諸行無常とは、諦めの言葉にあらず
はじめに
みなさん、こんにちは。蓮城院副住職のコウブンです。
普段はお坊さんとしての活動をお伝えしていますが、今回は少し趣向を変えて、私が取り組んでいる別の活動についてお話させていただきたいと思います。
これまであまりお伝えしていなかった部分で、いわばプライベートな活動とも言えるのですが、きっとみなさんにも何かしらの気づきがあるのではないかと思います。
寺内駅での地域活性化プロジェクト
きっかけは、私の知り合いである農家の賀川さんの投稿でした。
「地元が盛り上がるようなコミュニティーを作りたい!」
という内容だったのです。
その地元である真岡市は、栃木県南部に位置する人口8万人弱の市です。
東京からは少し離れていて、どちらかというと田舎町と呼んだ方が正確かもしれません。
特に寺内駅がある地域は典型的な農村部で、春には田植えをする農家の方々の姿が見られ、秋には黄金色の稲穂が風に揺れる、そんな昔ながらの日本の原風景が残る場所です。
私のお寺である蓮城院の最寄り駅がこの寺内駅なのですが、なんだか寂しさがただよう味わい深い場所です。
たとえば駅から一歩出ると、最初に目に入るのはシャッターの降りた昔の商店や、小さな花屋さん。
かつては地域の拠点として活躍していたであろう駅前も、今では静かな佇まいを見せています。
発起人の賀川さんについて
このプロジェクトを提案してくださった賀川さんは、実に興味深い経歴の持ち主です。
現在は農家として真岡の大地で汗を流していますが、40歳になるまでは世界を飛び回るバリバリのサラリーマンでした。
そんな華々しいキャリアを捨てて、実家の農業を継ぐという決断をされた方です。
今では、たくましい腕で畑を耕しながら、Stand.fmでパーソナリティとしても活動されています。
その放送では、サラリーマンから農家に転身した経験や、日々の農業での喜びや苦労を赤裸々に語っておられます。
地域活性化に関わる理由
「なぜ住職である私が、この地域おこしのイベントに関わろうと思ったのか?」そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
それは、私にとって思い出のある大切な場所が、少しずつ廃れていくことへの切なさがあったからです。
たとえば、子どもの頃に社会科見学で訪れた駅前の広場。
休日に友達と待ち合わせた自転車置き場。
夕暮れ時に響く列車の音。
そんな思い出の場所が、だんだんと寂しくなっていくのを見るのは、本当に心が痛むのです。
私は日々、お寺の副住職として仏教の教えを伝える立場にいます。
しかし、それと同時に、この地域で生まれ育った一人の人間でもあります。
幼い頃から見てきた風景や、積み重ねてきた思い出、そして地域の人々との絆—。これらすべてが、私という人間を形作ってきたのです。
高校時代、駅前にあった小さなコンビニで夏は必ずアイスを買い食いしていました。
列車を降りて、汗を拭いながら友達と立ち寄った、あの瞬間の涼しさは今でも鮮明に覚えています。
今ではその店舗はなくなってしまいましたが、まるで昨日のことのように思い出されるのです。
また、春になると駅前の桜が満開になり、地域の人々が花見を楽しむ姿がありました。
お弁当を広げる家族連れ、カメラを構える鉄道ファン、散歩を楽しむお年寄り。
そんな光景が、この場所の日常だったのです。
確かに時代は変わり、生活スタイルも大きく変化しました。
かつての賑わいをそのまま取り戻すことは難しいかもしれません。
でも、新しい形での地域の結びつきは、きっと作れるはずです。
たとえば、この駅前広場を使ってイベントを開いたり、子どもたちの遊び場として活用したり、地域の人々が気軽に立ち寄れる憩いの場所にしたり。
可能性は無限にあると思うのです。
そして何より、この活動を通じて、地域の方々の声に直接耳を傾けることができます。
お寺の中だけでは知ることのできない、地域の実情や課題、そして希望。
それらを知ることは、お坊さんとしての私の活動にも、必ずや良い影響をもたらすはずです。
だからこそ私は、この地域おこしのイベントに関わることを決意しました。それは単なる懐古趣味ではなく、未来への投資だと考えています。
今を生きる私たちが少しでも動き出さなければ、この場所の未来は誰が作るのでしょうか。
諸行無常の解釈について
仏教には「諸行無常」という重要な教えがあります。
すべてのものは移ろい、変化していくという考え方です。
でも、私はこの教えを「仕方がない」という諦めの言葉として使うのは、大きな間違いだと考えています。
諸行無常は、自分が苦しい思いをしているときに、その苦しみから抜け出すためのヒントとして与えられた教えです。
「できることがあるのに、それを避ける言い訳」
として使うのは、本来の意味から外れてしまいます。
むしろ、変化は避けられないからこそ、その変化をより良い方向に導いていく努力が必要なのではないでしょうか。
目指す未来の形
私が一番大切にしているのは、誰かの心を少しでも楽にすること。
もっと分かりやすく言えば、誰かの笑顔を作っていきたいという思いです。
たとえば、駅前に集まってお茶を飲みながら世間話をする高齢者の方々。放課後に友達と待ち合わせる高校生。週末に家族でお出かけを楽しむ若いご夫婦。そんな日常の風景を、この場所に取り戻したいのです。
そして何より、この地域に住む子どもたちが「ここで育って良かった」と思える場所にしたい。
将来、彼らが大人になったときに「私の故郷は素敵な場所だった」と胸を張って言えるような環境づくりを目指しています。
私の下心と本音
正直に申し上げますと、このプロジェクトに関わることで、お寺にとってもプラスになる面があるかもしれません。
たとえば、賀川さんが栽培されているナスは、私のお寺と深い関係のある二宮金次郎さんの逸話にも登場します。
金次郎さんは、ナスの味の変化から飢饉の予兆を察知し、村人たちを救ったという言い伝えが残っているのです。
また、イベントを通じて知り合った建築関係の方々とのご縁は、将来的にお寺の修繕が必要になったときに心強い存在となるかもしれません。
古い建造物を守っていく上で、信頼できる職人さんとの出会いは本当に貴重です。
でも、それ以上に大切なのは、この地域の未来です。
正直なところ、一つのイベントで地域が劇的に変わるとは思っていません。しかし、何もせずに衰退を見守るよりも、できることから始めていく方が、きっと意味のある道だと信じています。
おわりに
みなさんの中にも、同じように地域の未来を考え、活動されている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
規模の大小に関わらず、自分にできることから始めていく。
そんな小さな一歩の積み重ねが、やがて大きな変化を生むのだと思います。
もし私たちのイベントにご興味をお持ちいただけましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。
また、みなさんが開催されるイベントについても、コメント欄でお知らせいただければ嬉しいです。
可能な限り、私も参加させていただきたいと思います。
それでは、蓮城院副住職のコウブンでした。また次回お会いしましょう。
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