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【考察】意思の自立とは

最近『意思の自立』という言葉を聞いてハッとしたんです
私は意思の自立が早すぎたんじゃないか
私が『お前の好きにしろ』と言われて育ったことは以下の記事に綴りました。

思い返してみたんです。
周囲に流されない小学生だった。
みんなが野球やサッカーをしていてもスポーツに関心がなく
みんながビックリマンチョコを楽しんでいるときにネクロスの要塞チョコに没頭(マイナーな食玩があったんです)
みんながミニ四駆にハマっていた時にプラモデル
みんながスーパーファミコンにハマっていた時にPCエンジン(NECのゲーム機)
みんながマリオやマリカーにハマっていた時にじっくり頭を使うシュミレーションゲーム
みんながスラムダンクにハマっている頃GS美神にどハマリ

たぶん自分に嘘がつけなかったのだと思う。
中学時代は恵まれ、自分の自然な状態を受け入れてくれる場所があった
この頃仲良くなった友人は今も親友です。

高校時代はこじらせた
思春期ということもあったのか
みんな格好つけたり、イキったり自分を大きく見せるわざとらしい行為をしていた。
それは思春期には自然な光景なんだろうけど、当時の私には動物園でしかなかった。
ここに居場所は無いと感じていました。

みんながカッコイイと思うこと
みんなが正しいと思うこと
みんなが敵対する相手(大人とか権力)

それらに対して全く賛同できなかった
流されたくない私は自分を守るために必死でした。
音楽の世界に逃げ、のめり込んでいた。
当然、そんな中でも仲良しさんはできます。
今でも仲良くしてくれている高校時代の友人は、そんな私を受け入れてくれた優しい人たちです。
大学に入り、デザインに触れ、自分らしい表現ができる環境になりました。
視覚デザイン、趣味の音楽、立体表現。
なんて楽しいんだろう。
水を得た魚のように羽を伸ばしました。
その時の体験が今の私を動かしている役割はとても大きいです。

現在、40をすぎた私が思うのは『自分を守ってきて良かった』ということ。
と同時に意思の自立が早すぎるのは如何なものかとも思います。
集団組織で生きていく中では、ある程度は足並み揃えることを必要とします。
今は曲がりなりにも経営者という立場にあり、自分で選んで判断できる環境にありますが、皆がそうではありません。
特に日本は島国という国民性があり、良くも悪くも集団意識があるように思います。
同調圧力と言えばいいのか、外れた行動をすると悪者みたいな風潮。
誰にも大した迷惑をかけていなくてもですよ。
日本人はそろそろ学んでいいんじゃないかと思うのが、呪縛からの解放。
こうでなくてはならないという思い込み。
怖がらずに疑い続けてほしい。
常識を作り、それが覆されては手のひらを返して新たな常識(多数派)にくっつく。
恥ずかしくないのかな。
・・・ちょっと言いすぎましたね。
私自身も様々なものに縛られている存在ですので、大きなことは言えません。

ただもし、この記事をヒントに誰かに何かの気付きがあったら嬉しいなぁと思い綴りました。
孤独を感じている方、大丈夫。
人は皆孤独です。
勉強できるとかスポーツできるとか結婚しているとか子供がいるとか裕福とか全く関係ない。
開き直っていきましょ。
何か一つでもあなたを受け入れてくれる人や環境があれば、あなたは勝ち組。
人生における勝ち負けがあるとしたら、私はそれが勝利の証だと思っています。
死に急ぐことないです
ちゃんと見渡せば生きているだけで喜んでくれる存在があるから
星の王子様もういっかい読み直そうかな

今日はここまで
ではまた


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