2014年の日記
⭐このときはまだ関係者が生きていて、忍術や黒岩永青法印についてのみ秘していたときです。
文中のじょうしん和尚というのは、今は大変偉くなられてしまったので実名は書けませんが、実在の天台僧です。
ただしくは中学2年くらいから、黒岩先生について修験に参入し、高校生のとき初の独行として紀州縦断をさせてもらいました。
その経緯は以下の通り。
山のなかではサザンオールスターズのメドレーを泣きながら歌って歩いてました(笑)
●ぼくのしゅぎょう体験(しゅげんどうへん)
いよくまつかぜ
ぼくの山林しゅぎょうはこうこうのころにはじまった。それまでやっていたからてとか、けんぽうにのびなやんで、あたまがいたくなっちゃったんだ。
あるひ、だいすきだったこに思い切りふられてね、そのまま傷心やまごもり紀行さ。
そんなとき、やまのなかでしりあいになったのが、あるてんだいしゅうのお坊さん。じょうしんおしょうっていうんだけど、紀州でであったんだ。
そのひとが歩き方から、岩のとびつたい方、こんごう杖のさばき方をおしえてくれたのさ。あのひとのあるきかたのきれいなことといったら・・・
おばあちゃんのいえも、のぶしだったので、けんじゅつとか手裏剣とかやっていて、むかしは遁甲とかいろいろ伝わっていたみたい。はんにゃしんきょうやじゅうさんぶつしんごん、くじきり、ひこうごしんまでおしえてくれたものさ。
なんやかんやで、だんじき、みずごり、にゅうろうなどなど、けっこうやらされたよ。みずだけでいっしゅうかんはつらいけいけんだったよ。
まっくらのやまみちを、ひとりであるきつづけて、やまんばみたいなお婆さんにたすけられたことや、りょうじゅうでうたれたこともあったっけ。
人知れずやまのあなにおちて、でられないままよるになってしまったり、ふゆのみずうみにおちたこともあったな。よくいきていたよ。うんがよかったんだな、ほんと。
そのあと、こしんとうのせんせいについて、のりとのべんきょうもした。あれはおもしろかったな。おかげでにほんの神仏のありようにきょうみと疑問もおぼえたよ。中国にいく前に、日本についてたくさん考えさせられたのは、いまおもうとほんとうによかった。
いっときは行場で「てんぐさん」ってよばれたこともあったよ。とぶようにやまみちをはしることができたし、えいっときあいをいれると、びょうきのひとがなおっちゃったことがあって、じぶんではりゆうはわからないけど、めがひかっていたみたいだね。それで、すこしテングになっちゃってたみたい。
まあ、すぐハナが折られるような怖いことがあったんで、もうそんなことはできないけどね。
ちちぶとか、くまのなち、こうやさん、はくさんなんか、ずいぶんはいったんだよ。でも、どこでもくうかいさんと、えんのぎょうじゃさんがはいっているんだよね。さいきんおもしろいとおもうのは、えんくうさん。
えんくうさんのいくところって、なにかのおもいでがあるところなんだね。
そしてみちをつくったり、おもい石のお宮なんかをもってあがったり、ぎょうじゃのやどをせいびしたりするひとのなかに、ほんとうにすごいひとがいるということもしったよ。
いまは山をながめるのがすきだけど、またきかいがめぐってきたら、やまにかえってゆくんだとおもうよ。いまでもときおり、やまをかけめぐるゆめをみるんだ。