読書感想文【学問のすすめ】福沢諭吉著
こんにちはコウカワシンです。
今回は、福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)さんの著書【学問のすすめ】から学ばせていただきます。
本書は、「人間が自由平等を得るためには学問が必要」ということを教えてくれる本です。
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず
この「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉は本書の冒頭に出てきます。
実はこの続きがあって、原文は省きますが、「元々、この世の身分の差なんてあるのが当たり前で、この差は学ばないから生まれるのだよ」と言っています。
たしかに江戸時代には「士農工商」といった身分制度があったかもしれません。
これにより生まれながらに高い身分、低い身分からくる身分格差で苦しめられた人もたくさんいたことでしょう。
でも元をたどれば、このような身分の差が出た背景には「学んできた差」というものが大きくものを言うのです。
「学んできた差」とは、時代の流れを読む学び、今現在必要だとされる学び、対人関係を良好にし人を支配するための学びなどです。
たとえば、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)は、貧しい百姓の出自ですが、持ち前の機転の良さと世の流れを読む学びに長け、人心を操る術を巧みに活かし天下人にまで昇りつめました。
たしかに豊臣秀吉に誰もがなれるわけはありませんが、現代のような身分の差がない時代にいわゆる「人間の差」を感じているというならそれは「学びの差」と言わざるを得ないでしょう。
福沢諭吉は、「学ぶことは個人の自由と独立を形成するとともに他人との付き合い方も向上する。だから全国民がそうするべきだ」と言われています。
なぜ学ぶことが必要か?
そうはいっても「勉強なんか嫌いだ」「こんな勉強が何の役に立つの?」と思う人もいるでしょう。
でも、学ぶことはとても大切なのです。
それは次の理由からです。
人間の差とは学問習得の差であるから
この世は日進月歩だから
日本国民の民度が低いままでは世界と張り合えないから
そもそも人間の差を感じるときって、経済格差を感じるときが多いのではないでしょうか?
たとえば「あの人は〇〇という仕事をしているから高収入だ。うらやましい」といった感じです。
その〇〇とは、たとえば医師であったり、弁護士であったり、政治家だったりします。
それらは難関資格を取得するとか高学歴でないとなれないものばかりですよね。
つまり、「学問取得の差」が招いた嫉妬だったりするわけです。
しかし現代では、誰でもが目指せる可能性があります。そのチャンスに挑戦するためには学ばないと得られません。
そして「この世は日進月歩」です。
学び続けないと時代に取り残されていくのは目に見えています。
たとえば「今やっている仕事が数年後になくなる」「AI時代に生き残れるのだろうか」と心配している人はもれなく学んでいない人たちです。
学んで自分で考え理解できれば、余計な心配をすることもないし、他人にだまされることもなくなります。
さらに日本国民の民度も高まり世界との競争能力が高まります。
福沢諭吉の生きた江戸後期から明治初期では、この日本国民の民度をめぐり、外国との不公平な取引や差別を余儀なくされました。
外国との対等なつき合いを求めるには国民の民度を高めないといけませんし、それを解消すべく立ち上がったのが福沢諭吉なのです。
福沢が創立した慶應義塾(現在の慶應義塾大学)は、福沢イズムを継承し、人間の自由・平等・権利の尊さを理念としています。
そしてそれは現代においても同じです。このグローバル社会において学ばない国民の多数いる国は間違いなく滅びるといわれています。
こういう言い方は語弊がありますが、「支配する側」と「支配される側」は、学んだ差であり、これは国家間においても対人間においても同じなのです。
どういった学びが必要か?
どういった学びが必要かというとズバリ「実学」です。
「実学」とは、次の通りです。
暮らしや仕事に役立つ実践的な学び
経済活動と関わる知識
自ら問題点を見つけ、その問題を解決する思考法
「暮らしや仕事に役立つ実践的な学び」とは、自分の生活や将来的な見通しなどから最適解の方向に向かうための学びといえます。
そのための情報収集は学ばないと身につきません。
たとえばニュースや書籍などからヒントを得て、どのように自分に生かせるかは考える力がないといけません。
経済活動と関わる知識においても、私たちが収める税金などでどのような控除があるかは知らない人の方が多いのではないでしょうか。
コロナ対策による補助金もただ口を開けて待っているだけでは受け取れないものもあったはずです。
つまり、「情報弱者は損をする」のです。学んでいる人は税金ひとつにとってもきちんと節税の勉強をしています。
「給料が上がらない」「今の会社がブラックで生きるのがしんどい」というのは、市場の重心がどこにあるかとか、労働環境についての学びが足りません。
そういった「自ら問題点見つけ、その問題を解決する思考法」を持たなければ、その人はやがて社会から脱落していくでしょう。
福沢諭吉は、ときの覇権国がオランダからイギリスに変わったことから、これまで学んできた蘭学(オランダ学)を捨て、英学(イギリス学)にすばやくシフトしました。
この時代を読み、変わり身の早さを身につけるには、やはり「自ら問題点を見つけ、その問題点を解決する思考法」を持たないと乗り切れないことを熟知するべきなのです。
どうすれば学ぶことを身につけられるか?
これはいろんな答えがあると思いますが、共通するものをあげると次の通りだと思います。
使命感を持つ
挑戦心を持つ
見識を磨く
ただ単に学ぶだけというのはなかなか続くものではありません。何か心の支えが欲しいものです。
それはつまり「使命感を持つ」ことでしょう。
福沢は、学びを得て見識を高め、それにふさわしい振る舞いをさせるために自己満足せずに上を目指す使命感を持つことを推奨しています。
使命感といえば、与えられた任務をなしとげようとする気概や責任感を指しますが、私は心の支えはそんなに重くなくていいと感じます。
言い換えれば、自分自身が目標を設定し、それを達成するために日々努力するというスタンスでいいのではないでしょうか。
そのためにも少し目標のハードルを高く設定し、チャレンジするという挑戦心を持つべきでしょう。
そうすることにより、昨日よりは今日、今日よりは明日と、見識を磨く姿勢も持つことができます。
こういった積み重ねが、自分自身に学ぶことの大切さを身をもって感じ取ることができるというものです。
さらに自信を持ち、将来的に自分はどうあるべきか、そのためにはどのようにすべきかまで考えられる思考法も持てるでしょう。
そのような人は、どのような社会になってもしたたかに生き抜くことができます。
すでに古典ともいえる本書は、今の時代にも生かし本来の人間の脳力をさらに高めるためにも、これから時代を生きる全世代の人たちに読んでいただきたい一冊であると言わせていただきます。