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根性がないとダメなのか〜プロデューサーの凄すぎる実力にクリビツテンギョー編

-前回の続きー

今思えば武藤さんのアレンジは当然なのですが、我々は骨太以外の選択肢が無かったので『自分たちの音じゃない!』と妙なアレルギー反応を起こしてしまい、『もっと骨太なアレンジに変更してください!』と掛け合ったのですが、やはり経験値も無い、客観性の無い我々の主張は退けられ我々なりの骨太ロックはキラキラしたポップなモノに変貌していったのでした。
頭では理解出来るのですが、やはり子供のワタクシ。
中々受け入れ難い内容でしたが、レコーディングも差し迫っている訳で、頭をスパッと切り替えて『このキラキラにガッツリしたロックギターを入れてやる!』と奮闘したのでした。
その時の体験は後に宝物になるのですが...今回は


『プロデューサーの凄すぎる実力にクリビツテンギョー編』


をお送ります。







やはりプロフェッショナルのアレンジャー/プロデューサーの指導力は一定の説得力がありワタクシは全く歯が立たなかった訳です。

『くそー、自分なりのフレーズを入れないと普通のギターサウンドになってしまう。。』

今でこそ、割とスタンダードなプレイも自分らしく弾けるようになったものの、当時は了見が狭すぎて'キワッキワ'のプレイにしか反応できないプレイヤーでした。

少しでも変なプレイをしてやろう!
アクを出してやろう!
クセクセぇ!


...と言う『変わったことをしないとダメ病』に陥ってました。
割と多くのギタリストが陥ってしまいがちな(❔)分かりやすい音楽の罠にマンマと引っかかってしまっていた訳です。
当時の我々としては

『ブリッドポップ』を日本人がやったら...

的なテーマでバンドでアレンジをしていたので、どうしてもイギリスのティーンネイジャーが聴くようなインディー系を意識するとfuzzを上手く使ったプレイや、歌の後ろでオブリを面白く入れてフックを出すようなプレイを取り入れる方向になっていました。
しかもなるべくローテクでアイデアが光る内容で....と言った感じです。
ワタクシももちろん意識して弾いていた訳ですが、そのインディー感はギターで出してやる!とレコーディングの日に向けてアレンジを練り直していた訳です。

そしてレコーディング当日。

代々木のレコスタにメンバー含め関係者10名程でレコーディング開始しました。




アレンジャーの武藤さんは非常に的確なアドバイスを各楽器に出してくれました。
我々のバンドメンバーはbaとvoは余り深く物事を考えないので

『なんとかなるっしょ』



『武藤さんが考えてくれるよ』

って感じでした。
しかしそんなに甘くありません。

『baのそのフレーズなんだけどシンセのこのフレーズとユニゾンのハズだけど』

とか

『今のはピッチが甘いからやり直し』

とか

『voのギターのコードなんだけど3声じゃなくて4声に出来る?』


などなど。
デモで頂いた音源をしっかり聴いてればそんな事にはならなかったのですが、他力の2人はガンガン詰められました。
しかも的確でいてユーモアを混ぜて伝える姿に感激したワタクシは、

『なんて視野が広い方なんだぁ〜!』

と感激したのを覚えてます。

ギタボのrecとベースのrecで手こずり、ギタボのギターrecが終わった段階で0時をまわってました。
ワタクシは

『今日は俺までまわってこないだろうなぁ』

と諦めていたところ、エンジニアのi氏に

『高慶はすぐ終わるからやっちゃおっか。』

と提案され周りのスタッフも同意。
そうです、ワタクシはrecめちゃくちゃ早いんです笑
バンドのrecの中で少しでも時間を有効に使いたいワタクシはめっちゃ練習を仕込んでメインのレコーディングはさっさと終わらせて、残りの時間で沢山アイデアを
試すのが通例でした。
と言う訳で1時あたりからワタクシのレコーディングは開始したのです。(当時19歳らへん笑)

その中でアレンジャーの武藤さんは凄くワタクシをミュージシャンとして褒めてくれたのを覚えています。
その日の録音の中でよく言われたのが

『それ新しいね!』

でした。
ほんと毎日ノイローゼになるくらい考えて絞り出したフレーズの数々。
沢山修正が入ると思って練りまくったフレーズ。
ほぼ全て採用して頂けました。
音楽に対して真摯に向き合えばプロのアレンジャーの方も納得させられるんだ!と自信を持ったと同時に、アレンジャーの方と言うのはとにかく三手先くらいまで見通して発言や行動をされているんだな、と感心させられた録音でした。

ギターの録音も終わり2mixをもらって朝方に解散。
朝焼けを見ながらバンドの未来をワイワイ話しながら僕らは帰路に着くのでした。


つづく

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