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数学の世界

 中学二年生の数学を手伝ってみたのですが、はい、夏休みの宿題の話です。xやらyやらが出てきます。xやらyやらの右肩に小さい2が乗っかってたりします。2が乗ってるから2乗っていうんですよね。小さい2が左肩に乗ることはありません。利き腕だから負担をかけないようにしているらしい。xもyも左利きなのです。というより、この世界は左利きしかいません。

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 こんな風に並んでいる数字の3段目の2列目にはどの数字が入るでしょう?とか、529は何段目の何列目に入るでしょう?とか、そういう問題。中学生の頃は「それがわかったところでどうなるの?」と思いながらしぶしぶ問題を解いていた記憶がありますが、あれから二十数年を経て、これを解く楽しさがようやく私のところへやってきました。解けなかったけど。

 考えてみたら、この問題を「それがわかったところでどうなるの?」と冷めた目で見ていたあの頃、私はドラクエ3でレベルアップに励んでいました。結局、それがわかったところでどうなるのか、などというありきたりな言い訳を前面に押し出して苦手なことから遠ざかっていただけなのです。数学なんて、一度遠ざかって置いていかれたら、もうそれ以降は絶対に理解できませんからね。下の学年から順番に知識を深めていき、その知識を基礎にしてさらに応用し、それを基礎にしてさらに応用して。どこかのタイミングで基礎を失ってしまったら太刀打ちできなくなってしまう。そうなってしまったが最後、数学を楽しむことはできないのです。

 学生の頃、どこかのタイミングで私は基礎を失い、数学への興味も失ってしまいましたが、二十数年経たいま、興味が先に帰ってきました。相変わらず基礎は失ったままなので問題を出されても全くわからないのですが、その「わからなさ」が面白い。たぶん、わかればもっと面白いと思うんですが、わからないなりに面白いのです。二十数年を経たいま、その問題が解けなくても、世の中が割と数学でできているということを感じているからなんだと思います。

 普段から私たちは数学に囲まれて、包まれて、助けられて生きています。具体例とか挙げられませんけど、体全体で私はそう感じています。その数学の仕組みの一端をわかりやすく垣間見ることができる数学の問題は、提示されるだけで面白いのです。

 昨日、中学二年生と隣り合わせになって同じ問題を解いていて、中学二年生が先に答えに辿り着きました。私よりこの子のほうが世の中の仕組みを理解しているのかもしれない。それを見届けた私は寝ました。解かなくてもいい数学は面白い。この世界も。

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