エッセイ『バイアスって難しい』
趣味は新聞一面のコラムを読むことです。今日の読売新聞『編集手帳』によると将棋の指し手は10の220乗通りあり、宇宙の原子の数より多いらしい。まさに盤上の宇宙というわけですが、たぶん、この10の220乗のなかには「通常なら指さない手」も含まれているはずで、例えば将棋漫画『月下の棋士』でおなじみの、いきなり香車の前の歩を動かす一手などはその代表例といえます。絶対にとは言わぬまでも、まあ、指さない、という指し手込みなのだとしたら「10の220乗」という数字の捉え方も変わってきます。あらゆる事実と向き合う際には、自分の思考に妙なバイアスがかかっていないかを確認することが大事です。
一面コラムではありませんが、同じ読売新聞に「科想空感」というコラムがあり、これもいつも面白いのですが、今日は「バイアス盲点」について書かれていました。私たち人間は合理的に物事を判断しているつもりでも気づかない盲点があるものらしい。
サンフランシスコの科学博物館には便器に水飲み用の蛇口の付いた展示があります。横には普通の水飲み場もあります。展示紹介には、「この便器は一度も使用されていません。水は完璧にきれいです。あなたはどちらの水を飲みますか。それはなぜ?」と書いてあります。
合理的に考えれば、まっさらの便器なんだから何の問題もないはずですが、隣に普通の水飲み場があるのなら、わざわざ便器で水を飲む必要はないし、普通の水飲み場で水を飲むほうが合理的であるともいえる。
未使用の便器の水を飲むことは、科学的にはなんら問題はありませんが、それを飲むことを躊躇わせる感情もあります。「科学的か否か」のみを判断材料にすることの危うさを感じさせてくれます。いっぽうで「いや、きれいなんやし普通に飲めるやろ」と思う自分もいるから、記事が落とし込もうとする流れに従うばかりでもいけません。バイアスって難しいですね。
蠱惑暇(こわくいとま)
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