【随筆】存在の希薄な自分自身
いつも、私の創作物を読んでくださる方々、スキをくださる方、こんにちは。
またまた、久しぶりに自分の話です。
以前、私は過去の体験、思い出が、かなり断片的にしか思い出せない(解離性健忘)である旨を投稿しました。
現在、中学時代の同級生と、たまたま連絡を取るようになりまして、中学時代の話を聞き出したりしてみたのですが、やはり大部分覚えていませんでした。彼女は、私に一番最初、この症状に気づかせてくれた人物です。
ただ、中学生の時におかしな態度はとっていなかったようなので、それには安心しました。よくメモを取っていたそうです。彼女は私が頭がいいと思っていたそうですが、きっと無意識に忘れないようにと行動していたのかもしれません。
そして、私はこの症状で、日常生活で支障はないと書きました。
確かに、日常生活では支障はないのですが、自分を作ってきた過去の体験や感情が思い出せないせいか、私は自分に対し、あまり関心を払っていません。いや、自分という存在をとても希薄だと思っています。
例えば、今、私に余命宣告が下ったとして、私はそのことを悲しいと思って、涙を一旦は流すでしょうが、直ぐにそれを受け入れてしまうだろうと思っています。
それなら、仕方ない。これが私の運命だったんだ。みたいな。
凄い他人事になってますけど、それが今の自分に対する感情です。
自分を作ってきた物が無いようなものなので、軸がなく、とても不安定。
他人の意見には流されるし、その時の流れにも身を任せます。
良いように言えば、要領がいい?悪いように言えば、自分の意見がない人です。
では、なぜ小説を、それも恋愛関係ばかり書いているのかというと、それが一番興味があるというか、自分の中で分かりやすいというか、生きていると感じやすいというか、面に出しやすいからです。
随筆として書かないのは、自分の感情を忘れているから、書けないが正しい。忘れているところを大部分創作しているためです。
そういう私は、恋をしてきたのかと言われると、答えられません。あまり覚えていないので。
noteを始めてから、6か月以上が経ちました。
これも全て私の創作物を読み、リアクションを返してくれる皆様のおかげです。
ですが、さすがにアウトプットしすぎたように思うので、一日一投稿(つぶやくことはあるかもしれませんが)と、投稿数を減らしています。無理すると、続かなくなると思いますので。
いつも読んでくださる皆様に感謝を込めて。
説那
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