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生後4か月で保育園に入れる―ハンバーグを吐いた日―

今日の夕飯はハンバーグでした。
ハンバーグを見るとふと思い出すのが、真ん中の子の保育園が決まった時のことです。

第一子は保活がうまくいかず、ようやく保育園にはいれたのが1歳半のときでした。なので、二人目はそうならないようにと、早めに保育園入園の申請を出しました。私もハーフバースデーくらいから働きたいなという希望がありました。

ところが現実とは思うようにうまくはいかないものです。
なんと生後4か月から保育園に行けるようになってしまったのです。
保育園入園が困難なこのご時世に、行けるようになってがっかりするなんて本当に不謹慎でさえあるのですが、私の気持ちは「えっ……もう?もう入れなきゃいけないの?」でした。自分で申請しておいて。

4か月といえば、まだハイハイもおすわりもできない、離乳食も始まっていない本当にふわふわの赤ちゃんです。これまで完全母乳で育ててきたまだ寝たきりのこの娘を、今すぐ手放すなんて……。「ハイハイも 立っちも全部 保育園」という子育て川柳を見たことがありますが、まさにそうなることが今決まったのです。初めてハイハイするのも、初めて立つのも私はきっと見ることを許されないのです。

もともと私には「1歳までは親元で育てる」という漠然とした固定観念がありました。それでも6カ月で預けようと思ったのは、仕事が好きで早く復帰したいという気持ちと、家で一人で赤ちゃんと向き合うのはきついという一人目の経験からくる思いがあったからです。ただでさえ1歳まで家庭保育しないことは自分のわがままだと罪悪感を持っていたのに、時期が早まったことでそれはさらに強まってしまいました。たった2カ月だよ?と思われるかもしれませんが、赤ん坊の2カ月は大きいです。


そして、ハンバーグを吐きました。罪悪感から逃げられなくなった私の胃袋は「もう無理だ」と根をあげて、エネルギーの源を体から追い出してしまったようです。夜中に突然の吐き気に襲われてトイレまで間に合わないと踏んだ私は、縁側から庭に夕飯に食べたハンバーグ2個を放出しました。食道は胃酸で焼けるように熱く、でも目から溢れる涙は冷たく地面に落ちました。


結果的に保育園の決定を辞退することもなく、娘は生後4か月で入園しました。慣らし保育の時から一度も朝の別れで泣いたりせず、その後もにこにこと通いました。

先生にもお友だちにも「保育園で一番小さい子、みんなの赤ちゃん。」として本当にかわいがってもらい、あっという間にハイハイしだし、離乳食を食べ、気が付いたらもう立ち上がっていました。
私が毎日仕事だ保育園の準備だとバタバタしているうちに、娘はさっさと1歳の誕生日を迎えました。

りっぱに1歳になった娘を見て、あれほど1歳までは家で育てないといけないと思っていた私は、「保育園に預けて良かったな」と心から思いました。

生活リズムは整っていて、夜は8時に寝て朝は7時に起きます。授乳時間も毎日ほぼ同じ。多くの人と触れ合い言葉も早い。きちんと管理された給食のおかげで栄養状態も良好です。
「私が家で一人で育てるより全然よかった」んです。当然です。保育のプロが仕事として誠実に取り組んでくれたのです。こちらは保育に関してさっぱり勉強していないずぶの素人です。仕事のために早く保育園に預けることが私のエゴだと思っていましたが、自分で育てるのが良いと思っていたこともエゴだったのです。

あとで聞いた話ですが、私の母は3歳まで家庭保育が理想だと思っていたそうです。それは母が祖母に3歳まで家庭保育されていたからでした。そして、私は1歳まで母の家庭保育で育ちました。「1歳まで家庭保育」の呪いは経験に基づいたもので、自ら作っていたのです。


ハンバーグを見ると、あの夜、胃から暴れるように外に飛び出してきた熱い感覚を思い出します。もちろん毎回ハンバーグを見るたびに思い出すわけじゃありませんし、今でもハンバーグは好物です。だけど、ハンバーグは私がもっていた呪いの象徴になりました。いらない呪いでした。でも、縛られていることに気づけたことで、世界はまた広がりました。

たぶん、私の呪いはほかにもいっぱいあるのです。勉強の呪い、お金の呪い、コミュニケーションの呪い、仕事の呪い……。呪いたちに気づき、ちょっとずつさよならしていけたらいいな。そして食べ物を吐くのはもったいないので、できれば追いつめられる前に、罪悪感の正体を微分して呪いと対峙してやりたいと思っています。

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