第5章 半年間に及んだ抗がん剤治療。経験した身体的・心理的変化。そして感じた日常の尊さ
この章では全6クール(約半年間)に及んだ、抗がん剤治療についてお話します。半年間の治療による身体的な変化とともに、長期治療による気持ちの変化についても綴っていきます。
抗がん剤治療期間の生活
治療内容は過去の章でお伝えした通りです(下記参照)。
抗がん剤の投与は2週間に1回のペースで行われます。2種類の薬を交互に投与するので、1回ずつ投与したら1クール(約1カ月)が終わることになります。それを半年かけて全6クールの抗がん剤投与をしました。
私が治療していた期間、病院から一歩も出ることが許されませんでした。なぜなら当時コロナウイルスが流行っていたからです。コロナに万が一感染してしまうと、免疫力が低下しているため治療を中断しなくてはいけないと医師からは言われていました。また最悪の場合はコロナの感染で死に至る可能性があるとも言われていたので、家族にすら会うことができない状態で入院生活を送り始めました。
入院をして2ヶ月が経った頃、外と遮断された状態で治療をこなしていくことが精神的に耐えられなくなっていきました。外にも出られず、家族や友人にも会えない生活がとても窮屈に感じてきたのです。もともと私はアクティブなタイプだったので、普段は毎日運動をしていましたし、休みの日も1日中家にいることができないタイプの人間でした。そこから比べると入院生活は刺激も成長できる機会もなく、生活自体がとても息苦しかったです。ただ終わりの見えない治療を淡々とこなす日々でした。治療が終わるとまたすぐに次の治療が始まるので精神的に休まる暇もなく、目の前の苦しさを乗り越えることでいっぱいの毎日でした。
この生活を半年以上続けることは厳しいと思うようになりました。そこで主治医と相談をして、第3クール以降は1週間の入院と1週間の一時帰宅を繰り返して治療を続けることに同意してくれました。退院を許可する3つの条件として
1.毎日病院に通院して白血球を上げるための注射を打つこと
2.自力で栄養(水分)がとれること
3.再入院の際は毎回PCR検査を受けること
がありました。そこからは薬の投与が終わったらどんなに体調が悪くても鉄の味がする水を毎日2L飲み、1日でも早く家に帰れるような行動を心がけました。そして退院が許可されると1週間家に帰ることができる様になりました。
白血球を上げる注射はほぼ毎日打ちました。筋肉注射のため結構痛かったのを覚えています。皆さんが打っているコロナワクチンも筋肉注射のため似たような感じですが、投与する薬の量も多いので痛いですし、同じところに打つので常に注射のあざがありましたね(笑)。入院中に暇だったので数えたことがあるのですが、累計で113本の注射を打っていました。こんなに打ってくれた看護師さんには感謝しかありませんね(笑)。こうして病院と家での生活を1週間おきに繰り返して、1クールずつを乗り越えていきました。
そして治療開始から3ヶ月か経過し、3クール目が終わるときに精密検査をすることになりました。検査をする目的は今の抗がん剤が効いているのかを確かめるためです。もしここで腫瘍が小さくなっていたり、転移がなかった場合は今の薬が効いているという判断になります。逆に現状維持もしくは悪化していた場合、今までの治療はすべて効果がなかったということになります。この検査を受けるときは「お願いだから効果が出ていますように」という気持ちでした。というのも今回の治療は抗がん剤の中でも強度の高いものを使用していたので、もし現状の薬で効果がなかった場合、他の抗癌剤では治せる可能性が低いという説明を事前に受けていました。なのでここで結果が出なかった場合は延命治療(完治を目指すのではなく、寿命を延ばすための治療)になる可能性が高かったのです。社会復帰を目指している自分からするとここはなんとしても突破しなければいけない壁でした。そして検査をした結果、効果が出ているという判断になりました。腰にある腫瘍も若干小さくなっていましたし、肺に転移していた腫瘍も殆どなくなっているのが確認できました。なのでここを折り返しとして残り3クールの治療を行うことになりました。
後半の3クールは前半の3クールよりも辛く感じました。これまでの治療の副作用が蓄積されてくるのでどんどん体調が悪化してきて、薬の投与がない日でも毎日体調が悪かったです。この時期に一番苦しかったのは薬の副作用で息苦しくなることでした。夜寝る前になるとどれだけ深く呼吸をしても酸素が足りない感じがして苦しくて寝れないことがあります。呼吸が浅いのが自分でもわかるので、「もしかしたらこのまま寝ている間に呼吸が止まってしまうかもしれない」と不安を抱えながら眠りにつく毎日でした。なので毎日朝を迎えるたびに、安心すると同時に感謝の気持でいっぱいになるという不思議な経験をしました。また、食欲もなく、ご飯の匂いを嗅ぐだけでも気分が悪くなる状態でした。そのため最低限の水分のみを摂るようにしていました。食事以外の時間はテレビやスマホをみることも気分が悪くなるためできません。なので1日中ボーっと天井とにらめっこして過ごす日もよくありました。
こうして全クールが終わり、再度検査をした結果、腰以外の腫瘍はほぼ全て消えていて、想定通りの結果を得ることができました。こうして1つ目の約半年間の抗がん剤治療を乗り越えることができました。
半年間の身体的な変化
大きな変化としては、体重の増減と筋力の低下がありました。
入院中は吐き気が強いこともあり、ほとんど食事をとっていなかったので、1週間で4キロくらい体重が落ちます。ただ抗がん剤の副作用の一つに浮腫みがあったので、浮腫みを減らすために水分だけはどんなにつらくても摂取していました。一方で一時帰宅できる1週間は次の治療を乗り越える体力をつけるために食べれそうなものは何でも食べていたので、再入院する時には2キロくらい体重が増える感じでした。結果的に半年間の治療で8キロくらい体重が落ちました。
筋力の低下はどんどん進行します。基本は寝たきりの生活で、体調がいい日はリハビリとして軽く自転車を漕ぐくらいしか体を動かす機会がありません。なので退院するときは2,3歩くだけでふくらはぎが筋肉痛になったり、階段を上るだけで息が切れます(笑)。また、栄養不足もあり常に貧血状態だったので、立ち上がっただけで貧血で倒れてしまったり、自分では歩けないので車椅子を押してもらい退院することもよくありました。
今まで当たり前にできていたことがどんどんできなくなっていきます。小さな段差にもつまづいて転んだり、足の感覚が麻痺していて階段から落ちたり、体が思った通りに動かず「あれ、なんでできないんだろう。」という不思議な気持ちになります。
また、退院後に体調が悪いなかでも、食べ物を食べたりウォーキングをしたりして体力を戻すような行動を心がけます。しかし次の週に抗がん剤を投与すると、またゼロからのスタートとなってしまいます。積み重ねたものが何度もゼロになる瞬間は少し辛かったかなと思います。
半年間の心理的な変化
病気になってからは心理的な変化と環境の変化がありました。心理的な変化とは「自分はいつ死ぬかわからない」という死を強く意識するようになったこと。環境の変化は「病院以外で生活ができなくなった」ことが挙げられます。そして何よりつらいのは孤独ということです。
死を意識するようになってからは、自分の今までの人生を振り返ったり、これからをどう生きていきたいかを考える時間がとても増えました。それによって自分の生きる目的や今を生きることの大切さを常に感じることができるようになったので、すごくプラスの時間だったと思います。
また、環境の変化を経験して、日常が当たり前ではないことに気づくことができました。病院内は基本無音です。自然の風も吹きませんし、匂いも食事以外で感じることはありません。一度、一時退院をした際にフラワーパークに足を運びました。その時に感じた自然の豊かさは今でも忘れることができません。心地よい風が吹いていて、その風に乗って花の香りが漂っていました。一時帰宅した際に感じたのは生活雑音が心地いいこと。水が出る音や人が歩く音、何気ない会話の声などがとても尊いものに感じました。食事に関しても、好きな時に好きなものを食べられることがどれだけ幸せなことかを知りました。治療中は常に吐き気があり、味覚も変になってしまうので、食事をおいしいと感じることはほとんどありません。どの食べ物なら吐かずに栄養を取ることができるだろうかという視点で食べるものを決める毎日でした。
そして一番皆さんが想像つかないのは孤独との闘いだと思います。友人や家族と何気ない会話をすることができないという物理的な孤独だけでなく、この病気について誰も理解はしてくれないという心理的な孤独との闘いも常にあります。この病気になった人やこの治療を経験した人はもちろん周りには一人もいません。なので数えきれないほど辛いことがありますが、誰かにそれを伝えたところで現状は何も変わらないと思って生活していました。痛い、苦しいなどは看護師に伝えることで薬によって良くなることがあります。ですが、体調や体力筋力の低下、味覚の変化など多岐にわたる副作用や後遺症を細かく人に伝える労力もまたストレスに繋がりますし、これって伝えても理解できないだろうなってことが実はほとんどなんです。この心理的な孤独は闘病生活後も一生付き合っていくことになります。これも自分の個性として受け入れていくことが重要なのかなと最近は思うようになりました。
今までの人生は、壁にぶち当たっても乗り越えられることがほとんどでした。いろいろな手段を考え、実行していくうちに解決策が見つかるのが当たり前だと思っていました。しかしこの闘病生活を通して、どうあがいても解決できない問題があるということを知りました。努力だけでは埋められないことをもあると知りました。このようなものを自分の中でうまく消化していくのは本当に難しいなと日々感じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。