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アホになる

#散歩日記

 趣味がオープンしたお店の1人目の客になることで、その趣味についてまとめた本も出版しているのですが、そんな私ですから町を散歩しながらどこかに新店がオープンしないか、というのを日々探しております。

 探すときのコツは探さないこと。
 何を言っているんだこいつはバカじゃないのかと思われるかもしれませんが、「探す」というのはどこか一つに焦点を絞ってしまうということであり、そうすると視野が狭まり、かえって見つかるものも見つからなくなるのです。だから探すときのコツは探さないことなんです。

 探すのをやめた時見つかることもよくある話でと井上陽水が歌っていますが、あれは真理で、探すのをやめた途端に視野が開けてそれまで見えなかったものが見えるようになるのです。だから私は散歩をするとき、新店情報もそうなんですが、なるべく何かを探そうとしないようにして歩いています。

 つまり、それは「アホになる」ということです。推理小説なんかでは一見アホに見える人間が実は洞察力が深かったりしますが、あれも真理なのです。

 実際、「俺はこんなところにまで気づける頭のいい人間なんだよ」とアピールしながら自らの視点の鋭さに酔っている人の視点にはさほど目新しいものがなく、「え?まだそんなところにいるんですか?」となる場合が多い。あれは変に頭が回ってしまっているから真理を突いていないんです。もっとアホにならないと真理にはたどり着くことはできません。

 ただ、これが非常に難しいところなのですが、アホになることを意識してしまっているうちはアホにはなれないんです。私なんかはもうずっとそれを意識し続けている人生ですから、もうどない頑張ってもアホにはなれないんです。皮肉でも嫌味でもなんでもなく、アホというのは素晴らしい境地なのであり、悟りというのはひょっとするとアホのことなのではないかとも思います。

 それでもアホにならなければ探し物は見つからないので私はなんとかアホになろうとしながら(結局なれないんですけど)散歩をしています。

 先日は京都駅から自宅のある二条駅近辺まで歩いておりましたら途中、「住吉神社」を見つけました。大阪にある「住吉大社」は有名ですが、京都にも住吉を冠した神社があるのを私は知りませんでした。少なからずアホになれたから見つけられたのかもしれない。

 千余年の歴史を有する由緒ある社だそうです。建立されたのは平安時代の初期。のち、一一三八年に再興、一五九一年に再再興され、現在の社殿は一八二五年に修復されたものだということです。こういう情報が書かれてある立札のこと、何ていうんでしたっけ。
 立札は祭神の名前が書いてある箇所が焦げていてちゃんと見えません。中筒男命と底筒男命の名は確認できました。先頭に書かれた祭神のみ確認できず。ただ、この三祭神は災難を除き病魔を守り、夫婦円満敬愛の神徳が厚く、旅行渡海の諸難を救うとされているらしい。

 あ、思い出した。駒札!駒札っていいますよね、確か。駒札がかなりくたびれていて肝心なところが見えないから星の王子さまかと思いました。駒札も再興してほしい。

年季の入った駒札



 京都に住んではや二十余年。それでも未だこうして未知の神社と遭遇することがあるのがうれしい。正直なところ、こんなところに何かあるなどと思っていなかったがゆえ、何に注意を払うことなく漫然と歩いておりましたのですが、それがために私はあのとき、「アホ」になれていたのでしょう。つじあやのが風になるなら俺はアホになる。

 新店は見つかりませんでした。

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私の著書『1人目の客』や1人目の客Tシャツ、京都情報発信ZINE「京都のき」はウェブショップ「暇書房」にてお買い求めいただけます。

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