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報われない努力があるとするならそれを「努力」とは呼べない!工夫した努力は必ず報われる(我が師のことばより)
世に指導者を名乗るひとは、多方面に山ほど在る。
その山の中から、我が路に必要な「得難き師」と呼べて、一生涯教えや考えを求めたいと願えるひととの出逢いって?
それこそが、そのひとが備え持つ「人生の違い」だろうか?
わたしと息子は、しあわせだったな!想う。
スポーツ競技指導者は「勝たせて何ぼ!」の世界と言われる。
けれど「顧問教師」の場合には、それだけではない。
いや、それだけのひとがいて「強豪」だけれど、その挙句に事件になることも珍しくない。
そんな場合にも「愛の鞭」例外なく聞こえて来る。
「愛❤️」って何だ?
高齢者男子には、未だに分からない世界だ。
訃報が届いたはがりの、わたしと息子が「師」と仰ぐひとの数ある名言の一つが、タイトルに記した文言だ。
個々の選手や部員の「努力チェック」は大事だ!
非常に大事だ!
それを見ず・聞かず・確かめず、結果だけで判断する指導者に結果はついて来ない。
併せて「日頃の生活態度」の重要性然り!
手抜きする選手ほど、大事な局面でミスをしがちだ。
たしかに、前評判は低いのに、勝ち上がるチームや選手は「礼儀正しく・試合態度が良く」真面目な場合が多く見受けられる。
「あのチームには負けたくなかった」
「あのチームを勝たせたかった」
いろんな見方・目線の違いはあるけれど、おとなの考えることには、大差ないものだ。
今、じぶん勝手な「お節介」で応援しているシングルマザーさんの「音楽好き贔屓ちゃん」が、上部大会出場へと勝ち抜けている。
知って二度目のこの季節、二月の一桁台にコンクールがある。
昨年は、家族皆んなで新幹線に乗って🚅、宿泊して応援を勧め、果たした。
ことしもまた、その日が近付いている。
旅費と宿泊費を三人分送らなくちゃね。
「見に来てくれるのを楽しみにしているね」
本人からLINEが送られて来たけれど、昨年は行かなかった。
「全国大会まで待つよ!」伝えた。
ことしは、行く気でいたけれど、あいにく表題に書いた
「師」の葬儀が、昨夜連絡があり重なった。
やっぱり、夏の全国大会まで、待つことにしよう。
贔屓ちゃんの頑張りが「努力」として、花が咲くことを陰ながら祈っていよう。
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