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現実を調節

 知人でアイスクリーム屋さんをされている方が先日までコロナ罹患につき休業されており、久々に開店したときのこと。これを私はその人のFacebookの投稿で知ったのですが、その日、通常営業していると年配の女性がアイスクリームを買いにこられた。その人は「BBA」と書いていただけなので実際には年配の女性かどうかはわからないのですが、私はそう受け止めてその投稿を読みました。普段は「BBA」なんていう書き方をされない方ですから、その「BBA」にはかなりお怒りなんだろうと思い、投稿を読みすすめますと、あれ、なんて書いてあったんだったかな、と確認しにいってみたところ、投稿をすでに削除しておられたので、やはりいくら怒っていたとはいえ、感情的になり「BBA」なんて言葉を書いて投稿したことを後悔されたのかもしれません。

 なので、記憶をたどりながら書いてみると、その年配の女性は店主たる知人の店でアイスクリームを購入すべくレジへ持っていき、知人に話しかけました。
「最近休んではったよね」
「はい、実はコロナにかかってまして」
 そう答えた途端、女性はアイスクリームをもとに戻して「わ、わ、わ、私やっぱり結構です」というようなことを言い残して立ち去られたとか、そんな話だったと思います。

 私はそれを読んで「BBA」の方に腹が立ったというよりも、正しい情報を手に入れることができないBBAの方の環境に腹が立ちました。コロナ初期の情報からいっさいアップデートされていないのは情報を得ようとしないからなのか、情報が入ってこないのか。

 つくづく私たちは同じ世界を生きているようでいて、異なる世界を生きているのだということを知る。いや、同じ世界を生きているかもしれないけど、それぞれの人が見ている「現実」はまったく違うものなのです。

 私はその「BBA」の方の見ている現実を異常であると思いますが、同じようにして私の見ている現実を異常だと思う人もきっといることでしょう。全く同じ現実を見ている別人というのは存在しないわけで、みんなどこかで別人の見ている現実を奇妙だとかおかしいとか、違和感を持ちながらもラジオの周波数を合わせるようにしてうまいこと調節しながら生きておるわけですが、近頃は調節の仕方を忘れてしまった人が増えました。なんといいますか、「俺に合わせろ」というタイプ。そのうえ、このタイプの見ている現実がとんでもなく現実離れしているという悲劇が今、全世界で繰り広げられております。こんなことはアホらしいと、みんなが調節をやめてしまっているけれど、私は調節を大事にしたい。春先によく聞く「カーディガンを羽織るなどしてうまく調節しましょう」っていうやつ。いつでもどこでも羽織ることができるカーディガンを常に備えておきたいものです。

#日記 #コラム #エッセイ
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