クリスマスに「アフリカに対するチャリティ」とか日本の「どこにも行けない少女たち」とかについて考えたりしたこと
12月24日(火)晴れ
今日は12月24日、クリスマスイブ。とりあえず自分には関係ないので今日そのことについて書くつもりはなかったのだが、與那覇潤さんの下の投稿を見て、ちょっと自分でも書いてみようかなと思ったので書いてみる。
ここで取り上げられているのは1984年12月にリリースされたアフリカ救済チャリティプロジェクト、バンドエイドについての話なのだけど、與那覇さんと私とでは感じ方がかなり違う。
1984年は私が大学4年で、その夏にはヨーロッパを旅行した。12月はちょうど卒論の追い込みだからバンドエイドにはあまり興味がなかったし、まずそういうチャリティーのようなものをどちらかというと嫌っていたのだが、かなり反響があって驚いたというのが自分の感覚だった。
翌年に出た「We are the World」ではマイケル・ジャクソンやボブ・ディランなどが歌い、世界的にヒットしたが、どうもアメリカやヨーロッパの上から目線での援助姿勢みたいなものが透けて見えて、自分としてはあまり好きではなかった。
私が当時必ず買っていたのがポール・マッカートニーだったのだが、彼も1982年のエボニー・アンド・アイボリー以降そういう政治的なテーマを歌うようになり、それを最後に聞かなくなっていたこともあったのだが、「We are the World」以降は洋楽自体を聞かなくなった。邦楽の方も大学に入った頃からほとんど聞かなくなっていたから、ポピュラーミュージック、特に新しいポピュラーミュージックを聞かなくなった一つのきっかけになった曲だと言っていい。だから與那覇さんがバンドエイドの曲は好きだ、と書いてるのを読んで、なんというかいろいろな感じ方があるものだ、と驚いたところがあったわけだ。
もちろん政治的な歌詞自体はそれまでもあったけれども、どちらかというと欧米社会を告発する的なものが中心だったと思うが、バンドエイドやWe are the Worldについては「善意で」「音楽業界を挙げて」アフリカを救おう、みたいなものがどうしても鼻についてしまったのだと思う。
その後もこのプロジェクトは何度か行われたようなのだが、今年行われたこの企画に対し、「ガーナ系英歌手のフューズODGが、この曲はアフリカ大陸への否定的な固定観念を永続させると反対の声を上げ」たのだという。
「フューズODGは「表向きは危機を救うための募金に見えるが、長期的に見れば、アフリカ人としての集団的アイデンティティーを破壊しているだけで、これを変える必要がある」と述べた」というが、これは少しわかりにくいかもしれないけれども、彼の出身国であるガーナ(ロンドン生まれ、ガーナ育ち)は初代大統領のエンクルマ以来、パンアフリカニズムの主張を強く打ち出している国で、彼が「アフリカ人としての集団的アイデンティティ」という時にはおそらくはこの思想が強く働いているのだろうと思う。
これに対して主催者側は飢餓や旱魃は事実だと反論しているが、與那覇さんが指摘するように
Where nothing ever grows, no rain or rivers flow,
Do they know it's Christmas time at all ?
(なにも育たず、雨も河も湧かない土地で、
彼らはクリスマスが来たと知っているだろうか?)
という歌詞は問題があるだろう。というか、こうした部分は1984年当時から「ケッ」と思っていたので、なんだか今更だなとは思った。
そもそもクリスマスが西暦12月25日に祝われるのも西欧世界の話であって、ユリウス暦がずっと使われ現代でもロシアはクリスマスをユリウス暦=ロシア暦で祝っている(それに対してウクライナがロシアへの反発からグレゴリオ暦に変更しようとしている)わけで、これは当初のチャリティの対象だったエチオピアの正教についても同様のはずである。(この辺りは與那覇さんの指摘通り)
彼らの地域やそこで暮らす人たち、あるいは彼らの宗教への敬意というものが十分にあったのだろうかという疑問は正当だと思う。ヒューズODG氏の言う「アフリカ人としての集団的アイデンティティ」と言う概念は必ずしもアフリカ人全てに共有されているわけではないので、そこはどうかと思うところもあるのだが、とりあえずは「アフリカ連合」と言う組織はその理念を一応は前提として運営されているので、まあ全く不当と言うことはないだろうと思う。
アフリカの「援助」というものは難しい点が多く、アフリカの多くの地域では牧畜民だけでなく農民でも移住しながらの生活が長い間一般的だったから、国民国家的な領域国家を運営するには難しい点が多い。もちろんヨーロッパ諸国が勝手に設定した国境自体に問題はあるのだけれども、それだけにとどまらない問題がある。
基本的に援助というものは彼ら自身が国家を運営し国民の生活を成り立たせていくことをサポートすることにあると私などは思うし、日本の援助関係者は基本的にその姿勢でやってきていると思うけれども、与えることで政治的に支配関係を作るという旧来のヨーロッパや近年のロシアや中国の姿勢の方がどうしても影響力を持ちやすいということもある。つまり、日本の関係者は日本的な国民国家による国家運営を理想としてそれに近づけようというところがあると思うけれども、彼らにとってそれが理想では必ずしもないからで、それなら気前よく援助をくれたりインフラを整備してくれたりする方が面倒でない、と思うところもあるだろう。この辺は戦争中に日本が中国をはじめとするアジア諸国に「欧米に対抗して自立していくアジア諸国」の理想を掲げ主導しようとしたものの結局あまりうまくいかなかったことと重なってくる。ある意味日本は理想主義的すぎるところがあるのだろうと思う。
ただ少なくとも善意の押し付けだけよりは彼らと同じ目線で問題を解決していこうという姿勢の方に、援助というものの基本はあった方がいいんじゃないかなとは思う(まあそこも最近難しいところだと思うところはあるのだが)ので、バンドエイド的な行き方に反発を感じていたということだろうと思う。
もう一つ感じた反発というのは、これはよく現在の日本でも「他国に援助するお金があったら日本国内の問題を解決しろ」という主張として現れてくるもので、まあ外交というものはそう単純ではないということはあるが、ただそのこと自体は正論だと思う。
22日に更新された「ふつうの軽音部」50話で主人公鳩野ちひろがバンド仲間に誕生パーティーを開いてもらい、泣くほど嬉しくて、帰ってきてコンビニに入ったら中学の同級生でバイト仲間である水尾からそれということなく「当たったからもらって」と炭酸水をもらって「謎だ」と思いつつ「悪い気はしない」ととても幸せな気持ちになって、帰り道にandymoriの「16」を大声で歌いながら帰る、という描写がある。
この「16」という曲はとてもいい曲なのだが、歌詞を仔細に考えてみると引っかかるところは結構ある。
「どこにも行けない少女たち 駅の改札を出たり入ったり
変われない明日を許しながら なんとなく嘘をつくのさ
16のリズムで空をいく 可愛くなれない性格で
全然違うことを考えながら 優しいんだねって嘘をつくのさ」
この歌詞を最初はなんとなく聞いていたけれども、考えているうちにこれは当時問題になっていた「援助交際」を歌っているのではないかと思ったのだった。
ちょうど昨日、予定をちゃんと決めないまま出かけて東京駅まで来たものの行く当てがなくなって新丸ビルの3階の椅子でなんとなくぼーっと座って家族連れとかを眺める羽目になってしまったのでなんだかこの歌詞を思い出してしまっていたのだった。
まあ私の「どこにも行けなさ」は結局新しい場所を開発するのを諦めて丸善のカフェまで戻って紅茶を飲みながらスマホでゲームをすることで解決したわけだが、本当に所在のない時はワイヤレスイヤホンで音楽を聴くことさえ忘れてしまっていたので、どうにもならない気がしてしまう時は本当にどうにもならないのだよな、と思っていたりした。
そんな曲をなぜ16歳の誕生日に上機嫌で鳩野は歌うんだろう、というのが疑問だったのだが、これはどうも全然違う解釈があり、それを読んで
「なんでもない日を繰り返し 歌い続けてから幾年が過ぎ
約束ばかりが増えていく 空っぽの空の向こうに」
というところから、「歌い続けている」けれども「約束ばかりが増えていく」ことへの漠然とした不安を「行く当てのない少女」に投影して歌っている、という解釈が成り立つと思った。そうなるとラストの
「祈りを込めて歌うように 神様に会いに行くように
16のリズムで空を行く 明日もずっと空を行くのさ」
というのも、「そうやって自分はこれからも歌い続けていくんだ」という歌い手としての心情と理解できるので、それならば「ボーカルとしてやっていこう」と思っている鳩野の心情そのものだから、納得できるなと思ったのだった。
クリスマスで、周りが賑やかな中、「行き場のない」ことの辛さというのは、若くて孤独であればあるほど感じることだろうと思う。この歌を聴いてトー横の話などを連想するのも自分のある種のバイアスの現れなんだろうなとは思ったけれども、クリスマスについて與那覇さんの記事を読んだということもまた一つの理由だったとは思うので、そんなことで書いてみた。
まあそれにしても、「やらぬ善よりやる偽善」というのも一面の真実ではある。自分も何か納得のできることでやれることができたらいいなと思う。