パソコン通信との出会い。ここからわたしの人生が変わっていった。
躁状態とうつ状態を繰り返しながらも、一年後くらいには布団から出て、のんびりできる穏やかな日が増えてきました。
『朝のガスパール』を読んで
新聞の連載小説を筒井康隆が書いているのに気づいたのがこの頃だった。
昔から筒井康隆は好きで、時々読んでいたので、連載小説も読み始めた。
途中からだったのだけれど、なんだか妙に面白かった。
この小説は小説と平行して「パソコン通信」で読者がいろいろ言って、出てきた話を取り入れながら書かれていくというものだった。
と、要約していますが、違ったらごめんなさい。わたしの頭の中ではこういうことになっています。
小説を読んでいるうちに、わたしもこのパソコン通信をやってみたくなってきた。
幸いにも当時、父の趣味がパソコンだったので、父に頼んでパソコン通信に必要なものを電気屋街に行って買ってきてもらった。
父の趣味がパソコンでなければ、この段階でパソコン通信をすることもなく、今、ここでこれを書いているわたしもいなかったと思うので、何がどう転ぶかわからないものだと思います。
上記文中で、わたしがパソコン通信を始めたのは1989年のことだと書いていますが、これは1992年の間違いでした。どうして間違ったのかは謎です。
ピー、ガー、ツルンツルンツルンツルン
モデムというものとソフトとパソコン通信スターターキットとを買ってきてくれたので、さっそく二人で取りかかった。
小説の中に出てくるパソコン通信は少し難しいもので、もっと簡単にできるところがあるとわかった。
これがいわゆるニフティサーブというやつだ。以下、ニフティと略す。
父と二人で頑張って、一日かかってやっとニフティに接続できたらしい、モデムの音を聞くことが出来た。
接続音の「ピーガー」という音は、このあと何度も何度も何度も聞くことになるのだけれど、初めて聞いた時の感動は忘れた。
やっと鳴った、と疲れ果てていた気がする。
パソ通友達との出会い
しばらくパソコン通信のパの字辺りで遊んでいたのだけれど、なんとなく想像していたものとは違う。
なんだこれは。もっと面白いと思っていたぞ。
使い方がわからない自分が悪いのだが、パソコン通信のせいにしていた。
ある日、掲示板でメール友達を募集している人がいた。
「メール」という単語はもうあったのだろうか。なにか違う気がする。でも意味は通じるからいいのだけれど、なにが違うのかな。
フリーライターをしているという人を発見して、経歴が面白かったので、一度話をしてみようと思って、メールを出した。
するとすぐに返事が来たので一日置きくらいのペースでメール交換した。
今、考えると「すぐに返事が来た」のが翌日だから「すぐ」ではないのだけれど、当時のわたしの感覚では「すぐ」だった。
CBデビューしたりして
CDデビューではない。CBというのは、今でいうチャットのことだ。
パソコン通信でひとり友達が出来たので前向きになれて、いろいろと探索しているうちにCBというものを見つけた。
ここではわたしのタイピングの速さが役立った。
今はわたしのタイピング能力は平均くらいだと思うのだけれど、当時としては恐ろしく速かった。
4人でチャットしている時に、3人が違う話題を持ち出してきたので、わたしひとりで3人を相手に話をしていた。他の人がわたしに対して入力している間に、わたしは別の人に返事を書いていた。
すると1人が、「こうりんさんが一度に3人と話している」と言うので、
「なにしろわたしは聖徳太子養成所で鍛えたので」と書いたら、これが冗談だったのに本気にされてしまって、どこにあるのか、どうすれば通えるのかなど詳しく聞かれるハメになった。
というくらい、パソコン通信をしている人はみんな真面目だった。
当時、パソコンを使えるというだけでかなりハードルが上がっていたので、悪いことをしようと思う人が入ることはあまりなかったのだろう。
パソコン通信でだまされたという話もまだ聞いたことがなかった。
ただ、友達の彼氏に「パソコン通信って、テレクラとどう違うの」と言われたのはかなりのショックだった。
ちーがーうー!
【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。
写真は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。
この橋はわたしを新しい世界に連れて行ってくれた橋だなぁと、
写真を見て思ったので、選びました。
キリッとした写真をありがとうございます。
坂道シリーズを書き続けるかどうしようかと少し迷っています。
迷いながらも、今に通じる出来事として、これは書くことにしました。