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【短歌を始めたいあなたへ!】押さえておきたい短歌の基本(2017年5月号特集)


※本記事は2017年5月号に掲載された東直子先生のインタビュー記事を再掲載したものです。

東直子先生に短歌の作り方を聞きました!

字余り、字足らずはしていいのですか。

最初は五七五七七の韻律に慣れるため、できるだけ定型を守りましょう。ただ一字余ったから、足りないから短歌にならないわけではなく、もっと柔軟に考えて大丈夫です。

比較的多いのは初句7音で、たとえば、塚本邦雄さんの「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」がそう。
河野裕子さんの「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」も破調ですが、気持ちが高まって定型からあふれ出てしまったような効果があります

声に出して読んでみて、引っかかりがあれば直し、ちょっと定型を外れていても、それが気持ちよく流れてて、自分の気持ちが乗っていけるような形になっていればよいです

短歌は文語でなくてもいいのですか

文語と口語を厳密に使い分けていた時代もありましたが、今はミックス型もあります。「白い」は口語で、「白き」だと文語ですが、文語にもヘビーなものと軽めのものがあって、斎藤茂吉が使っていたような「なりにけるかも」が口語と一緒にあったら違和感がありますが、「白き器に」なら口語と共存できます。

同じことが今の文章語と話し言葉の関係にも言えます。かっちり作りたいときは言葉もきちんと正しいものを使いますが、話し言葉の軽さを出したいときは「遊んでいる」を「遊んでる」にすることもあります。ほかは文語調でかっちりしている文体なのに、突然カジュアルな話し言葉が入ってくるとちぐはぐ。一首の中の調和が大事です

音数を合わせるために文語を使うのは?

たとえば、「遊んでいる」では6音なので、「遊びおり」にして5音にしてもいいかと言うと、その前に全体を通して考えてみる必要があります。
俵万智さんの歌に「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」がありますが、「おり」が最後に来るので言葉が締まり、文語特有の重みが一首に落ち着きを与えています。一首の中で調整しながら使うといいです。

音数の問題で言うと、「スポーツドリンク」は8音ですが、1音は長音(のばす音)なので、感覚的には7音に近い。特に外来語の場合、数えるのも難しいので、厳密に1字1音ととらえず、ケースバイケースで感覚的にとらえていいと思います

記号や一字空きを使ってもいいですか。

記号や一字空きも使ってかまいません。
ただ、応募作品の中には、五七五七七のすべての句を、理由もなく一字空きにしている例がありますが、これはとにかくやめたほうがいい。

一字空きには、必ず理由があります上の句と下の句の間に空くことが多いですが、そこに時空間の隔たりや、意識の変化がある。もちろん、ひらがなが続く、漢字が続くということで読みにくさを回避するために空ける場合もあります。

記号は、一番多く使われるのは会話を示すときに使うカッコです。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 

俵万智さんの作品でも使われています。

句またがりや句割れをさせたほうが上級者っぽくていいですか。

狙ってやるものではないと思いますが、「遊んでいる」は6音で、これに3音足して、「君が遊んでいる風の中」とすると、9音+5音で14音になります。
この場合を、七七に分けるとすれば「君が遊んで/いる風の中」という句にまたがります。このように2音にまたがるのは気持ちいいのですが、1音だけだとつっかえます。1音送りはどっちつかずで、前にもつきそうだし、あとにもつきそうですが、2音送りならわかりやすくていいんです

俵万智さんの作品は句またがりが多く、「寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら」の結句のように、2音と5音は親和性が高い
七七が6音+8音だと、ひっかかるのではないかと思います。

推敲するとき、どのような点について留意しますか。

まず、読み下してみてひっかからないこと。韻律が滑らかであること
また、自分で作った作品は自分の作品だけに、意味が通っていないことに気づきにくい。しばらく時間をおいて、第三者の目で読み返すといいです

それから、そこにある言葉が最適かどうか。たとえば、「りんご」という単語があったとして、似たような言葉に変えてそれぞれ見比べたりします。語順も、入れ替えると意味が通じやすくなったり、響きが滑らかになったりすることがあります

フレーズレベルで変えたり、語順を変えたり、単語レベルで変えたり、あるいは助詞を変えたりといろいろやってみて、実際に書き出してみて検討するといいと思います

上の句と下の句の役割分担はありますか。

上の句が助走で、下の句で飛躍させるのが理想。上の句と下の句で同じようなことを言って、お互いがお互いを説明しては広がらない。たとえば「好きな人がいてその人が私を好きだと言ってくれてうれしい」という内容では意外性がなさすぎる。

誰かが気になる一言を言った、で、その先のことをあえて書かないで風景を書くとか、逆に風景描写があって、気持ちだけがぽんと出てくるとか、上の句と下の句で違うものを並列させることで豊かな相乗効果を出す

また、正岡子規の「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」は同じ情景を詠んでいますが、上の句は静止画で、下の句でぐっとズームアップ。この場合は視点の動きに役割分担があります。

短歌は実体験でなくてもいいのですか。

短歌というと、多くの有名な歌人が実体験に基づく思いを述べた作品を残していますので、すべて事実と思われがちですが、そうでもありません。

先ほど出てきた俵万智さんの「サラダ記念日」も、もともと発想したときは「鶏のから揚げ」で、味つけにカレー粉を入れたので最初は「カレー味がいいねと君が言ったから」でした。しかも日付は6月7日だったそうですが、季節を夏の7月にし、「しち」というさわやかなサ行を重ね、食べ物もさわやかなサラダにしてと作り変えています。

また、寺山修司は、実在しない弟を歌の中に登場させたり、まだ生きている母親を死んだことにして詠んだりしました。空想をふくらませて詠むのも醍醐味のひとつです

おすすめ書籍

『いつか来た町』
東直子著・PHP 文芸文庫・680 円+税

東直子先生の新刊エッセイ。25の町の表情を五感でつづる。歌壇をリードする東先生ならではの感性が光る珠玉の一冊。

特集:ツイートする短歌
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※本記事は「公募ガイド2017年5月号」の記事を再掲載したものです。

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