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読書感想文【夜と霧】ヴィクトール・E・フランクル著
こんにちはコウカワシンです。
今回は、ヴィクトール・E・フランクルさんの著書【夜と霧】から学ばせていただいたことを書きたいと思います。
本書は、「絶望や苦境と向き合う方法」を教えてくれる本です。
本書の著者ヴィクトール・E・フランクルさんはユダヤ人であり著名な精神科の医師で、アドラー、フロイト、ユングに並ぶ心理学者でもあります。
1939年9月にドイツがポーランドに侵攻したことで始まった第二次世界大戦で、ナチスによるユダヤ人迫害により、2年半もの間、強制収容所に囚われました。
収容所では極寒のなか重労働を科せられ、粗末な食事、最悪の衛生面、乱暴な監視人のなかで生死をさまよう過酷な生活を強いられました。
そんななかフランクルさんは、心理学者として、過酷な状況に置かれた人間の様子を克明に記録し、「人間とは何か」という普遍の問いにひとつの答えを見出そうとしました。
「人は、何に絶望し希望するか?」
時として容赦なく突きつけられる“運命”との向き合い方を探る一冊です。
人間は絶望の前には無情になる
強制収容所で待っていたのは、ありとあらゆる自由の拘束でした。
たとえばアウシュヴィッツ収容所に到着すると持ち物はすべて取り上げられ、それぞれに番号を被収容者に振り当てられます。
フランクルさんは、「119104」でした。もう医師でも心理学者でもない重労働者として扱われたのです。
重労働者となれたら良い方で、それ以外の人はガス室に送られ「死」が待っていました。
被収容者は毎日の重労働、不衛生な環境、不十分な栄養や休養、監視兵の乱暴などから、徐々に疲弊し、それらの絶望的状況から内なる感情が抹殺されていきました。
そうなると人間は、感情自体がなくなったり、にぶくなったり、何が起きても無感情、無関心へとなっていきます。
これは人間としての心を守るための自己防衛反応なのですが、そのような精神状態が続くと自己保存メカニズムさえも奪われ、最終的には希望も失い「死」を待つのみとなります。
実際に点呼の時間になってもベッドから起き上がれなかったり、「どうせいつ殺されるかわからない」と自暴自棄になってしまった人は全員亡くなったのだそうです。
たしかに「死んだほうがマシ」的な状況ですが、そんななかでも生き残った人はいるのです。
そのような苦境に負けない人とは、どのような人だったのでしょうか?
苦境に負けない人間になるには?
本書から導き出された「苦境に負けない人間になる」ために必要なことは次のようなことです。
心にユーモアを持つ
どんな状況でも自分の行動は自分で判断する意識を持つ
わたしたちは人生に「どう生きたいのか?」と問われている意識を持つ
「なんだそんなことか」と思うかもしれませんが、苦境に立たされた人間は心が打ちのめされていて、こんなことでさえできないものなのです。
そして、これらができない人が絶望を感じて自ら命を絶ったり、精神的にダメージを受けてそのまま衰弱死してしまいます。
「心にユーモアを持つ」というのは、とても大事なことで、被収容者同士で冗談を言い合ったり、誰かが歌を歌うのを聴いて心が和んだり、夕焼けのきれいさをみんなで見て心豊かにして生き延びた例が本書にあります。
「自分の行動は自分で判断する意識を持つ」とは、いつでも主体的であることを意味します。たとえ理不尽で苦しい状況においても主体的であれば乗り越えれるという意識を持つことが生き残りを勝ち取るために必要です。
これにつながることとして「どう生きたいのか?」という意識を合わせて持つことが重要です。
外部の苦境的な要因で「生きる意味なんてない」と考えると人間は自暴自棄になり、それが原因で自己破滅の道を進んでしまいます。
対して、苦しいときでも、人生が、神様が、自分に対して、「おまえはどう生きたいんだ?」と問いかけてきてるという意識を持ち行動することしか自分を助けることはできません。
人生を意味があるものにするためには何が必要か?
「人生の意味」を感じるために必要なことは次のことです。
愛
今このときが誰かのために役立っているという思考
長期的な希望
フランクルさんは、9カ月前に結婚した奥さんのことを毎日毎日思い出し、深く愛した奥さんのことを想うことで心を保っていました。
そして、「自分の人生に何の意味があるんだろう?」と考えたところで答えが見つかるはずがありません。ならば考え方を変えて「これは誰かの役に立っているんだ」と考えたほうが建設的ですよね。
そして長期的な希望こそが心の安定化につながります。
たとえば収容所では、「クリスマスになったら恩赦があってここから出られる」という根拠のない情報から希望を持った人たちが、それが叶わなかったことで絶望し死んでいったそうです。
つまり、「自分ではどうにもできないことに期待してしまった」ということです。
自分ではどうにもできないことに期待しなかった人は、「長期的な希望」を持っていました。「長期的な希望」とは期限を設けないということです。
ある人は「ここを出ることができたら子供に会おう」とか、ある人は「自分は本を書いている。ここを出たら続きを書かなくては」というように自分に期待している人が生き残るのです。
こうしてみると、「愛」や「変わらぬ希望」を持つことの重要性が人の生命にまで関係してくるということがわかりますね。
どうすれば自分らしい人生を歩めるか?
「自分らしい人生」を歩むために必要な要素は次の通りです。
外的要素に振り回されない
今このときをどう生きるかを自分で考える
期日を設けない
先ほどの「クリスマスには恩赦があってここを出られる」といった自分ではどうにもできない外的要素に期待してしまうと、叶わなかったときのショックが大きすぎます。
それよりも長期的な希望を胸にし、今このときをどう生きるのが自分にとってよいのかを考えるべきです。
もちろんそれには期日を設けないことが心の安定につながるということです。
ヴィクトール・E・フランクルも体験した「ホロコースト」では、その劣悪な環境以外にも多くの人が心を病んで死んでいった。
そんな中で大事なのは「自分はどう生きるのか」を考え続けることである。
この記事では、フランクルさんが体験したナチスによる「ホロコースト」のくわしい様子については、省かせていただきました。
「ホロコースト」の悲惨さや人として生きる尊厳を踏みにじられる行為は、絶対許されるべきではありません。
そういった意味で全人類が読むべきではないかと思います。
それから全人類が読むべき理由はもう一つ、「人間は強い生き物だ」ということを知っておくべきだからです。
どんなに劣悪な、しかも「死んだほうがマシ」的な状況に追いやられても「生きよう」という気持ちさえあれば、生き残れるのです。
そういった意味で、本当に読んでよかったと思える一冊でした。