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本を読める人と読めない人に知能差は無いが、読書によって結果的に能力差がついてしまうので、音声学習がもっと広まってほしい【ディスレクシア/難読症】
「文字を読めない=頭が悪い」ではない?ディスレクシア(難読症)という障害
私は子供のころから本を読むのが好きだった。そして学生時代、本を読める読めないは単純に国語力があるか否か、ありていにいえば頭の良し悪しなんだと思っていた。
そして、それは本をたくさん読んで訓練すれば、読書が苦手な人でも克服し
ていけると。
しかしながら、今はそう思っていない。本を読める読めないは、大なり小なり先天的に差があると思っている。
その思うようになったきっかけ、「読書力や識字能力は誰でも等しく同じというイデオロギー」に初めて疑義を持ったのは、ディスレクシア(難読症)という学習障害を知った時。
ディスレクシアは簡単にいうと文字をうまく認識できない障害で、文字が歪んで見えたり左右逆さまに見えたりするらしく、当然文章を書いたり本を読むことが困難になる。
重要なのはディスレクシアは知能の高低と関係がないことで、実際ABEMAではディスレクシアの高校生が画家としてデビューする回が放送されていた。
画家としての能力もさることながら、受け答え等も私の高校時代と比較すること自体が失礼なくらい聡明。
この方は知能高い方のケースだけど、ディスレクシアと一般人との知能に有意な高低差がないのであれば、全体としては一般人と同じように知能の高い人低い人が分布していると思われる。
学校教育は音声学習タイプを過小評価し、文字学習タイプを過大評価している。小学校の輪読は気を付けてさせないと、学習に対する忌避感や苦手意識を生んでしまう。
私がディスレクシアのことを知ったのは20代半ばくらいだったと思うけど、その時に思い出したのは、小学校時代にクラスで一人ずつ音読させられた国語の授業。
その授業の時、いつもつっかえながらスムーズに読めない子たちがどのクラスにも2、3人にはいた。
今思えば、あの子たちの何割かはディスレクシアだったのかもしれない。
そう仮定したとき、あの輪読の授業は彼らに対して劣等感を植え付け、国語ひいては学習そのものに対する忌避感を生むというマイナスの影響を生じさせていた可能性がある。
彼らは普段は明るい普通の子たちだったけど、音読の時は決まって声が小さく、うつむきながら自信なさげに読んでいた。
音読自体は国語並びに外国語でも有効な学習方法(というか訓練方法)だと思うけど、ディスレクシアの子たちに対する配慮はもっとあってしかるべきだった。
さもなければ、国語及び学習そのものに苦手意識を持った子供たちは、その後の学習も前向きに取り組めなくなるという二次的な問題が発生しかねない。
Youtuberに本を解説させるのではなく、著者や出版社がやって欲しい。YouTubeやAudibleでは物足りない。
アメリカ等の英語圏ではディスレクシアを患う人は日本より多い。ウィキペディアによると、英語は日本語と比べて文字と音声が一致していないケースが多く、ディスレクシアが発生しやすいとのこと。
その分、英語圏では音声学習の教材が豊富で、トム・クルーズやキーラ・ナイトレイは音声学習等の補助により克服したらしい。
最近は本を解説してくれるYoutuberが人気だが、これは一定数音声学習の需要があるからだと思われる。
本解説のYoutuberは上手く要約してくれるから、読書好きの人からの解説需要や、家事や移動中のながら学習需要もあると思うが、いずれにしても音声での学習にこれだけ需要があるのだから、著者自ら解説してくれたり、出版社の用意した解説者、声優等にさせても良いのではないかと思う。
その方がYoutuberにさせるよりも著者への利益に直結しそうだし。
Amazon Audibleというアプリもあるので使ってみたが、本の点数も少ないし、価格も高くて使いずらい。
ディスレクシアの知能に問題がなくとも、学習のアシストが貧困であれば結果的に読書から得られる知識や能力開発が進まないことになる。読書による能力開発の指数関数的な効果を皆が享受できるよう、音声学習素材がどんどん出てきてほしい。
そういうわけで強引にまとめるけど、日本ではテストばかりを重視して文字学習者を優遇した結果、二次的にディスレクシアの人を過小評価し、自信を失わせるような状況が続いていると思う。
文章を読む、本を読むという経験は、知識自体の集積につながるだけでなく、その得た知識を基により効率的に情報を収集し、思考を発展させることにも役立つ。
その読書という行為の累進性、指数関数的な能力向上の可能性を考慮したとき、見落とされているディスレクシアの人々に対しどうやって読書に代わる学習手段を提供するか?ということは、もっと考えられても良いはずだ
その点において音声学習は有効な手段だし、かつタイパ重視の一般人にとってもながら学習や本の要約が聞ければ効率もいいので、著者や出版社によるオフィシャルな学習素材の提供が進んでほしいと思う。