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【プロット派? 即興派?】まずはプロットを作るメリット、作らないメリットを知ろう(2015年1月号特集)
物語の法則を知る
物語には、一定の法則があります。たとえば、昔話の「桃太郎」や「浦島太郎」は、〈主人公がどこかに行って帰ってくる〉という構造を持ちます。「竹取物語」は、かぐや姫がやってきて帰っていくまでの話ですが、これもかぐや姫の立場から見れば、行きて帰りし物語ということになります。
また、主人公の成長物語の場合は、物理的に移動するのではなく、人間的に変化する (未熟だった地点から成長した地点にまで至る) 話ということになります。
物語が面白くなる、読んでわくわくする、サスペンスが味わえるということや、どのような構成にしたらより盛り上がるかについても、方法論が確立しています。
それをいち早く確立したのは映画界(とりわけハリウッド映画)で、そこでは巨額の製作費が動きますから、必ずヒットする(ヒットする見込みがより高い)方法が死に物狂いで研究されたというわけです。
『僕は小説が書けない』の中では、これをシナリオ理論と呼んでいます。
これは物語が面白くなる公式のようなもので、作者である皆さんはその公式の中に題材という数値を代入していけば、たちまち物語が作れるというすぐれものです。
もちろん、どういう表現をするか、どのように描写するか、あるいは、どんなセリフにするかといったことは自分で考えなければなりませんが、話の枠組みや構成法については先人たちが考えた方程式があります。こうした鉄則を知っておけば、誰でも簡単に物語が書けるようになるというわけです。
プロットを作るべきか
プロットのメリット
小説を書いているうちに、言葉の森で迷子になってしまうことはままあります。森を歩きながら、同時に森全体が見えていれば迷いませんが、初心者は目先の文章を書くので手いっぱいです。
そんな方は、事前にプロット(構成案)を考えておき、それを地図として見ながらゴールを目指しましょう。ただし、書いているうちに新たなストーリー(アイデア)が沸いてきたら、それは柔軟に取り入れましょう。
プロットとは?
小説やシナリオなどで言うプロットとは、枠組みや構成を言います。あらすじを含む物語の設計図のようなものです。
あらすじはざっくりとしたストーリーのことですが、プロットは、いつ(時代)、どこで(場所)、誰が(登場人物)どうしてどうなったというあらすじのほか、全体で何枚で、このあたりに伏線を入れておいてのようにかなり細かく決めておく場合もあります。
プロットに書く要素
① いつ? 時代設定
② どこ? 舞台
③ 登場人物
④ 主人公の目的
⑤ 目的に向かう動機
⑥ 目的を阻む障害(敵)
⑦ あらすじ(どう始まってどう終わるか)
持ち前の勘で書く
物語を紡いでいくことは、言葉を話すことと似ています。母語を話す場合、文法を知らなくても話せます。一方、外国語を学ぶ場合、ニュアンスが分からないなら、文法的な説明に頼ります。
『僕は小説が書けない』の人物で言うと、前者の代表は御大こと武井大河、後者の代表は原田さんです。で、どっちの方法が手っ取り早いかというと、それはシナリオ理論のような物語の文法を学ぶほうでしょう。
しかし、外国語を学ぶ場合でも、外国語にたくさん触れることで感覚的に言葉を理解していくことが必要なように、小説を書く場合でも、多くの小説を読み、そのことで体得してきた勘で書くことも必要です。
この勘は、知識に頼ってしまうと途端に働かなくなる傾向があります。それは小説だけでなく、身体を使って表現するすべてのものに当てはまります。
たとえば料理でも、「レシピには1分炒めるとあるけど、経験的にはあと30秒は炒めたほうがいい」という勘を働かせるには、レシピからいったん離れ、目の前の料理の具合を肌で感じる必要があります。それはまさに御大の言う「風を感じろ、物語に耳をすませ」ということです。
プロットを作らないメリット
プロットを作らないほうが発想が広がると言う人もいます。確かに、書き出さなければ生まれない発想もありますし、プロットでがんじがらめにしないほうがいいです。
また、プロットを作り込みすぎてしまうと、それだけで満足してしまって書く気が失せたり、プロットが完璧すぎて、書く作業がただの単純労働になってしまったりします。構想には、あとで考える余地があったほうがいいようです。
原田さん名言集(『僕は小説が書けない』より)
「物語を語る権利は、だれにだってあるものだ。必要なのは、生まれ持った特殊な能力なんかではないと思うね」
「普遍的な物語の構造ってものは確かにある。それを学び、利用するんだ。昔話や神話のパターンは分析され研究されてきた。人が理解しやすく、またおもしろいと感じるような物語とは何なのか、多くの人がその謎を解き明かそうと心血を注いできたんだ。物語を創りたいと願った者が、だれでも等しく、物語を紡げるように」
「才能のある人間は、物語というものがどんな風に成立しているかを、無意識のうちにわかっているんだろう。だけど俺たちは、シナリオ理論の本を熟読することで学ぶんだ。力を持たざるものは、道具によって道を切り開くしかないんだ」
シナリオ理論は感性をおさえつけるようなことはしない。独特な感性を阻害することなく物語構造を提供してくれる。ワープロソフトとおなじで、執筆を補助するアプリケーションと思えばいい。
御大名言集(『僕は小説が書けない』より)
「いいか、小説ってやつは、魂をけずりながら書くんだ。自分の胸の内側の奥深くに腕をつっこんで、言葉をひっつかみ、ひきちぎるようにしながら取り出す。シナリオ作法などというものは、よそから言葉や文法を借りてくるようなもんだ。そんなもんが純粋な創作と言えるか?」
「さっきも言っただろう。風を感じるんだ。自分が書こうとしている物語に耳をすませ。事前に作ったプロットは忘れ、登場人物の心の声を聞くんだ。主人公はどうしたがってる?(中略)お前がまずやるべきことは、理論などというこざかしいものを捨てて、自分が紡ごうとしている物語の風を感じ取ることだ」
「お前はかつて昔話を聞かされたろ? いろんな話を聞いたろ? いろんなことを体験したり、いろんな空想をしただろ? 読書をして感動したこともあるだろ? そういうのは、俺たちの体や心のなかで、血肉となって息づいてるんだよ。そこに耳をすまさねえで、作法とか言ってるやつは、味噌汁で顔洗って出直したほうがいい」
特集:『僕は小説が書けない』すべての君へ
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※本記事は「公募ガイド2015年1月号」の記事を再掲載したものです。