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「過去」を懐かしむということ
「家を出た時に感じる秋の風」
「昔好きだったキャラクターのガチャガチャ」
「小さな駅の古い食堂」
「昔好きだった映画」
「学生の頃バイトしてたカフェのにおい」
「ガラケー」
「どうぶつの森」
最近、私はよく「昔」を探す。
昔を見つけて、懐かしくなってニヤニヤ、心が満たされる。
私が小さな頃は未来のことで頭がいっぱいだった。
「将来の夢」「明日のテレビ表」「死ぬとどうなるの」
「新しい流行りのアニメ」「来週発売の漫画雑誌の付録」
24歳、気づけば過去を追いかけるようになった。
「ラブアンドベリー」「2人はプリキュア」「昔通ってた学校の校舎」「金木犀」「旧友」
多分、その頃からだと思う時間の進みが早くなって師走を師走と感じるようになったのは。
事あるごとに社会は懐かしい気持ちにさせてこようとする。
私は、「懐かしい」を自ら探しはじめた時、自分に危機感をもつ。
ついさっき、夏終わりの秋の涼しい風に懐かしさを感じようと家を出てカフェでこのnoteを綴る私は現在進行形で危機感をもっているところだ。
3連休最終日の18時、「明日」に怯えて「過去」を愛しむ
同じ理由で「過去」を愛しんでいる人がいれば声をかけて、私もだよと、そして公園で昔話に話を咲かせて精一杯「明日」から遠い場所に自分を置きたい。
「明日」に怯える人がいるならばYouTubeで懐メロを流しながら「過去」に自分をおこう。多分、前に電車でイヤホンから昭和チックな曲がイヤホンから音漏れしていた20時頃のサラリーマンは「明日」に怯えていたんだね。