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ずれるピント

ピントが、合わない。
ファインダーを覗いてシャッターを切るわけだが、よくよく見るとピントがずれてる。
背面液晶で確認できる分には撮り直せば良いだけだが、PCで確認しなければ分からないピントずれも多い。基本的に目が悪いのだ。
これぞ、という写真でピントが合っていなければ絶望である。あの時間は何だったのか。思わず「糞が」と舌打ちしてしまう。

だったらマニュアルレンズを止めてオートフォーカスのレンズを使えば良いのだが、いかんせん高い。
今使っているカメラのまともなAF付きのレンズを買おうとすれば軽く数万円は飛んでいくだろう。そんなお金はない。自慢じゃないがカメラ趣味の人間で年収勝負をすればおおよその人間に負けるだろう。本当に自慢することではない。
職業柄、国産の安いオールドレンズは比較的手に入りやすく(舶来産の高いのは無理)、現代でもある程度通用する解像度となると単焦点マニュアルレンズに限られる。
そう、自分は別に好きでオールドレンズを使っている訳では無い。金が無いから仕方がなく使っている訳である。

清水の舞台から飛び降りる覚悟でフルサイズミラーレスを中古で購入してから、ピーキングレベルを液晶で確認できるようになり大分マシになったが、それでもずれるものはずれるのである。
ブレは大分なくなった。皆無になったと言って良い。ISOは偉大である。

せっかくの休みにカメラを持ち出してみるのは良いが、ピントは合わないし構図はよく分からないし、そもそも自分が何を撮りたいのかも曖昧だ。
好きな被写体は特に無い。恋人もいない。出来ない。風景もスナップもポートレイトも物撮りも特に執着はない。猫と犬を撮るのはちょっと好きだ。友人達を撮る時だけは純粋に楽しい。

だからまぁ基本的に何でも撮ろうとするが、まず上手くいかない。
どうにもこうにも眠いというかイマイチ感が半端ない。
せっかくの休みに何をやっているのだろうか。この時間で家で安酒でも飲んで管巻いていたほうがマシではないだろうか。苦しみながら中古のカメラとカビの生えたレンズでシャッターを切る。

自分にとって写真を撮ることは深海に潜るようなものである。無力感と嫌悪感と虚無感で窒息しそうだ。
ずれた写真でも良い。好きなものを撮ろう。上辺だけの綺麗事を並べた写真講座を見て具合が悪くなる。まるで自分が自分に酔っているみたいに思えて更に具合が悪くなる。我ながら難儀なことだ。

家に帰ってかろうじて見られる構図と数少ないピントの合っている写真を現像する。
あーだこーだとフィルターをかけ、スライダーやトーンカーブを弄る。
すると、唐突にバチンと、全てがハマったかのような一枚が出来上がることがある。ズレていたピントが急に合焦するのだ。
まるで最初からそうあるかのような1枚。カメラを通して自分と世界が繋がる。

そこではじめて、僕は息が出来るのだ。

そうなればもう無敵である。その瞬間、自分は世界で1番のカメラマンだ。
例え翌朝に消えているような感覚だとしても。

だから今日も「糞が」と舌打ちしながらシャッターを切っていく。


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