道をつくること、流れを注ぐこと。これからの販路と流通についてダラダラと

(2023年9月29日追記)
 以下の記事は、2018年に読んだ本と、当時勤めていた仕事が思いがけずリンクしたときの模様を綴ったものだ。当時は半官半民の職場に勤めていて、主に地域資源の掘り起こしや、それらを活用し地域事業者さんと協働した商品・サービスの開発、リ・ブランディング化などを行なっていた。そのなかでも僕はさまざまな地域資源(ヒト・モノ・コト)の文化や魅力、背景にある歴史や物語を伝える媒体の編集や執筆を担当していた。

 地域にいる人々にひたすら話を聞き、情報を整理し、文字に起こしていく。話を聞くなかで現代の地域産業が抱える課題に何度も直面した。それは業界や分野が違えど、根っこにある、課題となっているものの構造はどこも一緒だったりする。

 とくにそのことをある本を読んで気付いたのだった。



 永江朗『小さな出版社のつくり方』という本を読んだ。
 手にしたきっかけは、いつか恋史郎コーヒーでやっていた倉本本店の出張販売。本屋をやりたいという人が多い昨今、本屋のつくり方や新しいタイプの本屋を紹介する本をよく散見する。しかし、「本屋をやりたい」という声はよく聞くが「本をつくりたい」もしくは「出版社をしたい」という声はなかなか聞かれない。
 
 僕も本は好きだし、将来的には本のある空間でもつくろうかなと考えていたが、本屋をしたいという人がたくさんいるなかで自分がする意味なんてとくにないなと思うようになった。本屋ばかりが増えたところでしょうがない。本に関わりつつも別の空間が必要だなと考えていたところ、この本と出会った。タイトルもそのまんま、装丁も素敵だし、著者の永江さんの文章はおもしろいという確信がある。そして、この本の版元である猿江商會なんて聞いたことがない。即買いだった。この本買うのオレしかいないだろうという自惚れがあったことも付け加えときます。

 東京都内を中心に活動している11社の小出版社および取次会社が紹介されていた。どの出版社の人々も本が売れない不況のなかで出版社をつくろうと思いいたった変わり者たち。いや、変わり者というのは語弊がある。出版社をしようと思ったきっかけは人ぞれぞれで、大手出版社に長年勤めあげたあとにはじめる人あれば、異なる業界を経験してからはじめる人もいるし、子どもとの時間を過ごすためにはじめた人もいる。出版社の規模は1人~数人の少人数(外部の協力者を含めるともっと大きくなるところも)、そのほとんどが兼業で働くという楕円形な生き方をしている。ゼニカネ勘定で動いていないところにかっこよさを覚えるし、成長分野ではないと言われるなかで、別の仕方で成長を遂げようとしているところも素敵だ。

 紹介されていた人々には共通した課題があった。それは出版業界の産業構造を変えること。または構造に支配されない形で、独自の販路を開き本を流通させること。本のなかでは、これまで主流となっていた販路・流通では出版業界に未来はないことを指摘している。つまり、本を書く人も、つくる人も、売る人も、読む人も、本に関わる人すべてが不幸になりかねないということだ。本が買い手である読者に届くまでには、一般的に出版社→取次→書店という経路をとる(もちろん、著者や印刷・製本の過程を含めるともっとその経路は多くなるのだが)。

 本の販路は取次会社(大手で言えば日販やトーハン)の持つルートと規則に則るのがこれまでは普通。簡単に言えば取次会社は物流・金融(決済)・情報を握っているので、出版社も書店も本のことを取次に任せてしまえば、営業や注文、精算の手間が幾分か省かれて大助かり。しかし、主流の委託配本制や卸値の割合が現在の出版状況、読者ニーズとずれており、関わるすべての人が稼げない事態となっている。

 それらに代わって最近は出版社と書店の直取引や直販、注文出荷制が注目を浴びるようになった。紹介されていた小出版社たちももれなくこの方法をとっている。また、委託配本制も活用しているところもあり、やり方は出版社の規模や資産の程度にもよるようだ。もちろん注目を浴びる方法とはいえ、まだまだ課題もあるようだが。

 これまで本にまつわる話を書いてきたが、この本を読んでいてあることに気がついた。

 実は農業事情もまったく同じ構造的問題を抱えている。もしかすると、ほかの業界でも同じ事態かもしれない。僕は仕事で農家さんに取材をすることが多々あるが、彼らが抱える問題もまさに販路や流通にある。決して販路がないわけではない。それこそ農業にも協同組合のような取次の役割を果たす組織が存在し、それの持つ販路によって僕らは新鮮な野菜を日々味わっている。

 問題は販路・流通の構造にある。365日稼働している農家さんの収入が向上する見込みはなく、しかも収入そのものも地域で格差が生まれている。昔は稼げたけど、今はいくらつくっても稼げないという話を聞く。ある人は大名に年貢を納めていた時代と何ら立場が変わってないとも言っていた。

 勘違いしてほしくないが、取次や仲卸の存在を否定したいわけではない。僕はそれらの存在は物を安定的に供給するためには不可欠だと思ってるし、物をつくる人々を支援する機能も併せ持っていると考えている。ただ、現在の状況に合っておらず、結果として誰も得する者がいない事態があってはならないということだ。理想論かもしれないが、つくる人、届ける人、売る人、買う人といった関わる人すべてがハッピーであることが一番望ましい。すべての業界で言えること。

 つくる人は必ずいるし、買う人も必ずいる。肝心なのはつくる人が潰れないための「道」をつくり、そこで人や物の「流れ」を生み出すことか。そして、続けていくために兼業や複業のように楕円形に生きる覚悟。もっとも、これらはスモールサイズで行うことに意義がありそうだが。

 話がふくらんだなあ。全然答えも出ていない。
 まあ、いろいろと考察するきっかけを与えてくれた本書、そして倉本本店、恋史郎コーヒーに感謝。ありがとう。


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半田孝輔|ライター・編集
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