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笑わない女と周のオオカミ少年の末路【教養を深める中国古典のお便り#19】

皆様、こんにちは!

メンバーシップ向け特典記事の「古典のお便り」19通目になります。

こちらのシリーズでは、普段の記事では取り扱っていない古典・史書から、さまざまな名言をお届けします。

前回は『淮南子』からお届けしました。

今回は司馬遷の『史記』を取り上げます。

『史記』の概要説明は以下の記事で行っていますので、確認したい方はこちらの記事をご覧ください。

というわけで、今回は周の幽王に関するお話から、信頼を失うことの怖さについて、学んでいきましょう。


『史記』周本紀に学ぶ

今回取り上げるのは『史記』周本紀からの言葉。

褒姒、笑うを好まず
(読み:ホウジ、ワラうをコノまず)

『史記』周本紀

褒姒(ほうじ)は全く笑顔を見せなかった、という意味。

褒姒は周の幽王の妃であり、褒(ほう)は出身国の名前、姒(じ)は姓になります。

つまり、褒国出身の姒さん、ということですね。

そして幽王は、周王朝の中興の祖となった宣王の息子です。

宣王については以下の回でご紹介しました。

この幽王は褒姒に首ったけだったのですが、褒姒は全く笑顔を見せてくれません。

幽王は何とかして褒姒の笑顔をみようと試行錯誤するのですが、その行動が周の滅亡を引き寄せてしまいます。

まずは、件の褒姒について見ていきましょう。


奇妙な伝説を持つ、笑わない女

褒姒には奇妙な伝説が残っています。

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