虹色の振り子
川崎は面白い街だ。
駅から北側は綺麗な住宅街。
南側は商業施設を抜けると、華やかな商店街。
しかし、海に近づけば近づくほど工場による悪臭が鎮座し、反社会的勢力の拠点がある。
そこに住んでいるのは職人がほとんど。
第二次世界大戦時に韓国から連れてこられた在日コリアンの方がまとまって暮らしながら、今も永住権を求めて闘っている。
そこら一帯の土地はJFEスチールの土地とされているが、既に家屋が無数に建っているため、土地問題は解決の糸口すら見えていない。
川崎、と聞くときっと治安の懸念をされる方が多いだろうが、それは正しいことだと言うことが、住んで2週間で分かった。
実害を被ったわけではないが、「危険な匂い」と言うものがそこにはある。
僕は、そんな川崎区のサウスサイドから上京物語の1ページ目を始めることにした。
川崎に特に思い入れはないが、東京へは通勤定期を使って安く出れて、横浜には1駅で行けるというアクセスの良さを感じたんだったかな。
毎朝、川崎駅行きの臨港バスで約10分かけて駅に向かう。
6時20分発のバスに乗ると、乗り口に1番近い席にはいつも歳上そうな濡れ髪のお姉さんが座っている。
日によって彼氏と乗っている時があるのだが、その日は例外なく彼の肩に寄りかかって寝ている。
かれこれ3ヶ月も同じバスに乗っているので、最近は「雨の日は白のair max95を履く」と言うことがわかった。
雨だろうと白を履くあたり、気が強い女性なのだろうか。
駅に着くとバス停に住んでいる方たちも一斉に起き出す。
屋根もベンチもお店も沢山あるわけだから、住み心地がいいのだろう。
大学自体に大阪のスラム街と呼ばれる西成に遊びに行ったことがあるが、それとは違うカオスさを醸し出している。
川崎の方が、より生活から切り離されている。
西成は路上生活を営む方々が街を作っているが、川崎はそうではない。
昔は大島(川崎の地名)にもドヤと呼ばれる労働者向けの安い宿があったらしいのだが、今では潰れてしまっているらしい。
バス停からプラットフォームまで、エスカレーターを上がり改札を抜けると、そこからは東京のビジネスマンのフリをしなければならない。
満員電車を耐え、オフィスへ向かう。
仕事は嫌ではないが、この移動時間にはどうしても意味を見出せず、早く引っ越したいと願うばかりである。
ただただ、YouTubeを見るだけの時間にするには短すぎるし、読書をするには狭すぎるから、いつもタラタラと音楽を聴きながら考え事をする。
いつかすごい事を生み出してくれないかと願いながら、単純な脳細胞に呼びかけているみたいだ。
22年生きて、散々インプットしたにも関わらず、世で面白いとされることの1つも思いつく気配がないことを悲しく思いながら、チャットモンチーを聴いている。
チャットモンチーは弱いものに優しい。
「したいけど、出来ない。」をちゃんと認めてくれる上に、笑って流してくれる。
ハマってしまったらダメな側面すらあると思っている。
もしかしたら満員電車は、チャットモンチー的思考をするには最適な場所かもしれない。
7時にオフィスに着くといつもやることがある。
コンビニで買ったうどんを朝ごはんとして食べ、9時半に最高の状態で業務を始めれるように準備する。
セールスの練習をしたい日は練習するし、眠い日は寝る。
とにかくゆっくり丁寧に業務開始の時間を迎えるための時間だ。
最近だと、Googleスプレッドシートの関数をイジイジすることにハマっている。
この時間の過ごし方は一般に言う「朝活」と言うよりは、イチローさんが1球ごとにバットを立てて袖をスッと引く行為に近い。
その場に一番乗りして、自分の時間を過ごした後に人を迎えると言うことが僕にとっては大切なルーティンなのだ。
長谷部誠さんの「心を整える。」を読んで10年。
自分の内面をゆっくりと整える時間は欠かせないものになった。
業務が終わると出来るだけ定時で帰ろうとする。
開始の時間には厳しいくせに、終了時刻には緩い日本人の風土が大嫌いだ。
大体その日に発生しそうなことの準備や対応は朝の段階で終わらせてあるし、とにかく夜は自分の大切な時間なのだ。
理想論ではあるが、定時で終わるようなタスク設定をしながら部下や会社の成長を作ることが大切であると言うことは、この先ビジネスマンとして生きる上でも忘れたくない。
家に帰るといつもうどんを作る。
安くて、早くて、美味い。
最近はラーメン二郎風の味付けにしたりと一工夫している。
2日に1回は筋トレをする。
「今日やれば明日やらなくていい。」と思えるから、このペースが好きだ。
失恋をきっかけに取り組んだ筋トレも、もはや生活の一部だ。
でも、ジムに行くのはどうしても面倒くさくて気が乗らないから、自重で済ませている。
それでも骨格と体質のおかげでだいぶ大きくなった。
夜は24時に寝る。
朝は5時50分に起きる。
これを週に5回繰り返す。
振り子だ。
同じ距離を同じ時間かけて行き来する振り子だ。
22歳を浪費している気がしてしまって、しばらくの間焦燥感と悲壮感に駆られた。
僕は仕事を「やらなくていいならやらないが、やらなければならないのなら楽しい方がいいもの」と捉えている。
だから、最大限今の環境を楽しもうとしている。
仕事だっていくらでも考えようがあるが、
あまりにも日々が振り子に似ていたから、ショックを受けていた。
繰り返しは退屈なものだ。
ただ、僕は退屈さの中に彩りを見出すことに長けている。
大学生時代の2倍近い収入を得たが、奨学金の返済やそのほかの固定費、貯金に回すお金で大学生よりも自由に使えるお金は少ない。
安い生活の中で楽しみを見出すことは大学の4年間をかけて習得した、言わば伝統芸みたいなもので、僕が身につけている最高の武器かもしれない。
最近では資本主義社会の中で生きる人間の葛藤の根源とは何かについて思考している。
これについては別途書いていきたいが、如何せんテーマが壮大なので、いつ理解できるのかは不明だ。
グレーをカラフルに変えられる僕の得した脳みそは、文学と哲学と音楽によって作られている。
大好きなリストとショパンのピアノを聴きながら本を読む時間は何にも変えがたい幸福な時間だし、新しい哲学の概念を知った瞬間に世界が変わって見えるのも、噛みしめがいがある瞬間だ。
Mr.Childrenの楽曲の中にブルース・スプリングスティーンの匂いを感じたり、昭和の名曲を令和の自分に重ねてみたり。
そんな僕の周りには、面白い友人が集まってくる。
沖縄で栄養士をしながらアクセサリーを作る友人や、
Instagramで1万人のフォロワーを抱える同期。
「俺は下北沢で一番面白い人間だ。」と豪語し、古着屋とバーを経営する同い年のスタイリストや、世界的な有名人も通う古着屋を経営する渋いおっちゃんなど、これでもかとカラフルな人たちに囲まれている。
好きなことでお金を稼ぐ彼らをみていると、どうしても文章を書きたくなった。
好きなことを活かし、アウトプットすることでお金を稼いでいる彼らが、心の底から羨ましく感じたのだ。
僕の好きなことは基本的にインプットし、思考し、味わうことだったから、お金に変える事は出来ないと考えていた。
僕が、アウトプットで唯一好きなことが、「書く」ことだったのだ。
散々インプットした内容があるから、書きたい事は尽きることがない。
さらに好奇心旺盛ときたら、書かずにはいられないと言ってもいい。
いつかのnoteで「生きる為に書き、書く為に生きる。」という大それた事を書いたが、誇張も嘘もない。
お金を稼ぐ為に文章を書けるのか、そもそも僕の文章でお金を稼げるのかは分からないが、少なくとも書いて発表する事は出来る。
コピーライティングやSEOライティングを勉強し始めた。
僕の文章がもっと面白いものになったときに、僕の振り子も彩りを増す。
日記でも物語でもない、6月最後の日の頭の中の話。
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