【悲報】北海道さん、ついにエアコンに魂を売ってしまう~日本の猛暑・酷暑問題に物申す~
0.はじめに
なんJのスレタイトルみたいだが、今回は猛暑・酷暑問題について語る。
北海道=涼しい、というイメージを持たれている方も多いと思うが、気温を見ればわかる通り、そのイメージは過去のものとなりつつある。事実去年は相当暑かったし、今年も暑くて眠れない日が既に何日も続いている。
もちろん、これまでも年に何度か熱帯夜はあった。しかし、数えるほどしかなかったし、そもそも大半の夜は気温が下がっていた。湿度も高い日はそんなに多くはなかったと記憶している。
しかし、去年及び今年の夏は高温多湿、ビニールハウスにいるような暑さで、如何ともし難い。そして夜になっても熱が逃げず、暑い状態が続く。はっきり言って地獄である。本州の一部の性格の悪い「方々」からすれば「まだましだろ。甘えんな」と言われそうだが、最近の夏の暑さはそもそもおかしいのであって、「まし」かそうでないか、というマウントを取り合っている場合ではない。これは降雪の問題も同じだ。昨今は局地的な雪が多く、昨年度は北海道だと小樽市、留萌市などが豪雪に見舞われた。
まあ明らかに地球温暖化の影響だろうし、その温暖化を起こしている張本人は何を隠そう、この「人類」なのは間違いあるまい。
で、さすがの北海道民もこの暑さに耐えかねたようで、学校や家庭にエアコンをつけよう、という話になった。本州ではエアコンが当たり前の地域が多いようだが、北海道ではエアコンの設置率が低いらしい。まあ要するに、「ウチの地域は遅れている!乗るしかない、このビッグウェーブに!」
というわけである。
この話を聞いたとき、私は
「あ、北海道終わったな」
と不覚にも思ってしまった。暑い夏を乗り切る「知恵」の消滅をそこに見たからである。
私はエアコンを「ネクタイ」「ハイヒール」と並んで「人類三大愚発明」だと考えている。後者二つは都会人が格好をつけるだけのおしゃれアイテムで、何の実用的優位性もないし、エアコンは熱を外に逃がしているだけで、そもそも根本的な解決にならない。私からすれば「なにやってんだ」という話である。
1.エアコンが嫌いな理由
(1)不自然な風
私がエアコンを嫌う理由はいくつかある。
一つ、自然の風と違い、不自然でどきつい風だから。
普段からしっかり外気に触れている人ならわかると思うが、エアコンが流してくる「人工的な」風は肌を突き刺す、悪寒のような風である。まあ文明に溺れた愚かな日本人は気づかないばかりか、「涼しい、気持ちいい」と喜ぶことだろうが、情けない話である。私にとってはとにかく違和感のある風でしかない。
だから、クルマに乗っていた時代ですら、私は殆どカークーラーを使ったことがない。そもそも窓を開け、ある程度の速度を出していれば風が入ってくるので、いちいち使う必要が感じられなかった。まあ信号待ちなどで停車しているときは暑いが、信号待ちの時間なんてたかが知れている。自動車という、環境に悪い乗り物に乗っておきながら、クーラーというさらに環境を悪化させる装置を使うというのは、賢明な選択とは言えまい。
これに対し、自然界の風というのは実に多様な姿を見せてくれるうえ、エアコンの風に比べれば肌に対して優しい。無能なエアコンはバカの一つ覚えのように画一的な風しか送れないが、自然の風は違う。時には強く激しく吹く突風であったり、時には優しく肌を包む微風であったり、北から吹いてきたと思ったら南からの風に変わっていたり、とにかく色々な風を吹かせてくれるのだ。しかも夜はこれに虫の大合唱が加わり、風はさらに豊かなものとなる。日が落ちた後、虫の鳴き声を聞きながら涼風を浴びるのは格別の時間だ。日中は暑さを増幅させるようにしか聞こえなかった鈴虫や蝉の鳴き声も、夜になると暑さを和らげる効果をもたらすのだ。
言うなればエアコンの風は、けばけばしい化粧やファッションを纏って自分を美しいと勘違いしている「女さん」のようなもので、これに対し、自然の風というのは余計な装飾なしで厳かに立つ本物の「美人」とでも言うべきだろう。どちらが本当の「美人」かは火を見るより明らかだと私は思うが、エアコンに魂を売ってしまった日本人にはそれがわからなくなってしまったようだ。
もちろん、エアコンの風に利点がないわけではない。自然の風が極めて不安定なのに対し、エアコンの風は安定的に供給される。暑くて風がほしい日に限って無風なのはよくあることだし、寒くて風が不要な日にビュンビュン寒風が吹くのも日常茶飯事である。エアコンなら風がほしい日に風を呼び出すことができるし、風量の調整というオマケまで付けてくれる。不要な日は電源を切ればそれで済む。極めて便利な文明の利器ではあるのだ。
しかし、それはあくまでエアコンが動く場合の話だ。故障や停電によって動かなくなれば恩恵は受けられないし、そもそも最初に言ったように、熱を外に出しているだけなので根本的な解決になっていないのだ。暑いのが嫌ならアスファルトを剥がして、木を植え、クルマを極力使わないような生活をして、温室効果ガスをなるべく出さなければ良い話。
実に単純だが、クルマ大国の日本でそれは望めそうにない。度が過ぎた「力」を手に入れた代償であろう。「力」を使いこなせない無能がそれを手にしてしまえばどうなるか、この国の漫画やアニメで散々描かれていると思うが、自覚する気配はない。愚かな話だ。
(2)季節感と詩的感性の喪失
エアコンが嫌いな理由その二は、
「季節感と詩的感性の喪失をもたらすから」
である。
賢明な読者は既にお気づきかと思うが、いつでも快適な温度を保てるということは、季節感を喪失させる。夏なら暑い、冬なら寒いといった単純な寒暖差もそうだが、
・新緑萌え出づる初夏の心地よい暑さ
・蝉の大合唱が始まる真夏の厳しい暑さ
・紅葉が始まり、涼しさが徐々に現れる晩夏の暑さ
といった細かい暑さの違いもわからなくなる。これが「季節感の喪失」である。三浦展の言葉を借りれば「ファスト季節」とでも言うべきか。エアコンが効いている室内は常に快適(つまり季節感がない)。エアコンの守備範囲外は暑いか寒いかの二択しかない、というわけだ。
事実ニュースでは連日のように、
「危険な暑さです。熱中症に注意してください」
と繰り返しているではないか。夏は暑くて苦しいだけの季節になってしまったのだ。それもこれもエアコンに魂を売ったせいであろう。
そして季節感の喪失により、詩的感性も乏しくなっていく。古来よりこの国は四季の変化を俳句や短歌にして詠んできた。その細かい変化を表現する「季語」なるものも発達し、人々は今そこにある季節と共に生きてきた。
しかし今はどうであろうか。季節を詠う俳句も短歌も死んだ。そらそうよ。だって詠いたい当の「季節感」がないんだもの。芭蕉も首ひねるレベルでしょう。そもそも、暑すぎて詩を作る気力すら起きませんわ。
まあでもしょうがないか。この国はもうとっくに「詩」を捨てて、「金」を追いかけることを決めたのだから。
けれども、「詩」を失うことは「語彙」を失うこと、「語彙」を失うことは「思想」を失うことを意味する。思想なき者が「金」を手にしたらどうなるか。はい、そうですね。酒と下半身の満足のために消えます。いつものお決まりのパターンですな、これは。何回繰り返せば気が済むのかは不明ですけども。
まあ私は詩を作ることをやめたくないので、エアコンはご遠慮させて頂く訳で御座いまする。エアコン、オワコン。
(3)エゴイズムの象徴
エアコンが嫌いな理由その三、それは
「エゴイズムの象徴だから」
である。
エアコンというのは室内を快適にするために熱を外に出す。要するに、自分の家さえよければ、外で歩いている人のことなど知ったこっちゃねえ、というわけである。実に馬鹿げた話だが、今や街中こんな具合である。あれ?この構図、どこかで見たような…?
ああ、そうか。歩行者を道の隅や歩道橋に追いやり、自分たちは直線的な道を我が物顔で快走するクルマ好きの日本人のことか。こりゃ一本取られましたな。こんなところにもエゴイズムの波が押し寄せていたんですね。エゴイズムさん、どうもお疲れさまです。ところでお尋ねしたいのですが、あなた方が訪れたお家の方々は幸せになられましたか…?
ふむ、なるほど。屋外ではクーラーの効いた車内で快適なドライブが楽しめるし、屋内では酒を飲みながら下半身を使った「お遊戯」が楽しめて、幸せだと皆さんおっしゃるようですね。そうですか、そうですか。
ところで私の世界では、それは「幸せ」ではなく「快楽(享楽)」と呼ぶのですが、かの国では「幸せ」の定義が違うみたいですね。これは驚いた。私もまだまだ勉強不足ですな。
私ですか?いえいえ、ご遠慮させていただきまする。詩のない世界に行きとうございませんので。だって皆さん、エアコンとクーラー効いてるうちは笑顔なのに、効かなくなった途端、鬼のような顔に変わるじゃありませんか。ちょっと怖い世界だな、と思った次第で…。
それにクルマも家も、あとショッピングモールもそうですが、所詮箱庭じゃないですか。そんな一部の空間を快適にしたいがために、他の多くの空間を犠牲にするというのはちょっとね…。だったらみんなで街の至るところに風鈴でも置いたほうがよっぽど良いんじゃないですかね。
ほう…。「俺様と家族と友人が気持ちよくなる【権利】を侵害するな」とおっしゃるのですか。
わかりました。私は去ります。これで満足でしょうか?私もここは怖いのでどこかに行こうと思っていたところです。丁度良かった。
ちなみに街のゴミ拾いや花の手入れ、どなたがなさるんですか?いや、皆さん室内にお籠りのようなので、素朴な疑問が浮かびましてね。この暑さじゃ、誰も外に出られないでしょう。
私に頼みたい?はは、ご冗談を。まちをろくに観ずに過ぎ去る人、室内が快適なら外はどうでもいいと思っている方々が住むまちを綺麗にしたところで、すぐに汚れるのは目に見えてるじゃありませんか。やだなあ、冗談きついですよ。それではこれで。シーユーフォーエバー。
2.おわりに
はい、ということで現代文明の末路、ディストピアを象徴する機械「エアコン」に対する痛烈な風刺記事でした。便利と聞けば何も考えずすぐに飛びつく。そしてその便利なものが「何を失わせるのか」については想像すらしない。いつものパターンですが、いつまで続けるんですか?というお話です。私の記事をずっと読んでくれている方ならおわかりかと思いますが、私は同じことしか言っていません。物申す記事はいくつも書いていますが、言いたいことの趣旨をまとめると、
・自然と共に生きよ(=文明に依存しすぎるな)
・酒、金、下半身に溺れるな(思考の基本となる哲学を築け)
・まちをしっかり「観よ」(素通りして「見た」気になるな)
・語彙を豊かにせよ(安易に横文字を使うな)
このあたりに集約されます。これを様々な表現で変奏曲のように主張しているだけのことです。変奏曲なので、リズムや音程は違っても基本となるメロディー(メッセージ)は同じです。よく言うでしょう。大事なことは繰り返せ、と。だから繰り返して書いているわけです。まあ伝えたい当の本人たちはこんな記事読まないでしょうから、骨折り損の草臥れ儲けではあるんですが…。
というわけで、今年の夏も暑いですが、風鈴鳴らして川辺で寝転んで、感じた季節感を詩に表現してみましょう。そうしているうちに夏は終わってるはずなので。
それでは。