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初めての自殺未遂。死んだらあのきれいな空に溶けていけるかと思った。

ずっと家に閉じこもっていた。何も出来ず、ほとんどの時間を布団の中で過ごした。考えることといえば、後悔や自分の至らなさばかりだった。家から出るのは銭湯に連れ出される時だけだった。

許されないと詫びる日々に

布団の中で動けないでいるわたしに、世界中の人が怒りを向けているような気がしていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。何度もごめんなさいと思った。

こんなわたしには生きる資格はないと思うようになるのに、時間はかからなかった。

救いの電話が

ある日、電話がかかってきた。当時(1980年代)は携帯電話もなく、電話と言えば外の公衆電話か家に一台ある電話か、だった。

電話に出た母が驚きながら「Gさんやよ」と言った。這うようにして布団から出たわたしの耳に飛び込んできたのは謝罪の言葉だった。今は自分のことで精一杯だから待っていてほしいと言われた。

Gさんに迷惑をかけた、嫌われた、と思っていた。でもそうではなかった。安心したわたしは、考えていたことを決行した。

身体に悪いからと

翌日、わたしは家にある置き薬の箱から風邪薬を取り出した。箱がいくつもあったので、全部開封した。

お水を用意してコタツの上の薬と並べた。この時にわたしは、まず牛乳を飲んだ。こんなにたくさんのお薬を飲んだら胃が荒れてしまうから、牛乳を飲まなくちゃと思ったのだ。これから死のうというのに胃が荒れる心配をしているというのがおマヌケだ。

走り書きを残して

借りたままの漫画があったのを思い出した。それで、漫画をコタツの上に置いて、メモ用紙にひとこと書いた。

M子に返しておいてください。

これで準備は整った。ひとつずつ風邪薬を飲んだ。飲み終わるとまた、いつものように布団に潜り込んだ。

自転車の音がして

少し時間が経って、わたしは浅い眠りに入っていた。

玄関の方向から自転車を止める音がした。母だ。おかしい。まだ夕方の4時にもなっていない。帰宅するのは6時頃のはずだった。それなのにこんな時間に帰ってきた。

そう思いながら、また眠った。

たたき起こされて

家に入ってきた母はわたしに「あんた、まだ寝てるんかっ!」と怒鳴った。大きな声だったのですっかり目が覚めた。目が覚めたことに驚いた。

すると母が、「これ何」と言って、M子あてのメモを読んだ。内容からわたしが死のうとしたことに気づいた母は、「あんた、何飲んだんっ!」とまた怒鳴った。

仕方がないのでわたしはゴミ箱を指さした。そこには風邪薬の空箱がいくつも捨てられていた。

今でもその次の言葉は忘れられない。

「こんなことして、パパが知ったらどうするのん!」

母は怒鳴った。

お恥ずかしいことに我が家は、両親をパパ・ママと呼んでいる。これは母が決めたことで、「おかあさん」と呼んでもらえるような立派な人間じゃないから「パパ・ママ」と呼びなさいと言われていた。

母の本心を知り

母は、父が悲しむと言った。だけど自分が悲しいという意味のことは一切言わなかった。

子どもの頃から両親の喧嘩を見て育ったわたしは、申し訳ないと思っていた。母は離婚したいのに、わたしがいるから離婚出来ないことに、申し訳ないといつも思っていた。

だからわたしが死んだら、母は離婚できるに違いない。母の言葉を聞いた時に、やっぱりわたしのせいで離婚できないのだと申し訳なく思った。

誤解されて

母はわたしが死のうとしたのは、昨日のGさんからの電話でわたしが振られたからだと思っていた。本当は逆なのだけれど、訂正する気力もなかった。

もしGさんから連絡がないままにわたしが死んでしまったら、たぶんGさんは自分のせいでわたしが死んだと思うに違いないと考えていた。でも今ならGさんに迷惑はかからないと思ったのだ。どちらにしても迷惑はかかると今ならわかる。どこをとってもおろかなわたしだ。

夕食に手をつけて

父が帰宅して、いつも通りの夕食になった。

食べるとわたしは気分が悪くなって吐いた。母が準備していた洗面器があったので、問題はなかった。

アホやな、あんなことするから自分がしんどいだけや。

そう言って、母は笑った。

この時わたしは、もう風邪薬で死ぬのは無理だと心に刻んだ。

初めての自殺未遂はあっけなく終わり、翌日には元気になっていた。元気になっていたけれど、やっぱり布団の中で過ごしていた。

ある日、一本の電話がかかってきた。






シリーズ

【坂道を上ると次も坂道だった】

でした。

今度は坂道を転がり落ちていますが。







地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)