木製食器ブランドを作るまで
元美大生が宝塚舞台背景の仕事を辞めて、木工の道に進み、木製食器ブランドを作りたいと思うまで。自己紹介も兼ねたお話。
美大生の悩みと仕事の悩み
私は京都の銅駝美術高校で日本画を描き、京都の精華大学で油絵を描いて過ごしてました。過ごしていたというのは美術を学ぶというのがなんだかよく分からず、真面目ではあったんだけど優秀ではない、ただ絵を描いて過ごす学生だったんです。どうやって美術を学び、どうやって自分の製作に活かすか?今なら分かりますが、当時は全然分からず。
自分って何?
自分の好きなことって何?
という、いわゆる自分探しの毎日でした。私は高校から美術系のところだったんですが、中学生の時に「兄の真似事ばかりで、自分が好きなものってなんだろう?」って、そんな思いが美術の道に進んだきっかけでして。感動するっていうのもよくわからないし、美術なら何かに感動出来るかな?っていう、小っ恥ずかしいけど本気の悩みもちょっとあり。
大学を卒業してもその問いにはっきり答えることは出来なかったけれど、何か美術に関係した仕事には就こう!と。結局、宝塚歌劇団の舞台背景の仕事につくことが出来、そこからまた絵を描いて過ごしていたのですが、なんかモヤモヤする…このままでいいのか…と。
皆んなで舞台を作るのは、永遠に続く文化祭みたいなもので、それはそれでとても楽しい部分もあったのですが、段々とフォーマットがわかってきてしまうんです。どの公演でもこういう種類の道具があって、大体こういう背景があって、とか。伝統的な宝塚歌劇ですが、5年10年としたら時代も変わり、それに合わせて変化するでしょうし、一つ一つの公演の違いを楽しむことも出来たでしょうが、当時はそんな優等生な考え方は出来ません。同じことの繰り返しに見えてきてしまったんです。このままずっとここにいていいのかな?と悩むんです。背景に映像が使われ始めると・・・
「あーこれはどんどん絵を描くというより表面塗装みたいな仕事が多くなるな!」
「もう背景必要なくなるんじゃないか?」
と全部マイナスに見えてきてしまうんですね。
どれだけ凄いエンターテイメントで、どれだけ一つ一つの公演が観客の皆さんに楽しみや思い出を届けているか、そういうことは見えてませんでした。
そこからは、会社を辞める理由を作ろうとしているのか?と思えるような考え方に染まります。でも本気でした。当時は本気で舞台道具のような作っては捨て作っては捨てという世界ではなく、ちゃんと世の中に残り、愛されるものを作りたいなと思うようになったんです。結果仕事をやめて、日々の生活を共にする大切にされる家具を作りたい!と思って職業訓練校に行ったのです。今まで散々絵を描いていたのに、不思議ですよね。
自分の裏切り
職業訓練校では、木の家具を作ったり、様々な小物作りもしてましたが、お皿作りがとても楽しく好きになりました。学校のカリキュラムにはなかったので、自分で木工旋盤を買って独自に作り始めました。そこからは家具製作とお皿製作の両輪です。やっぱり家具は好きで自分だけの家具を作ってやるーって思ってましたし、長く使えるものをしっかり作ってやるーとも思ってましたが、だんだん疲れてきてしまったのです。これは予想外!残るものを作りたい、愛されるものを作りたい、と思って木工の世界に入り家具を作ってみたら、なんか性に合わないのです。小さな家具なら良かったんですが、大きくなればなるほど自分が製作するものとして合ってなかったんだと思います。意外と手の中に収まるものというか、小さいものを作るのが合っていたんですね。アルチュール・ランボーの言葉に「『私』とは他者である」という言葉があって、本来の意味を理解しているわけではなく、自分なりに解釈しているつもりですが、なんか印象に残ってて。自分って分からないものだなーとつくづく思いましたね。軽く話してるようですが、当時はどうしようもない自分に強い絶望感と、全てどうでもよくなってしまうような気持ちでした。
さて、これからどうやって目標を持って進めば良いのかさっぱりわからなくなり、悩み、自暴自棄になり、沢山の人をがっかりさせてしまいました。でもあがきながらも何故かお皿作りは続けられたのです。どうしようもなくなっても仕事はしなくちゃいけないし、就職して新しい仕事もしました。でも休日になったら自分の作業場でお皿作りをする。続けていくと・・
「いやーお皿作り大好きなんですよ!」
と言いにくい部分も分かってきますし、大変なこともわかります。お皿作りが好きなのかどうか分からなくなることもありますが、好きなことは続けられる、続けられることは好きなこと、と思うようになりました。
そうこうしているうちに、自分が何を思っていたか、何を考えていたかに縛られず、今の自分を見つめようと思ったわけです。過去に絵を描いていたけど今は違う。残るものを作りたいと家具作りの道に進んだけど今は違う。過去にこんなことを言っていたけど、今の気持ちを見つめよう、と。昔好きだった「からくりサーカス」という漫画に「進化の反対は無変化。私は変わり続けている」というものがあり「なるほど!変わることを前向きに捉えていいんだ!」と思ったものでしたが、いざ自分のことになると過去の決断や、過去の考えに引っ張られるもので、変わっていくことを前向きに捉えられなかったんです。変わると周りの目も気になりますし、「なんでこう言ってたのに簡単に変えるの!?」と批判も受けます。でも周りのことを気にしすぎないことも大切だなと本当の意味で理解したんです。だからといって過去の発言に無責任でいることや、誰かを傷つける変化は考えものですけどね。
世の中にないものを作る?
そこからはお皿作りを続けながらあることに気付きました。木のお皿には作家さんの作る器と、大量生産品のどちらかしかないんじゃないか?ブランドとして展開される木製食器がないなら作りたい。そんな気持ちがきっかけで、木製食器ブランド作ろうと!と思うようになったのです。もちろん世の中にそういうブランドが全くないというわけではないんですが、私にとっては一つの進むべき道が見えたような感覚でした。
ブランドコンセプト
「Kotun」は、木が醸し出す音に注目して名前をつけました。金属や陶器の食器のカチャカチャという音は楽しいものですが、それに対して木が醸し出す優しげなコツンという音を名前にすることが、1番木の食器ブランドの名名前にふさわしいじゃないかな?と。
それに木自体はすでに木目という模様を持っているので、表面に何か色を塗ったり、描いたりするんじゃなくて、お皿の形自体を大切にしようと考えました。装飾的に使えるお皿のリムの部分を様々に変えることで、色々なシリーズのお皿を展開しようという発想につながったわけです。テーブルをキャンパスに見立てて、花柄のお皿でお花畑のように彩ったり、睡蓮の葉をイメージしたお皿で水面のように見立ててみたり、そんなお皿作りをコンセプトに、デザイン・製作をしています。
終わりに
その時その時の道を迷いながら選択し、繋がりのないようなこともいっぱいしましたが、今になって全てが少しずつ繋がってきたようにも思えます。失敗は成功につながる単なるプロセスであるというように、悩みも一つのプロセスでしかない。過去に悩んだことが人生の中で必ずどこかの道に繋がっていくと思いますし、僕の場合は年を重ねるごとに段々自由になってきたように思います。
好きなものがないなーと思っていた自分が、なんとなく続けられることを見つけて、日々を楽しく過ごせるようになり。感動出来ないなーと思っていた自分が、今は娘の一言一言に感動するようになった。もうほんと子供絡みのドラマとか映画が心に刺さりすぎてすぐ泣きます!今までの悩みや葛藤やあがきが人生を少しずつ豊かにしてきてくれたような感じです。
段々何を目的に書いてるのかわからなくなってきましたが、そんなこんなで木製食器ブランド「KOTUN」をよろしくお願い致しますw
ブランディング・デザイン・製作 大石 浩介