#16 最初の電話対応(前編) 〜不可能なミッション〜
「プルルル!……プルルル!」
無機質な電話の呼び出し音が静かなオフィスの空気を震わせる。
なんの変哲もない機械的な電話の呼び出し音に僕は嫌悪せずにはいられなかった。
(また…鳴った……鳴りやがった……)
電話の音に反応して心臓が強く脈を打つのを感じる。
しかし、それは決して突然に音がした事による反射的な驚きによるものでは無い。
電話が鳴ったことに対する明確な恐怖と不安である。
「……プルルル!」
「ガチャ!」
3コール目で颯爽と隣に座っていた先輩の冨樫さんが電話に応対する。
僕はその一部始終を凝視し、傾聴する。
(2回目か……あと1回……)
冨樫さんは慣れた様子で電話を取次ぎ、受話器を戻した。
そして、僕のことを見て言う。
「じゃーあと1回見たら、次は澤村君が電話取ってみようか!」
(あと………1回……)
「あ、はい……」
返事だけはしたが、口以外の身体の機能はは全力で電話に出ることを拒んでいる。
(電話対応がこんなに難しいなんて聞いてないぞ……)
新人研修の一環で電話対応の練習を少しだけしたが、いざ実際にやるとなると研修とは訳が違うことに気付かされた。
改めて、冨樫さんの電話対応を一部始終を整理する。
まずはじめに電話が鳴ったら3コール以内に電話に出る。
ここは研修通りだ。
そして、電話に出たら、まず自分の会社名と部署名を名乗る。
ここがまず最初の難関だ。
なぜなら、自分の会社名がやたら長くて言いづらい。
(なんで、こんな会社名なんだよ!!)
今になって、意味のよく分からない横文字が連なる会社名に腹が立つ。
そして、その長ったらしい会社名のあとに技術部という、言いづらい部署名が連なれば、難易度高めの早口言葉のような言い回しが見事に出来上がる。
次に相手の会社名と名前を聞き取る。
次の難関はここだ。
初めて聞く会社名と相手の名前を正確に聞き取ることは至難の業であることは考えるに容易い。
(うちの会社みたいに長い会社名で来られた終わりだ……)
ここで聞き取れるかどうかは度外視して一旦「いつもお世話になっております」を決まりで言う。
別にお世話になった覚えはないが定型文だ。
そして、次なる試練は誰宛の電話なのか、自社の取次先の人の名前を聞き取ること。
当然、新人の僕には自分の所属する部署の人名も顔も把握していない。
「○○さんいらっしゃいますか?」
に対しては、「いや、知りません!」と言いたくなる。
その後、一旦、少々お待ちいただくわけだが、相手の会社名と名前を聞き取れなかった場合、ここで改めて聞きなおさなければならない。
これがなぜだか無性に聞きづらい。
(憂鬱だ……)
そして、最大の問題が取り次ぎだ。
取り次ぐ先の人の名前が分かったとして、どの人がその名前の人物なのか全く分からない。
事前に座席表を渡され、どの名前の人がどこに座っているかまでは表を見れば分かる。
しかし、オフィスを見渡して愕然とする。
(ウソだろ……)
半数以上の人が座席に座っていないのだ。
(え?あいつら……どこ行った?)
つまり、この座席表に従い、スムーズに取り次ぐことができる確率はせいぜい30%程。
約3回に1回しかスムーズな取次ができないのだ。
では、残りの70%の人間はどこにいるのか。
冨樫さんによると、1つは、会議中や外出中などで席を外しているパターンである。
これについてはパソコン上のメールのソフトで全員のスケジュールが公開されているからそれを確認すればいいとのことだ。
この作業も最初は難しく感じたが、慣れてしまえばなんてことはない。
しかし、皆のスケジュールを見る限り、これは平均20%程度といったところだろう。
残りの50%
ここが問題だ。
技術部はオフィス以外に実験室と評価室があり、残り50%の人間はそのどこかにいるらしい。
(どこかってなんや!!!)
座席表もないエリアのどこに誰がいるか分からないことに加えて、顔と名前が一致しないときたら、もはや電話を取り次ぐのは不可能だ。
すなわち、Mission Impossible(ミッション・インポッシブル:任務遂行不可能)だ。
配属早々にトム・クルーズでなければ遂行できないようなミッションだ。
冨樫さん曰く、人によってだいたいどの辺りにいるか決まっているというが、数十人の顔と名前とオフィスの座席だけでなく、実験室や評価室のだいたいどの辺りに生息しているかまで把握しなければならない。
(ムズい……ムズ過ぎる……イーサン・ハント(映画ミッション:インポッシブルでトム・クルーズが演じる主人公)もお手上げよ!!)
今はただ願うしかなかった。
(頼む!もう今日は電話鳴らないでくれ!!)
そんな望みは儚く散っていく。
「プルルル、プルルル」
電話が再び鳴り響く。
(おいーー……もう、来たじゃん………)
これが最後の電話対応見学チャンス。
冨樫さんの電話対応の一部始終を刮目するも、これまでの3回の電話対応はいずれも状況が異なり、対応も違って、余計に混乱する。
混乱している間に冨樫さんは電話対応を難なく終える。
「じゃあ!次、澤村君!電話取ってみようか!」
(いよいよ……オレのターン)
電話を待つ間、プラスチック製品の品質ガイドラインを渡されたが、全く頭に入らない。
せめて、座席表だけでも頭に入れようと、そのガイドラインを開きながら、デスクの脇においた座席表を凝視する。
しかし、いつ鳴るか分からない電話の恐怖からか、座席表が全く頭に入らない。
(頼む!電話鳴るな………来るな……)
気が狂いそうだ。
不意に冨樫さんが僕に話しかける。
「澤村君!」
急に話し掛けられて一瞬驚く。
(ん!!なに!?)
「あ!はい!」
「ガイドライン見てて、わからない所あったら聞いてね!」
「あ、、わかりました。」
気を紛らわすため、適当に質問することにした。
「あのー、冨樫さん!ここってどうゆう意味ですか?」
冨樫さんは丁寧に僕の疑問点について、説明をくれる。
根本的に教えてあげようという熱意があるためか、1つの質問に対して、到底理解しきれないほどの情報量が浴びせられる。
惜しみ無い情報に晒されていた、その時。
「プルルル!」
不可能なミッションの開始を告げる電話が鳴った。
(!!!………来た……オレのターン……)
最初のワンコールが鼓膜に突き刺さると同時に浴びせられた情報の全てが消し飛ぶような緊張感が身体を貫く。
しかし、刹那にふと、この状況を俯瞰で見る。
(ちょっと待てよ……今、僕は先輩の話を聞いている最中だ。先輩の話を遮って電話に出ていいものか?いや……いやいや!それはだめだろ!失礼だ!)
都合よく解釈し、電話を無視するという判断を瞬時に下す。
しかし、時同じくして、熱心に話してい冨樫さんの言葉が止まった。
(え?と、止まった……いや、冨樫さんよ!話を止めないでくれ、話を続けてくれ!)
そして、冨樫さんが再び口を開く。
「あ、とりあえず電話出てみようか!」
そのあまりにも淡々とした口ぶりが僕を突き放すような言い方に聞こえる。
もう逃れられない。
つづく
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