狭く深く暗く静かに撮る
どうにもこうにもイイネがつかない。
instagramを使用している、おおよその人が持つ悩みではないだろうか。
僕は写真をウェブにアップロードして、ちょこちょこイイネを貰うだけで満足しており、あまり深くは考えなかったが、よくよく思うと『instagramに投稿しておきながらイイネが少なくても自分は満足』というのもあまりに不健康というか逆張りじみてて、それはそれでカッコ悪いかも知れないと思うようになった。
まぁ最近のnoteの記事など読むと『イイネを求めるような写真は逆にカッコ悪い』という風潮らしいので、そんな事もないかもしれない。しかしながら、イイネというシステムがあり、それがinstagramの評価であることは間違いないのだから、それが欲しくなるのは程度にもよるが健全というものだろう。女の子に対してガッツキすぎるのを嫌厭し過ぎて、彼女が欲しいのに出来ないというのも馬鹿らしい。
とにもかくにもイイネがつかないのである。
あんまりにもつかないものだから、何かしら理由があるだろうと思い、instagramで人気が出てプロになったという人達の写真を拝見させて頂いた。
理由は一目で分かった。
自分の写真は、とにかく暗いのだ。
別に特段暗くしようと意識している訳でもないのだが、ずらっと並んだサムネイルを眺めていると、まぁ全体的に彩度は低いしどうにもこうにも陰気臭い。
気が付かなかったというのも馬鹿な話ではあるが、言うほど他人の写真は見ないし、困ったことに本人的には良い!最高!と思っているのだ。少なくとも現像する段階では。
対していわゆる”バズってる”人達の写真は凄い。特に10代20代の若い子達の写真は、とにかく明るい。
ふわふわでキラキラ、フレアやゴースト、色彩も感情豊かでまるで夢の中にいるようだ。脂ぎったオジさんの目にはあまりに眩しい。
恐らく彼ら・彼女らには世界がそのように見えているのだろう。
世界に対する感度が物凄く高い。Photogenicとはよく言ったもの。
写真が輝くとはこのことだ。
F値を絞り、シャッタースピードを速くし、感度を上げ、シャッターを押す。
それが自分の撮り方だ。静かで、キリキリと、それでいてどこか破綻しているような写真が良い。
たまに絞りを開くこともあるが、大抵ポートレイトかあるいは周辺を崩したい時だ。レンズにもよるがF4からF8くらいの描写が好みだ。
自分の好きな写真のブログに、こう書いてあった。
感度を自在に変えられる現代のカメラで撮るのであればレンズのF値は最早明るさではなく、被写界深度が浅いか深いかでしかない。
『浅く広く』ではなく『狭く深く』撮ることが性に合っていると。自分もそう思う。
自分にはとてもじゃないがキラキラした写真は撮れない。そういう風に世界は見られない。基本的に陰キャなのだ。
世界は暗く、それでいて美しい。
それを狭く深く、そして静かに撮っていきたい。
例え他人から良いと言って貰えなくても、そういう陰気臭い写真が、あっても良いんじゃないかと今では思うのだ。
いやまぁ、それはそれとしてイイネは欲しい訳ではあるのだけれども。