【エッセイ】無意識のSOSを感じとる超能力者に出会った
9月の頭にnoteを始めようと思い立って約1ヶ月間は結構コツコツ投稿していた。あの時は書きたいことが溢れていたしやっと快適な居場所を見つけたことで水を得た魚のように嬉々としていたように感じる。キーボードとタブレットに齧り付いていたし思いついたアイデアを形にするまでは寝る間も惜しんで完成させた。お風呂に入っているときに言葉が溢れてきたら上がるまで忘れないように何度も反芻して同時に推敲してかなり頭を働かせていた。なんだか必死に生きていた。
しかしながら今月に入ってストップしてしまった。三日坊主だからすぐにそうなることも予見していたのだが、いつもとは何かが違う気がする。コツコツ努力することに飽きたわけではない。書けないって苦しんでいるわけでもない。「書く必要がない」という状態になったのだ。
noteを始めた理由は誰にも話せない“この気持ち“が溜まりに溜まってどうにかしないと爆死しそうだったからだ。私は投稿する文章に本音を散らばせていた。本音を“書いた“ではなく“散らばせていた“なのはやはり私の心全てを打ち明けることは恐ろしいのでフィクションにノンフィクションを混ぜ合わせることでどこまでが本心なのかを誤魔化していたのだ。私の気持ちを小説のキャラクターに代弁させることで深呼吸ができたような気分になったし、脚色しているのではないかというほど記憶を鮮明にして書いたエッセイで反対に自らの存在を疑って曖昧にしたこともある。ただ、振り返ればそうだったなというだけで意識的にそうしていたわけではなく無意識だったと思う。
そうやって1ヶ月投稿し続けた9月の終わり頃、私のnoteを読んでくれていた中学生時代の“知り合い“が連絡をくれて久しぶりに会うことになった。約7年ぶりの再会だった。
正直言うとその人は“友達の友達“という感じだった。中学生時代にたまたま進学塾で机を並べて一緒に勉強したくらいで深い話をした覚えもなかった。だから声をかけてくれたことと会うことはとても嬉しかったのだが、実際対面する前はどんな感じなんだろう?と緊張気味だった。会話が弾む想像がつかないしそもそも何を話せばいいのかわからない。待ち合わせ直前にはお互い認識できるのかという不安も感じた。
私は人と待ち合わせする時に自分が先に到着している場合、無邪気にキョロキョロと対象者を探すのが恥ずかしくてできないのでスマホの画面に目を落として待っていた。再会した時、その人はそんな私の顔を覗き込んで嬉しそうに手を振ってくれていた気がする。
「なんか記憶と違う!」
と思った。私の記憶の中のその人はもっとクールで、7年振りの再会でも「よっ」と軽く手を挙げるくらいを想像していた。“知り合い“だった頃、高校受験を控えていたので私たちの間にはなんだかずっとピリピリとした空気が流れていた。おまけにその人は疲れ果てていることも多く声をかけづらいと感じていた。また、元気な時は1人黙々と勉強するか漫画を読むかの二択だった気がする。だから私の中ではクラスでは窓際の1番後ろの席で独り外を眺めているようなタイプに見えていた。学校は違かったので実際のことは知らないが。
7年越しの再会で最初の話題は「お金を下ろす」だった。自分のお金を自由に使えるようになった今、あの頃から7年経ったことを実感させられた。その人がお金を下ろしている間、私はあの頃のクールな印象はいつの間にか私が書き換えた間違ったものなのだろうかと自分の記憶を疑っていた。あの頃とはまるで別人で明るく朗らかに笑っているからだ。クールな鋭さがなくなり、フラットで柔らかい雰囲気を纏っていた。改札前からATMまでのたった数分の間に冗談も文句も楽しそうに話してくれた。
予約していたオープン前のバルの店前で立ち話をし始めた頃には会話が弾むかどうかなんていう不安は払拭されていた。もう流れに身を任せようとリラックスしていた。
その日のあれこれをここに詳細に書き記すことはできない。プライベートすぎる話ばかりしていたからだ。
ただ、1つだけ書き記したいことがある。それはその人が私に会おうと連絡をしてくれた理由だ。私のnoteには友人が欲しいとか少ないとか人に会いたいとか寂しいなんてそんな直接的なことは書かれていない。だからなぜ?という疑問がずっと残っていた。
「言葉にするとか文章を書く時って思い悩んでる時なんだよ。自分もそういう時期があったから。」
そう言って過去の色々を打ち明けてくれた。それは私が誰かとずっと話したかったことだった気がするし共感し合いたかったことだし言葉にできない気持ちだった。あんなにするすると心地よく体内に偽りのない言葉が入り込んでくる体験は初めてだった。そして唯一7年前と変わらない聡明な眼差しは私から正直で重たい言葉たちをその人の言葉と入れ替わる様に取り除いていった。
その人は中学生時代から私に自分と似た匂いを感じていたらしいし、私の文面からも叫びを感じ取ったらしい。私が無意識に書き並べていたSOSの言葉たちを嗅ぎ取って声をかけてくれたみたいだ。危うく涙が溢れそうだった。3%のアルコールのせいにしておこうか。(私は3%では酔わない。あと2%度数が高かったら本当にアルコールのせいにできたのに!)ああ、報われた。救われた。と思った。noteをやり始めてよかった。あの日に今までの全てのドス黒い気持ちが溶けて消滅した気がした。あの日を境に心が晴れやかになったし、文章を書かないと生きていけない!みたいな衝動に駆られることが減った。
その人は私の今の悩みと似たような悩みを高校時代に経験していたらしい。聞いた感じ私の悩みより深刻そうだった。それでも今は乗り越えたこと、変わったことを穏やかに話してくれた。私が知らない7年間の間にその人はきっとたくさん傷ついて悩んで考えて言葉にして立ち直ってを繰り返したのだろう。そしてあの柔らかくてたくさんの温かい言葉を持ち合わせたその人が出来上がったのではないだろうか。その人とは同い年だけどその分野の悩みに関して私よりも数年先を歩んでいた。そしてその人は自分の経験を独り占めせずに周回遅れの私に共有してくれた。noteを始めてそんな貴重な存在に出会えるなんて思ってもいなかった。もうその人は“友達の友達“でもないし“知り合い“でもない。大切で信頼できる尊敬する友人だ。
noteに書くことでしか消化できなかったこの気持ちの大半はもうその人に打ち明けるという方法でどうにかなりそうだ。だからnoteの更新頻度はかなり低くなる気がする。しかし、それでも良い。いや、それを願っていたのかもしれない。
いつの日かこの私の少し苦しい日々も誰かの支えになるようにしたい。
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