エッセイ『大雨deピザ』
令和4年9月19日
Twitterを見ていたら台風のさなかにピザを宅配している人の動画が投稿されていました。台風で外に出られないから宅配を頼むという理屈はわかりますが、そこには著しく思いやりが欠けています。「こっちは金を払っとるねん」という理屈もあるにはあると思いますが、そのお金は決して台風のさなかに生死を懸けてピザを運ぶ代金ではないはずです。これは賛否が割れるところだと思いますが、私は台風とまでいかずとも、大雨のさなかに宅配をしてもらうこともあまり好きではありません。しかし、大雨に関しては、実際、知り合いのなかでも「別にええやん」「お金払ってるんやで」「それがあの人たちの仕事やん」という主張が存在します。どこまでが「あり」でどこまでが「なし」かは人によって違うから面白いし、命に関わるものでなければ、そのいずれもが許容されることこそが多様性社会の肝であるはずですが、それってなかなか難しい。しょーじきなところ、自分と異なる意見を主張して決して譲らない人のことは気分が悪い。だいたい気の弱い私のほうが「まぁ、確かにそうですよね〜」と愛想笑いしながら折れるわけです。この場合、多様性社会を体現しているのは私だけであると思うのですが、いっぽうで、そういうときに折れないことこそが多様性やろがいという人だっている。中国のジェノサイドやロシアのウクライナ侵攻さえ、多様性で片づけられてしまいそうになる。しかし、力の強い者の主張が罷り通る社会が多様性社会であるはずがない。権力者はどんな言葉も都合のいい解釈をするから気をつけないといけません。
ずいぶん大きい話になってしまいました。中国だロシアだとかが出てくると持て余してしまいます。先日、昆虫に詳しい歌舞伎俳優さんが銀座のママのブラジャーを剥ぎ取ったり髪の毛を掴んだりしている写真が明らかになり、その人はあらゆるテレビCMやドラマなどから消えてしまいました。あの歌舞伎俳優さんを擁護する声のなかにも「銀座はそういう遊びをするところやろがえ」「そのために金払っとるんやろ」という意見がありましたが、大雨のさなかにピザを注文して「宅配はそういう注文をするところやろがえ」「そのために金払っとるんやろ」という意見にすごく似てるなーと思いました。