読書録
「本当の教育」という観念自体、その実現可能性について、十分な根拠を示さずとも人びとの納得を得られる大きな神話である。「本当の教育」がゆがめられているという認識。そして、ゆがめている「犯人探し」。しかし、犯人探しを何度繰り返しても、「本当の教育」は実現しない。〈良きものとしての教育〉という認識自体が、小さな神話を包み込む大きな神話だからである。こうして、私たちの教育へのまなざしは、教育という世界の内側に釘付けとなり、不平等をはじめとする社会の構造問題との接点を失った教育論議が繰り返されることになる。
教育に何ができるのかを考えるのではなく、何が出来ないのかを考えること。
教育に何を期待すべきかではなく、何を期待してはいけないのかを論じること。
苅谷剛彦著 『大衆教育社会のゆくえ〜学歴主義と平等神話の戦後史』より
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