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【レトリック、いくつ知ってる?】少しの工夫であなたの文章はより輝く!(2017年9月号特集)
1.漸層法
漸層法とは、叙述するにつれて、だんだん盛り上がってくる書き方。浅いものから深いもの、粗雑なものから精密なもの、静から動、低い内容から高度な内容へと読み手を導き、最後に最高潮に達する。
楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私ささや語く。凩こがらしが叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。
なにをいうとも知れず、はじめはかすかな声であったが、木魂がそれに応え、あちこちに呼びかわすにつれて、声は大きく、はてしなくひろがって行き、谷に鳴り、崖に鳴り、いただきにひびき、ごうごうと宙にとどろき、岩山を越えてかなたの里にまでとどろきわたった。
漸層法は、情景や理論の中に無理なく読者を引き込めるという効果がある。漸層法とは逆に、だんだん低いほう、程度が小さいほうに尻すぼみになる反漸層法というのもある。
2.反復法
反復法は、同じ言葉を繰り返すことで強調する修辞法。
「広い広い海」などがそうで、詩歌によく用いられる。
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳ちた足らひし母よ
「広い広い」などは畳語法とも言うが、直後に繰り返すのではなく、ある文脈の中で同じ言葉を意図的に用いる畳点法というものもある。
さて、題だが……題は何としよう? 此こいつ奴には昔から附つけあぐ倦んだものだッけ……と思案の末、礑はたと膝を拊う って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬところだ、と題が極きまる。
「私は下着姿で香水を吹きつけ、吹きつけた液体が蒸発するのを待って」は、「私は下着姿で香水を吹きつけ、蒸発するのを待って」でも意味は同じだが、敢えて繰り返したのは、そのほうがリズムがよくなるからだ。
3.前辞反復
前辞反復は反復法の一つで、先行文の文末(またはその近く)にあった言葉を、後続文の文頭(またはその近く)に持ってくる修辞法。前の文の最後を次の文の頭に持ってくるため、尻取り文とも言う。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
〈 住みにくい。〉から〈住みにくさが……〉とつないでいるところが前辞反復。そのあとの〈……安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても……〉は同じ言葉ではないが、前辞反復のバリエーション。この修辞法を知っていると、接続詞を省略したいときに助かる。
ちなみに、〈智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。〉は言葉の反復ではないが、「○○すれば○○だ」という文型が反復されている。
4.対句法
対句は、同じような文型の言葉を対にして並べる方法。
文型が同じなので調子が整い、心地よいリズムを刻む。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
「○○に○○あれば、行って○○し」という文が2 つ並んでいる。原文では「東二」「西二」「南二」「北二」と4つ並んでいて、意味の上でもセットになっている。
対句法は、もともと漢詩の作法から来ている。
「頭を挙げて山月を望み、頭を低れて故郷を思う」
は、「頭を○○して」と「○○を○○する」が対になり、読んでいて気持ちいい。
読む人は、「頭を○○して」と言われると無意識のうちに「○○を○○する」という文型が来ると推測して先を読むが、そのとおりにならないと肩透かしを食わされたようで、なんとも尻の座りが悪い。
5.挙例法
たとえば、「その人は忙しい」と書いても、それでは抽象的でどう忙しいかわからないとき、読み手が実感できるように具体的な例を挙げるのが挙例法。
徹夜の仕事のあと、あまり空腹だと寝つかれないので、軽くパンくらい食う、それが終るか終らないに、予科で、八時初りの多い欽造の朝飯、暫くして森山、寝坊な昌一がその次、三時半頃に、主あるじ人たちの朝飯、五人家内の風呂、六時には森山と兄弟二人の晩飯、少しおくれると、腹がすいたで大騒、それをひとたてすまして、大抵一人や二人は客のある、(中略)その間に、女中たちの三度の食事や入浴も挟まるのだから、その総てに気を配らなければならないおこうの忙しさというものは、いい加減な料理屋、待合の女将の、遠く及ぶところでなかった。
これだけ実例を挙げれば、女将の忙しさが嫌でも実感としてもわかるだろう。
ただし、普通はここまではやらず、一つか二つ、端的な例を挙げるにとどめる。やりすぎてしまうと、読み手をしてもう勘弁と辟易とさせてしまう。
6.省略法
書かなくてもわかることは書かないのが省略法。
「A→B→C」と続く文脈があり、ここからBを抜いた「A→C」を読んだとき、読み手は一瞬、「文が飛んだ」と思うが、すぐに意味を理解する。ここがポイント。
私は、この四五年のあいだ既に、ただの小説を七篇も発表している。ただとは、無銭の謂いである。けれどもこの七篇はそれぞれ、私の生涯の小説の見本の役目をなした。発表の当時こそ命かけての意気込みもあったのであるが、結果からしてみると、私はただ、ジャアナリズムに七篇の見本を提出したに過ぎないということになったようである。私の小説に買い手がついた。売った。売ってから考えたのである。もう、そろそろ、ただの小説を書くことはやめよう。慾がついた。
最後のほうは意味が飛んでいるように思えるが、意味がわからないというほどは飛躍しておらず、ちゃんと通じる。「え?」とは思うが、すぐに答えを得る。結果、右脳が刺激されて、クイズに正解したときのような快感を生む。ただし、飛躍しすぎると意味不明な文になる。
7.体言止め
体言止め、つまり名詞で止める書き方。これがうまい作家と言えば太宰治だろう。
娘さんは、興奮して頬をまっかにしていた。だまって空を指さした。見ると、雪。はっと思った。富士に雪が降ったのだ。
ただ、むやみにやっているわけではない。まず、体言止めは1か所だけにしていること、そして、「見ると、雪」で何?と思わせて、そのあとに「が降ったのだ」という着地点を用意していること。ここがポイント。
「おいおい、その綱を切っちゃいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切っても切れねえ縁の艫綱、あ、いけねえ、切っちゃった。助けてくれ!」
この場面ではセリフだけに体言止めを使い、ここでは引用していないこのあとの説明文になると体言止めは控えている。ここもポイント。
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※本記事は「公募ガイド2017年9月号」の記事を再掲載したものです。