大崎玄蕃様
甲斐と諏訪を結ぶ御方様、武田(諏訪)四郎勝頼公。
私は個人的に、このお方に関して崇敬にも似た感情と、僭越ながら大変な興味を抱いてきた。
私見では、武田‐真田に列なる者達は、早期は武田家生き残りのために、後期は豊臣家生き残りのために、国中のネットワークを駆使して、その後の徳川一極体制に対してのカウンター勢力として存在し続けた。
先日の武田八幡宮の千二百年記念例大祭に於いて、以前より注目をしていた「武田勝頼土佐生存説」を唱える、高知県の仁淀川町にある大崎八幡宮(ご祭神は武田勝頼公)の神主様御一行にお会いすることができた。
実は以前より、こちらの皆様の地道なご活動に関しては、歴史作家の中津侑子先生を介してよくよく聞き及んでいた。
私の流れにも、幾つかの勝頼様に関する口碑、風聞があり、これは誰にでも気安く話すような話題でもないため、何時か土佐に渡ったことが有ったら、是非お話を聞いていただこうと考えていた。
それが・・・なんとこの日、かの武田家発祥の地に於いて導かれるように巡り合い、短い時間だったが数百年の時を超えた「語り合い」をさせて頂けたことは、私としては奇跡という他なく、まさに武田の大神様と諏訪の大神様の結び直しを期する神はかりとしか思えなかった。
岡林宮司様と前宮司様には、忝なくも立派なご著書を賜り、再会を約すことが叶った。
思えば、この日演武は、真田吾妻衆の私をはじめ、甲斐武田家中より三枝氏、諏訪家中より宮坂氏の各々末裔が演者を勤めた。
ご本を拜読して驚いたのは、勝頼様に供奉した主だった者の中に、三階松の三枝氏が居たとか。
そして今回演じさせて頂いた「山家當流」は、元々は甲斐の地より甲陽兵法と源家古法に付傳して四国の地に伝わった流れであることも思い合わせ、天網の疎にして妙なる事に驚嘆を隠すことが出来ない。
これからも、武田ー真田の印した点と点を、太いなる和に繋げて参りたく・・・ひたぶる神助を乞ひ願う者であります。