見出し画像

帰省して感じる、子育てのしんどさ。

わたし達夫婦は子育ての方針のようなものをたくさん話し合うようにしていてさ。例えば、娘が『ズボンはかせて〜』と甘えてきてもすぐやってあげずに“自分でできる”ってことを経験させるとか。息子はまだ3ヶ月だけど、なにもわからないと思わずに「おむつかえるね」「今ミルクを作ってるよ」となんでも説明するとか。日々の小さい声かけから、これから迎えるだろう大事な場面のことまでいろいろ話してて。でもそれって夫婦だけで話し合うから全然ラクだったんだなって思った。というのも、今久しぶりに帰省しているのだけれど、正直とてもしんどいなと。


そう思うようになった出来事が起こってしまってさ。具体的な内容は伏せておきたいんだけど、仮の感じでいうと、【子どもと大人のカトラリーの使い回しを極力避けていたんだけど、父親が自分のスプーンで娘にご飯をあげた】みたいなことで。要は、うちではやらせないって割と強く決めていたことを、両親がぬるっとしてきたってこと。

その場面に遭遇したときに、とっさに動くことができなかった。今までは『うちはそういうのやめてるから』っていえたのに、今回はなぜかその1回を止めきることができなかった。その瞬間の気持ちといったらもうさ。情けなさ、申し訳なさ、どうしてか自分が傷ついていた。


そして思ったのは、“子どもは疑問を持っても受け入れてしまう”ということ。やっぱり親がその対象に対して、きちんと断ったり怒ったり注意したりして、守らなければいけないんだということ。そして当たり前なんだけど、その対象というのが自分の実家や義実家、友人になることあるんだということ。


これがとてもしんどくてさ。自分たちとは考え方や方向が違うなってだけならいいけれど、その都度物申す必要があるのは、衝突を避けまくってきたわたしにはかなり力のいる作業で。どうしたもんかと思う反面、ただやるしかないでしょと思って、そして悩んでいる。

ただ、夫に迷いはない。これを瞬時に行う。
じいじがあまり教育によろしくないことを言うと、『次そんなこと言ったら、一生娘には会わさないよ』とぴしゃっという。すごい。

今回わたしが注意しなかったこと、夫は責めなかったけど『俺のためじゃなくて、娘のためだからね。ちゃんと伝えるべきだよ』といった。当然だ。


わたしたち夫婦は実家から離れて生活を送っているから、『頼る人もいない環境で子育てしててえらいね』といわれることもある。でも、それは自由に子育てできるということだ。近しい人たちに、なにかいわれることもいうこともない。だからラクな部分が大きくあって。だから今は、久しぶりに親やきょうだい、友人と過ごす中で、いろんな場面でいろんな気持ちを経験している。この滞在期間中はしんどい思いもしそうだけど、自分が親としてどういたいか行動する時間にしようと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?