教育学部に入ってから

昨日教育学部に入るまでを拙く書いてみました。とにかく僕は先生になりたかった、教育学部に入って教育のあり方について勉強がしたかったのです。
では入ってからどうだったのでしょうか。

高校は部活三昧で9月まで部活満喫してましたので大学受験はギリギリを極めてました。なんとか第一志望校の大学には入ることが出来、輝く希望を持って僕はその大学に通い始めました。

1年春学期とにかく楽しく過ごしていました。そこである授業受けたことが僕にとって大きかったような気がします。「職業と教育」と言う授業です。東大の本田由紀先生という教育社会学者の方の著書を教科書として学んでいく授業でした。正直楽単だと思ってとった授業ではありましたが、社会学的なアプローチを教育に対して行うことに対して非常に興味を持ち、その後苅谷剛彦先生や中村高康先生の著作などを読むようになります。「教育社会学をやりたい!」と言う気持ちが前面的に出てきます。
しかし、気づきました。私の通っている大学は教員養成系楽部で僕はその時には教科教育コース国語専攻に所属していたのでそこからそれを専門にするのは少し難しかったのです。(教育基礎コースというのに転科すれば行けましたがそこまでの勇気はなく)

大学院から教育社会学を専門にするか?などとかなり悩みながら1年生活を過ごしていましたが、2年生ではそれを忘れるように国語の専門にハマりました。
この沼に陥った原因にはもう一つ反動的なものもあります。それは「あまりにも教職が面白くなかった」ことです。教員養成系なのでしょうがないのですが、実際に現場に行った時に使うスキルやただ学習指導案を書く練習をするなど… 果たして大学時代にやるべきことなのかと疑問に思ってしまいました。それは私自身が「教育学部生がやることは今の教育の現状を俯瞰的・批評的に見て、それについて深く考えること。それこそ教員になるに当たって必要なことだ」と思っていたからです。しかし、大学は現場に必要なスキルをそのまま与える授業だったのです。これには幻滅してしまいました。専門学校を馬鹿にしているわけではありませんが、専門学校と大学は何が違うんだ、とも思いました。

そんなこんなで国語にはまりました。正直受験をしてる時は国語苦手意識ありましたし、センター試験の点数は下から二番目の点数でした。

日本近代文学・古典文学、中国古典文学、日本語学、書道など色々ありますが僕が沼に陥ったのは書道です。それはずっと憧れていたものでもあります。

なんだかんだあり、今は書道ゼミに入り書の技術向上に努めています。

今後はプレイヤーとしての書の技術を高めることをメインにしていくのか、日本語表記について所謂国語学的な分野を主とするのか、古代の漢字を主とするような文字学をメイジャーとするのか、と言ったことを決めていかねばなりません。もちろん、どれもやっていくと思いますが、重点的にするのはどうするか。

雑にまとめていますが、これだけでも僕は大学に入ってから色々と変遷がありますね。本当は各学年を詳細に書いた方が面白いですし、三年をこんな一つの記事にまとめる方が誤ってると思いますので、今後それもチャレンジしてみます。

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