現代において保守思想を学ぼうとすること/国学という広い深い世界
3月8日(水)晴れ
朝6時半の気温はマイナス1.1度。冷え込みはだいぶ緩んできたとは言え、まだ肌寒い。少し気になることがあるせいか眠りが浅く、それでも目が覚めたのが4時過ぎだったから5時間くらいは寝ている。それでもまだ休まらない感じだったからトイレに行ってから二度寝し、起きたら5時半だった。この時間になると、もうかなり夜が白んできていて、考えてみれば昨日が啓蟄だったから、2週間後には春分なのだ。朝型の暮らしをしていると、早く明るくなってくれることはそれだけできることが増えるから助かる。ただまだまだ外で作業するには寒いのだけれど。
昨日は午前中会計関係の仕事をしていて、残高証明書など取りに行ったりしていたのだが、印を忘れたり身分を証明するものを持っていなかったりして結構手間取った。こういう一年に一度しかやらないようなことは要領を忘れてしまって困る。
一段落ついてから「近世国学思想から見た共存の諸相」で参考文献に挙げられていた桂島宣弘「宣長の「外部」ー18世紀の自他認識ー」を読もうと出かけ、「思想」の2001年12月号を借りてきた。見てみるとこの号は「宣長問題」と題した特集が組まれ、「思想の言葉」にプラスして本居宣長について論じた論文が3本と座談会が掲載されていた。少し読んでみると、この2001年という年は森喜朗元首相の「神の国」発言があった年で、それに関連して神道の問題を論じようというのが出てきて本居宣長の特集が組まれる、というような流れだったようだ。
もちろん左派系の論説が主体の岩波書店だし、「宣長問題」と題されるような特集だから当たり前とはいえ、この読んだ論文の論調も本居宣長や国学に対する敵意や悪意のようなものに色付けされていて、「宣長の思想を過不足なく知りたい」と思って読むこちらサイドとしたら、読んでいて夥しく疲れるような論調ではあった。
ただ、全く読めないということはなくて、批判的に引用されている宣長の本文を読んでいると、「不可知論だ」とか一刀両断されている文章の中にああ、いいなあと思うような内容があったりして、批判はあっても読めるのは助かった。日本国憲法を元に両性の平等がなんたら、みたいな話になると共感できるところがゼロになって読めなくなることが往々にしてあるので、批判はされていてもその元の文章に共感できるということはまだ頑張れる感じがあった。
日本において保守思想を研究するということはこういう左派アカデミズムの敵意や悪意と言ったものと戦うことだなとつくづく思ったのだが、そんなことは研究者には当たり前のことなんだろうなと思う。私も最近の研究者が書いたより肯定的な内容のものを主に読んできているので小泉内閣以前の90年代の香りがするこういう論文にはちょっと当てられた感じがあった。
感じたことをいくつか書いておくと、というか私もこういうものを読みながらいろいろと感情を持ってしまうタイプなので思想というものを学ぶには良くないのかもしれないという気はしたのだが、まあなんというかそういうのが自分が文章を読んだり書いたりするときのスタイルとして入っているということもあって、必ずしもアカデミズム的でない「読み」と「書き」を生み出す者として書いているのであれば、こういうことも「あり」でもいいだろうと思いながら書いている。
本居宣長も、考えてみたら原文をちゃんと読んだのはそんなになくて、小林秀雄であるとかその方面の解説書みたいなものを読んだくらいなので、それなりの謦咳を掴めるところまでは読んでいかなければなあと読みながら思う。元々は乱読派だから「どこかで読んだ」みたいな記述がたくさん出てくるのだけど、それなりに専門家が読んでもある程度は読むに耐えるものを書くにはなるべく出典を押さえながら読まないといけないなと思ったりした。
この論文のテーマとしては松本久史さんの引用・参照の趣旨のように、18世紀の「日本形華夷秩序」的認識と宣長の認識・記述の関係ということで、ある程度フリーハンドを得てはいるが完全に自由ではない、というような認識かなと思った。ただ洋学(蘭学)の部分的な情報から自分たちの認識がヨーロッパの認識と一致しているということに意味を見出し、「それに比べて中国の認識は間違っている」みたいな感じで論じているのは、ヨーロッパを評価しているというよりは中国を相対化するのに一生懸命ということなんだろうなとは思ったが、逆に日本が西欧文明を割と抵抗なく受け入れることになる一つの認識の枠組みとして国学的思考というものがあったのかもしれないとは思った。それは脱亜論的なものとか中国に対する優越意識みたいなものにつながってもいくのだろうとは思ったけれども。
それに関連して一つ印象に残ったのは、引用されている「石上私淑言」からの「天照大神ノ御心」で、これは元々は日本の良さとして語られてきた「自然」であることからの一歩進んだ認識で、つまり「自然」という考え方そのものが中国的であるというところからより宗教的な言い方を採用したということなのかなと思ったのだけど、「そもそも神は、人の世の仏聖人のたぐひにあらねば、世の常におもふ道理をもてかく思ひはかるべきにあらず。神の心はよきもあしきも人の心にてはうかがひがたき事にて、この天地のうちのあらゆる事は、みなその神の御心よりいでて神のしたまふことなれば、」みたいな話が「ヨブ記」であるとか「予定説」的なキリスト教っぽさを感じた。一面、書いてみて会津の「ならぬ事はならぬものです」とか薩摩的な「議を言うな」的なものとの共通性も感じたが、こう言う言は確かに権力者に利用されたらやばいっぽいものではあるが、「自然」と言う概念の発展系だと思えばその言葉の内実ももう少し違うものが見えてくる感じがあった。
もう一つ、日本近代において「日本思想史」や「文献学」が構想された時に本居宣長が「発見」され、その一つの柱として位置付けられたと言うこと。そう言う近代意識の中で宣長が位置付けられたからこそ、綿密な考証家としての宣長の姿と、上に書いたような不可知論的な宗教家めいたことを言う宣長が分裂して見え、そのイメージの統合に苦労してきたと言うことがあると言うのはなるほどと思った。
現代の思想史学の立場としては特に戦前に構築された思想史学の批判ということがある種責務として認識されている感があり、つまりは宣長がこのようにして「日本近代思想史学」に「利用」されたがために「皇国史観」というにつながっていったのだというような図式が見えて、それはそれでなるほどとは思ったが、むしろそういう近代の思想史家の、津田左右吉、芳賀矢一、村岡典嗣と言ったところを目を通していかないといけないのかなと思った。
この辺りも、昨日読んだ第一印象と、今ブログを書こうとして読みながら書いているときの印象とではかなり違っているので新しい分野を齧ることの難しさみたいなものを改めて感じるのだけど、第一印象でしか得られないものというのもあるので、そのあたりも記録しながら読んでいきたいと思った。
国学のナショナリズム化という点においては大国隆正が大きな役割を果たしたようなので、その辺も読んでみたい。大国隆正は一冊持ってはいるのだが、まだ読んでいない。
少し見ただけでこれもかなり広い世界だなと思うが、少しずつ読んでいきたい。
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