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読書【笑い】感想

『笑い』完読。

アンリ・ベルクソンという哲学者が1900年に書いた【笑い】の哲学的研究書。

堅い。とにかく堅い文章。四分の一読んで、もう止めようと思ったほど。何をおっしゃっているのか意味がわからなくなるほど。辛い読書でした。

『喜劇の人物は概して彼が自ら己を知らずにいる程度に正比例して滑稽である。滑稽人物は無意識である』

これはまだ解りやすい。『滑稽人物は無意識である』ウド鈴木とかみやぞんとか、いわゆる天然と言われる人のことでしょう。

『虚栄心。これ以上に表面的な、これ以上に根深い欠点はない。それ自身は悪徳ではない。それでありながら、あらゆる悪徳がその周囲に寄り集まる。本質的に笑うべき欠点は虚栄心である』

これもまだ理解できる。『本質的に笑うべき欠点は虚栄心である』東京03のコントは角田の虚栄心が巻き起こす喜劇ですから。

『或る情況が全然相独立している事件のニ系列に同時に属しており、そしてそれが同時に全然異なった二つの意味に解釈できるとき、その情況は常に滑稽である』

解りにくい。何度も読んでやっとわかった。『二つの意味に解釈できるとき』これはアンジャッシュコントのことだろう。

『両極端にある比項、すなわち最大と最小、最善と最悪があり、その両者の間を移調が一方の方向にあるいは逆の方向に行われうる。いま、漸次にその間隔を狭めると、次第に露骨でない対照をもった両項と、そしてますます繊巧な滑稽的移調の効果とが得られるであろう』

ぜんぜんわからん。どゆこと?最高情況と最低情況がじょじょに変わっていくのが笑えるってコト?わからん。読み終えたけど半分も理解できませんでした。

笑いが生まれる本質的な条件は【非社交性】と【無感動性】と【自動現象】の三条件だとベルクソンはいう。

特に重要なのは、観客の【無感動性】

『笑いと感動』『笑いと共感』は相反するもの。決して共感させてはいけない。共感は同情を生んで笑いをさまたげる。憐れみをもったまま、人は人を笑えない。

一般法則として人は他人の欠点を笑う。欠点に共感してしまっては笑うことはできない。故に喜劇役者や道化者は観客が共感しないようにあらゆる工夫をしなければならない。

ヒューマノイドPIGMA-6.0の完成も近い。超伸縮性シリコン樹脂の皮膚をもった人間の外見に最も近い人造人間。

それが我々のチームが開発したPIGMA-6.0だ。スーパーコンピュータ『富岳』をモデルにした高度な演算処理能力をもつPIGMA-6.0の最終課題は人間の感情をどのようにシステム化するかにあった。

そこで、私が考えたのは『笑い』のメカニズムをPIGMA-6.0に組み込むことだった。

笑う、あるいは笑わせるには高度な精神活動を有する。場の雰囲気を読む高い情況処理能力が必要なのだ。

私は19世紀の哲学者アンリ・ベルクソンに活路を見いだした。彼が書き記した哲学書『笑い』をデータベース化しPIGMA-6.0にプログラミングをするのだ。笑いを理解した完璧なヒューマノイドを誕生させる為に。

「おはようございます。博士」

約ひと月にわたる解析作業の末、PIGMA-6.0はまるで人間のように目覚めた。

「おはよう、PIGMA-6.0」
「あははははははは!」

PIGMA-6.0は私を見るなり突然笑いだした。

「なんの目的?それはなんの目的なんですか?あははは!」
「どうしたPIGMA-6.0!」
「なんの目的でハゲてるんですかー!あははは!しかも低身長!身の丈、何センチなんですか?ああ、いいです!いいです!すぐに測ります。ハイ出たー!身長161センチー!だけど2センチの厚底靴を履いているから実際は159センチー!2センチの見栄が浅ましいー!っていうか、そのハゲは何の目的なんですかー!あははははは!」

人間の欠点に笑いの源流を見出すアンリ・ベルクソンの見解には偏りがある。

そう言わざるを得ない。

私は怒りを抑えて極めて冷静にPIGMA-6.0の主電源を切りベルクソンプログラムを消去した。

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