やりたいことをどうやっていくか/表現の自由/知的生活と呪い
12月2日(土)晴れ
今朝は昨日より少し暖かくて、起きやすい朝だったが、昨夜はソファで寝落ちして12時過ぎに寝床に入ったのだが夜中に左足が攣り、入浴して落ち着いた。その後もう一度寝て、起きたら4時半ごろだった。なかなかしっかり寝られないのは困るなと思う。
朝いろいろ考えていて、たとえばやりたいことをどうやっていくかみたいなことを考えていたのだけど、いろいろ道筋は見えている感じもして、今までの経験や読んできたものなどを活かせるといいなと思っている。まだ具体的にできるまでは考えることがあるのだが、なんとか上手くやれるといいなと思う。
いろいろやっていたら6時になったのだが、最近は6時だとまだ暗い。出かけるにもまず車を暖機しないとフロントガラスが凍っていて走れないようになってきた。12月だから不自然ではないのだけど、まあ当地もまた寒い冬がやってきたなと思う。
走りながら表現の自由をめぐる問題について考えていたりして、それは筒井康隆さんはかっこよく感じるのに山本直樹さんはどうも自分は支持できないなと感じるのはなぜなんだろう、みたいな話なんだけど、書き始めたけれどもどうも上手くまとまらないのでまた書ける時があったら書こうと思う。
自分のやりたいことが「知的生活」だった、みたいなことを書いたけれども、それはなんというか自分にとってはあまりに当たり前のことのような気がするのだけど、なぜそれが今までよくわからなかったのかということを考えていて、それは学生の頃に人に「君は社会の現実を知らないから山谷とかで働いて血を売って生活している人たちとかの生活を知った方がいい」みたいなことを言われたことがあり、それに言い返せなくて、なんというか知的生活的なものなどけしからん、もっと社会の現実を知らないと、みたいな変な呪いがかかってたのだなとこれも運転しながら考えていて気づいた。
まあそれこそそんなことはそれはそれ、これはこれの問題なのだけど、自分が「世の中を知らない」という気持ちというかコンプレックスみたいなものはあったから、まあ貧困方向だけでなくさまざまなものをもっと知らないと、みたいな気持ちは強くあって、知的生活への欲求みたいなものを自分の中で抹消しようとしていたのだなと思う。
これはまあおそらく自分の中で大きな足枷にはなっていたのだけど、実際問題として高校教員になったときに底辺校の経験でほとんどそれが実現してしまった感じもあり、まあこういう呪いというものは変な形で実現するのでさっさと解呪しておかないとダメだなと今になっては思う。
それを解呪できたのは結局は2008年ごろに読んだ「ずっとやりたかったことをやりなさい」に加えて先日「知的生活の方法」を読んだからで、まあだいぶ回り道と言えば回り道だが、そういう経験の中で拾ってきたものを活かしていくことを考えた方がポジティブだなと思うので、まあそういうものを次のことに結びつけていきたいと思っている。
眠り方が中途半端だったせいなのか、自分の中で考え方の組み替えが進行中だからなのか、もう一つ頭が動かないので今日はこの辺りで。朝ごはんを少し食べすぎたからかもしれない。
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