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<読書>新訳 センス・オブ・ワンダー



高齢者層と女性の圧倒的な支持が
70代のリーダーを
都知事に選んだ今日の日に
1985年生まれの森田真生さんの新訳
「センス・オブ・ワンダー」について書いています。

私たち世代も含めた高齢者が生み出した負の遺産を
若い世代に背負わせようとしている今
40代のニューリーダーに期待していました。

私には、誰が正しくて、誰が良いのか
わかっているわけではありませんが
若い世代に未来を背負わせるなら
その世代の人たちに
舵取りをしてもらいたいと願っていました。
まだ間に合うなら・・・・ですが。

さて、気を取り直して、本題

上遠恵子さんが翻訳をして祐学社より出版されたのが1991年。
以降、おそらく初めての新訳ではないかと思うのですが
33年後に出版された新訳を読んでみました。

この翻訳は、『数学する身体』『計算する生命』
などの著書を持つ森田さんに出版社から
提案されたもののようです。

森田さんは新訳というより
未完の遺稿の続きを書いてみたいという思いで
書かれたもののようですので
後半は「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」と題して
森田さんのご家族の暮らしや
センス・オブ・ワンダーに纏わる
お考えを著したものになっています。

既存のセンス・オブ・ワンダーについて
私の好きな部分を、上遠恵子さんの訳と比較してみました。

引用1

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

上遠恵子訳

子どもの世界は瑞々しく、いつも新鮮で、美しく、驚きと興奮に満ちています。
あのまっすぐな眼差しと、美しくて畏怖すべきものをとらえる真の直感が大人になるまでにかすみ、ときに失われてしまうことさえあるのは残念なことです。
子どもたちの生を祝福する心優しい妖精に、なにか願いごとができるとするなら私は世界中のすべての子供たちに一生消えないほどたしかな「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)を授けてほしいと思います。それは、やがて人生に退屈し、幻滅していくこと、人工物ばかりに不毛に執着していくこと、
あるいは、自分の力が本当に湧き出してくる場所から人を遠ざけてしまう全ての物事に対して強靭な解毒剤となるはずです。

森田真生訳

引用2

地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン──夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ──のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。

上遠恵子訳

地球の美しさをよく観察し、深く思いをめぐらせていくとき、いつまでもつきることがない力が湧き出してきます。鳥の私や潮の満ち引き、春を待つ蕾に姿には、それ自体の美しさだけではなく象徴的な美しさがあります。夜はやがて開け、冬のあとにはまた春が来る繰り返す自然の反復には、人を果てしなく癒す力があります。

森田真生訳

20年以上、上遠恵子訳を朗読と共に伝える活動をしてきていたのでとても馴染んでいるため、森田さんの訳になかなか馴染めないのですが、それは、人それぞれで、森田さんご自身が上遠さんの訳を読まれていると思いますので、より良い訳を付けられたことでしょう。

大半は森田さんが書かれた「続き」になります。
お子さんたちとの日々から感じたことやご自身の心に響いた詩や哲学、古事記や科学者の文筆なども引用されています。

最初はレイチェル・カーソンの著作の続きを書くなんて・・・と
ちょっと不遜な気がしていましたが、読み進めるうちに
著者の考えや、生き方が好きになっていきました。

そして、森田真生さんだけでなく
センス・オブ・ワンダーを愛する人たちはみな、それぞれに
センス・オブ・ワンダーの続きを書きながら生きているんだなあと思いました。


私が強く共感したのは

結 の部分(一般的なあとがきでしょうか?)

カーソンは、人間の生み出す化学物質が、食物連鎖を通じていかに自然を奥深くまで「汚染」しつつあるかを、旋律とともに告発した。
ところがいまとなっては、恐ろしいことに、この告発に新鮮な驚きを感じることのほうがむしろ難しい。もはや人間の活動は地球のいたるところに浸透し、人間の活動に染められていない場所を見つけることは困難だ。海洋中のプラスチックを消すことも、地球上に散らばる放射性廃棄物を一掃することもできない。 現代の人間をとりまく環境を考えるとき、自然から人間の影響だけを、清潔に切り話すことはできない。

最近、この「清潔に切り離せ」という絵空事だけを唱える政治家や活動家の発言に実はうんざりしています。

カーソンの警鐘から半世紀以上を経て、いま僕たちにできることがあるとするなら、人間の力を否定し、排除しようとするだけでなく、人間の力をも一つの力として受け入れ、これを生かしていく道を探していくことだと思う。
中略
根っこから壊れているこの世界で、それでも生き延びていくために、僕たちはなにを考え、なしていく必要があるだろうか。
「必要」はますます切迫している

切迫した「必要」に舵を切るために、世界第3位の都市
東京のニューリーダーに期待していたのですが
切迫した「必要」に真摯に向き合うことを、誰かに任せるのではなくこの星に生きる一人一人が考え、行動しなくてはならない、という思いを持ちました。

私たちは、実現不可能なことばかりにシュプレヒコールをあげるのではなく現実を、科学をしっかりと見つめて、成熟していかなくてはならないと思いつつこの本を閉じました。

私たちの子供達、孫たち、はこの国、この星で生き延びねばならないことを私たちは自分のことよりも、しっかりと考えなくては、と思います。

私たちが伝えているセンス・オブ・ワンダーの心、お聴きください。

引用1の部分

引用2の部分


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