4月22日〜25日 新聞各紙の俳壇歌壇チェック!
まだ一回だけ句会に参加しただけですが、俳句というのは(たぶん短歌も)読み手が想像力を膨らませ各々の解釈を加えることにより完成するものらしいと知りました。(これまた私の勝手な解釈かもしれませんが)そんなわけで、新聞各紙の俳壇歌壇の入選作品を私なりに選抜し、私なりの解釈を加えるという作業によって私自身のスキルアップにも繋がるのではないか、などという下心込みで、それをやってみることにした次第です。
4月22日 日経俳壇より
●分葱載せ回覧板来る隣から
マンション暮らしで碌なご近所付き合いが無いと、こんな場面がなかなかいいものだなと思うんですが、ひょっとしたら「お隣さん、また来はったで」と煙たがられているのかもしれない。
●落花いま「ヒロシマ・ノート」読み返す
大江健三郎さんですね。訃報に触れ代表作を読み返す。ミュージシャンならレコードを聴くということがあります。あれは半分くらい、そういう自分に酔ってますねん。昔、デヴィッド・ボウイが亡くなったときに逆に「ショックすぎて新譜(★)が聴けない」とおっしゃる方がいて、この男の自分への酔い方は天文学的やなと思ったことがあります。
4月22日 日経歌壇より
●携帯の電話帳よりホームの名消せば母の死また確かなり
私はこういうのを消せないタイプです。そのくせいつまでも心に生き続けるのかといえば、そんなこともない。だからたぶん、すぐに忘れるのをわかっているから痕跡は残しておきたいのだと思う。
●疲れれば二重まぶたになれるから少女はそれが嬉しいと言う
二重になった途端、母親が私を大事にしてくれた記憶。思春期は己の体調どうこうより、好きな子にどう見られるかのが重要だったりする。
4月23日 朝日俳壇より
●車椅子春の真ん中まで押して
ちょうどこれを読む前の日に、昔よくタバコを買ってたタバコ屋のおばちゃんが車椅子で散歩してるのを見たところで。おばちゃんも春の真ん中まで押してもらってたんかなーと。
●地下で乗り高架で降りる春夕焼
大阪メトロとか、もはや地下鉄じゃない区間ありますよね。阪急電車だと烏丸で乗って西京極へ向かう前に地上へ出るあの瞬間、日が長くなってきたから仕事帰りに眩しい夕日に向かって走るかも。
●雑魚として飄々と生く春の海
生き方として素敵ですよね。雑魚が大仕事を任されてあっぷあっぷしてるのは見苦しい。分相応がええんやけど。偉くなって人格が変わるような連中はだいたい分不相応なんだと思う。
●滅びゆく我が身愛しや花は葉に
桜のことはあんなに客観的に見られるのにどうして我が身になると同じように見られないのか。この句みたいな達観がほしい。
4月23日 朝日歌壇より
●子は描く白クレヨンで白くまを白い紙でもおかまいなしに
子供には子供のルールがあるんですよね。「見えにくいから黒にしなさい」とか言ってしまったら台無しなのだ。
●一点差息つめ見入る九回にテロップ「総理ウクライナ訪問」
例のしゃもじ外交の日ですね。あれに限らず、だいたいテロップが入るのは「ここで?」っていうタイミングです。裏を返せば、なかなかドラマティックな毎日を送っているんじゃないのか私は。
●はりつきし桜のはなびらそのままに傘をたたみてバスに乗りたり
汚い話、うんこ色してたら取り除くんでしょうけどね。桜のはなびらならついたままでもいいじゃないですか。そのうち傘も乾いて知らずうちにどこかへ行ってしまうのだ。
●する予定全くなかったケンカしてポカンと空いた春の一日
この一日が長いんです。仲直りするまでは長い一日が続きます。あまり健康的ではありません。人一人でそうなんですから、国同士もケンカなどやめたほうが絶対いい。
4月24日 毎日俳壇より
●花屑を纏ふスケートボードかな
どうも私は花びらひっつき系が好きらしい。
●アーケード一気に抜けて初燕
この疾走感たるや。人間なんて鈍な生き物やと思いますわ。
●ふらここは淋しき大人乗せてゐる
「ふらここ」は自分では恥ずかしくて使えない季語です。俳句をはじめたてだからでしょうね。ふらここはの「は」がいい。「が」じゃないんですよね。ついでに「ゐ」がブランコに揺られてる感じがしてるのもいい。
●清貧といふ負け惜しみ目刺焼く
目刺はもはや貧しくないのではないか。だとすればこの句は相当な嫌味ったらしい句に早変わりしてしまう。
4月24日 毎日歌壇より
●生来の不器用な手でLINEして気持ちと真逆のスタンプ送る
こうやってして人間関係って円滑に進んでいるんですよね。偉くなって周りに忖度されるようになればなるほどこの感性が欠けていく。
●満月も裏は暗いよ焦げ付いたホットケーキをはんぶんもらう
ホットケーキを半分もらうための言い分としては無理やりですが、かわいいから許してしまおう。そういうの上手な人いますよね。あれもコミュニケーション能力。
●定年後ビル清掃を非正規の青年と組みオフィスをめぐる
これは青年のほうが実はあんまり乗り気じゃないという可能性を考えておきたい。やがて心を開くようになるには時間がかかるかも。あるいはもう打ち解けたあとの情景なんでしょうか。
●読み終へて傍線のこる数カ所は熱き血となり体内めぐる
最近はスマホで写真を撮っておくんですが、これだと残念ながら血となりにくい。こんなところにもアナログとデジタルの決定的な差があると思う。
4月25日 読売俳壇より
●定まらぬ助詞の一つや春灯し
うんうん唸りながらいちばんしっくりくる助詞を探す。これも意外と探すことをやめた時に見つかることもよくある話。
●それぞれのこゑに色ある春の鳥
鳥類にも植物にも詳しくありませんが、俳句をはじめて鳥の声とか花の種類とか、そういうのに敏感になった気はします。
●別れとはもう待たぬこと ああ春だ
これはなんか泣けますよね。
待つことも待たせることもないよね。別れてるんですから。買わないと当たらない宝くじと一緒にしたらだめですけど、そういうことです。
涙。
●神木に許されてゐる烏の巣
烏ってそんな身近なところに巣を作るもんなんですかね。それはいいとして、なんか、神木だとかなんだとかって全部人が作ったもので烏からしたら「知るかい」って話で。あ、「知るかーっ」か。
4月25日 読売歌壇より
●車椅子止めてアイスを食べたねと亡母につぶやく桜木の下
記憶を蘇らせる装置が至るところにあるんです。この装置が作動する限り、その人は死んでいないんだな。
●卒業式終わりしあとの担任は校庭ながめ展示物外す
いわゆる「祭りのあと」的な寂寥。思えばコロナで祭りがなくなり、この寂しさからも遠ざかってしまっていましたね。
●こもれびは日かげで生きるものにしか与えられないやさしいひかり
これぞ究極の負け惜しみ。さっきの目刺のやつより負け惜しみ感が強い。しかし、いっそ清々しいし、これを負け惜しみと捉える私の感性が私は嫌いです。俳句を続けることで内面から美しくなりたい。
●戦地でも患者を見捨てない人へ遠くの地から逃げよと言った
各々の立場になってみないとわからないことがある。どちらが正しいとかはありません。正しさがぶつかってしまうこともある。