人がそこにいるから、嬉しそうに走ってきたね。

「なぜ父」と不服そうではあったが、その不服を不服のまま笑いながら語れる父でよかったのではないかと思う。いまのところ、よかったのではないかと思う。行くまでは不安や心配が先に出てくるようだが、行ってしまえばいつも楽しく、何より体全体を使い、遠く目掛けて声を発するわけだから、日頃の鬱屈としたものも合わせて出してしまうのだろう。楽しくないはずがない。コロナ禍とは、つくづく本来楽しいはずのものほど抑圧されている。先週はあったフェスが今週は中止になった。思いのある人の落胆はいかばかりだろう。想像などできようはずがない。それでも知った風な口をきくほどに想像力が無いことは無い。

帰り道、長男と二人の時間は楽しく、死ぬ間際に思い出すのはこういう時間のことなのだろうな、と理由もなくいつも思う。理由がないのにいつも思うんだから、きっとそうなるのだと思う。

「行ったら楽しいんやな」
「めっちゃ楽しかったわ」
「なんで行く前は不機嫌になったりするんやろうね」
「わからん」
「お父ちゃんも別に仕事嫌いじゃないけど、例えば今急に来いて言われたらめっちゃ嫌やしなー。あんたも行く直前までダラダラしてるからあかんのやと思うで。せめて合唱のある日くらいは朝起きた時から心の準備をして、気持ちを整えておけばいいんやと思うで」

こういう話は長男にとって別段新しい発見のあるものではなく、そんなことわかっとるけど、それができんから困っとるんじゃい、という類の話なんだろうと思うが、それでも同じ道を潜り抜けてきた経験者然として語りたくなってしまう。思えば今は亡き父もそうであったな。この子もあと三十年もすれば、そんな父親になっていたりするのだろうか。

しかし、バス停で待機しているところに、あんなに嬉しそうにダッシュしてきたあなたのことを、自分が支えてやりたいって自意識過剰になってしまうのは仕方のないことではないか。無邪気なあなたは、相手にそうさせてしまう可愛さがあることをまったく計算していない。思えば毎週のルーティンである2時間の合唱を終えただけであるのに、どういうわけか、この子のために帰りにマンゴークリーム入りのたい焼きを食べさせてやり、唐揚げと鉄火巻きも買ってしまった。

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