過去のことは割り切って、未来に向かって歩み続けよう(陶淵明「帰去来の辞」)
今回取り上げるのは陶淵明(とうえんめい)の漢詩の言葉。
過去のことは今更後悔してもどうにもならないのだと悟り、これからの将来を見つめていくべきだと気づいた、という意味。
陶淵明が自分の過去を振り返りつつ詠った言葉ですね。
過去の出来事に区切りをつけて、自分の未来に向かって歩み出そうという強い意志が感じられます。
陶淵明(365~427年)は陶潜(とうせん)とも呼ばれます。
姓は陶、名は潜、字は淵明ですね。
東晋の詩人で、五柳先生と号しています。
勉学に励み、29歳で士官したものの、役人生活の堅苦しさに嫌気が差し、41歳で退職しました。
その際に「帰去来の辞(キキョライのジ)」という詩を残しているのですが、今回の言葉はそこからの出典になります。
故郷に帰る前の心境を詩にしたわけです。
つまり、ここでの「已往(イオウ)」というのは、「役人として長く働いていた過去」のこと。
一方の「来者(ライシャ)」というのは、「役人を辞めて自由になった未来」のことになります。
陶淵明は、役人として我慢しながら働いていた過去は変えられないけれど、これからはそのことに縛られることなく自分らしくいきていきたい、という思いを抱いていたのかもしれません。
ちなみに、『論語』にも以下のような言葉があります。
過ぎたことは今更どうすることもできないが、これからのことはまだ追いかけることができる、といった意味。
楚の隠者が孔子の将来を憂えて語った言葉です。
孔子は理想の政治を実現するために各国を遊説して回っていましたが、当時は戦乱の春秋時代。
国の政治に関わるということは、ある意味で死と隣り合わせになるようなものでした。
楚の隠者はそんな孔子を心配し、「今までのことは今更どうにもならないが、これからのことはまだ考えることができる。今の世の中で政治に参加するのは危険すぎるよ」というように語ったのです。
陶淵明の詩も、この『論語』の言葉を踏まえているのでしょう。
過去に起きてしまったことは変えられませんが、これからの未来に向けて行動を起こすことはできます。
陶淵明の場合は、自由を手にするために、貴重な役人の身分を捨てて故郷に帰りました。
孔子の場合は、政治に参加するのは危険だと分かった上で、それでも自分の信念のために活動を続けました。
過去と決別した陶淵明と、過去を踏まえた上で歩み続けた孔子。
そこには優劣など存在しません。
大事なのは、過去のことを冷静に見つめた上で、これからの未来のために決断し、そして行動することだと思います。
陶淵明も孔子も、過去の自分を受け入れて、それぞれの道を進みました。
私も彼らにならって、将来の自分のために決断と行動を続けていきたいです。
過去のことは今更後悔してもどうにもならないのだと悟り、これからの将来を見つめていくべきだと気づいた、という言葉をご紹介しました。
2024年も気づけば残り1ヶ月ですね。
今年も色々ありました。
私としては色々挑戦できたこともあれば、うまくいかなかったこともあります。
続いていることもあれば、やめる決断をしたこともありました。
ですが、これまでやってきたことは決して無駄にはなりませんし、挑戦したからこそ得られたものも多かったように思います。
今年も残りわずかですが、過去に囚われ過ぎずに、一人一人が自分らしく過ごしていけたら良いですね。
それでは今回はここまで。
また次の記事でお会いしましょう👋
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