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還元できるリソースは、子宮内膜症とパニック障害、そして高齢出産

世界中のママに届けたい!
心身のアウェアネス・ナビーゲーター、こつばんママです。

noteとアメブロSTUDiO PiVOT本家ブログ、と記事を書き続けています。
noteは、私の「想い」を綴る感覚で書き出しました。
「からだから見る育児」を提唱して10年。
娘との時間、自分自身の育児と生業とする心身のお仕事を等身大でまとめています。
それを、少ししっかりとまとめていこうかな、と書き始めたのが、このnote。

この前、noteがプロフィール記事として固定できることを知り、
そうか!と思い、私も「プロフィール」として記事を書いてみよう、と思い、書いてみました。(2021年12月加筆修正)

〜ざっくりと全体像〜
子宮内膜症に罹患した事から、アロマテラピーをはじめとする自然療法(ハーブ療法など)やマッサージ、代替医療を学び、自身の子宮内膜症は完治。
しかし、その前に「ヒト」がわかっていない事には、アロマもハーブもマッサージも単なる対処法でしかなく、本来のあるべき状態では無いと気づき、模索する中で、AWARENESS ANATOMY®(以下AA)に出会う。
AAに出会い、不定愁訴のオンパレードが全て消失し、それをバネに心身のアウェアネス・ナビゲーターとして活動中。
そして、不妊症だと思っていたのに、41歳で自然妊娠〜出産〜育児を経験。
私が持っているスキルとノウハウを、世界中のお母さんに使って欲しいと切に思う。

転職歴が多いかも

転職の多さに、最初の結婚では「履歴書」を出すことになったんです。
(のちに色々あり、離婚に至りましたが。)
そんな職歴も、始まりは・・アパレル。パタンナーを目指し、服作りをする毎日でした。

高校卒業後、バンタンデザイン研究所で、服飾パタンナーを目指し、就職。

卒業目前に湾岸戦争が勃発し、アパレル業界にも色々な波が訪れる。
就職した最初に年に、ボーナスが出ないかも?という経営難のブランドで、どんな会社でも給与が出なくなるのかもしれないのか、と21歳で悟りました。
パタンナーがやりたかった理由は、「その人にあった服作りがしたい」という理由から。
しかし、就職するも、すぐにパターンは引かせてもらえず、販売員としてショップに立ちます。
会社の意向は、「服作りの前に、どんなお客様が来ているのかを知ることが先」であった事が、21、2歳ではうまく理解できず、スタッフ間のあるトラブルを機に退職。
学生時代から約2年間勤務した最初の企業を後にする。

しばらく次に何をやりたいのか?と模索する中、アパレルではないんじゃないか?と思い始め、全く違う職種の面接に行く。

今で言うDTPの下請けのデザイン会社に面接に行きました。
某大手印刷会社の下請けだったので、仕事の大半は某大手印刷会社から来る仕事で、最初の1年間は、某大手印刷会社の中にデスクが置かれ、大企業の一員として仕事をしていました。
(あの時期は、今思うと一番向いていない事をやっていた気がします。)
所属した部署は、とある文具メーカーのカタログを作る部署。
カタログ作りのプロセス、デザインの基礎的なことを見よう見まねで学んでしまいました。
下請けのデザイン会社の中で仕事をしていただけですが、若い脳みそが吸収できることがたくさんありました。
今もパソコンのアプリケーションに抵抗感がないのは、当時の経験があったからだと思っています。
このデザイン事務所時代が、23歳〜24歳(25歳になる年まで)

子宮内膜症発症

94年、デザイン事務所時代・24歳の時に子宮内膜症発症し、アロマテラピーと整体の治療を受け始めます。
この時、ホルモン治療の副作用でパニック障害になり、
それを回避するための方法として、自然療法に目覚めます。

当時のことはこちらに記述を残しています。

通っていた治療院で、アロマテラピーと整体を学ぶのですが、その治療院では、妊婦さんや産後のママさんの治療を多くされていました。

そんな環境を見る中で、「助産師になりたい!」と思い、2年間受験勉強しながらアロマテラピーの仕事をしていました。
(今思い返しても、無謀な選択でした・無駄だとは思っていませんが・笑)

そもそも、テスト・試験があまり好きではないところに、高校でも受験対策していないですから、結構ハードルが高くてですね、看護学校に入る時点で全部落ちたので、助産師の道を諦めます。

この期間に最愛の叔母と祖父が立て続けに肺がんで亡くなりました。ある意味、家族のケアをこの時期に出来たことが良かったのかもしれません。
家族が二人とも肺がんで他界した事で、心身への取り組み、「予防医学」「プライマリケア」について真剣に考えました。

当時お世話になっていたアロマテラピーの学校で、講師とトリートメントなど行いながら、併設の助産院で産前産後のケアに携わります。

この時に出産に立ち会う機会を設けることができて、助産師でなくても、
産前産後に関われるのか、と気づきます。

私には妹が二人おり、どちらも第一子の出産に立ち会いました。
最初に生まれた姪っ子は、私が勤務していた助産院で生まれています。
その子も、成人し感慨深いです。

しかし、このアロマテラピーと整体の対処療法に疑問を持ち始め、大学で解剖生理学を学べないだろうか?などと思い始めます。

そんな時に、現夫でもある骨盤先生(平山)に出会い、機能解剖学について学び始めます。
その頃のストーリーはこちらへ(そのうちnoteに移行予定です)

この頃、同時進行でやっていたのが、アイリッシュパブの立ち上げです。
全く「異業種」ではあるのですが、アイルランド好きが高じて、仕事をすることに。インターネットがそんなに発達していなくて、アイリッシュミュージシャンを招き、セッション企画や楽器のワークショップの開催をコーディネートしていました。
ワークショップの企画、PR、受付全てやっていたんですが、当時ってFAXを使った申し込み処理をしていたんですよね。懐かしい・・・まだアナログな感じでした。

初めての独立〜怖いもの知らずの30代〜

そして、本業の方は、99年に退職して独立します。
(今で言う、「女性起業家」的な話なのかもですが、怖いもの知らずの起業でした。経営の"け"の字も知らなかった青二才。)

独立した後に、2000年ー2003年まで、同僚だったメンバーをサロンを運営しますが、ドラマのような出来事が次々に起こった事、そして、本当にもうカラダが動かないくらいのパニック障害の症状が、また起こった事など続き、サロンをクローズ。
そこから2年間はフリーランスで動きます。

このフリーランス期間に離婚を経験。

この辺りがどん底だったかも。

平山の所で少し仕事を手伝ってもいたのですが、どん底の状態のまま仕事を中途半端に手放します。

その手放したタイミングで、アロマテラピーで知り合った友人から、フレグラントアース社(現在は別の会社が輸入販売されています。)の仕事に誘われて、離婚のタイミングで一旦契約社員になりました。
ここで2年間の営業仕事で全国の百貨店を回るようになりました。

2年半の間に、私も今後の人生を描き始め、どうしたもんか?と思い悩む日々が続きました。
そんな時に、平山の書籍出版が続き、そのサポートに入る、と言うところで、STUDiO PiVOTに本格参入です。

STUDiO PiVOTに本格参入してからは、STUDiO PiVOTをどう運営していくのか?的なことを中心にやり、同時進行で私自身もオイルトリートメントのメソッドを構築していきました。(ユルメディトリートメント)

40歳超えての自然妊娠でさらに人生転換期

2009年、40超えてからのびっくり自然妊娠で、また働き方が変わりました。ビジネスパートーナーが、共に子を育てる事になるというある意味想定外の人生になりました。
そのお陰なのか、出版書籍もどんどん増えて、言いたい事、伝えたいことが書籍になっていくと言う機会を頂きました。
出産から時間で、私自身の変容が大きく今に至ります。

「思考パターンの解放」そして、その変容です。

30代で伝えていた「からだを緩める事」「身体を調整する事」は、解剖学を前面に押し出して、それが大事!と言い続けていました。

出産直後もまだ、それを引きずっていた気がします。

しかし、娘が成長するにつれて、「思考パターン」と「どう感じたのか?」など、自分自身の思考パターンによって、関節機能の緩み方が変わってしまうことを体験します。カラダからの方が早い。ずっと、そう思っていました。

しかし、カラダのアプローチで変わる人、変わらない人、この差の違いはなんだろう?

そう思っている中で、「マインド」についてを再度見直し、学び直しです。
Twitterを利用して、お天気と身体について呟き始めたのは2015年から。

産後、ずっと環境と自分の体調の観察をし続けた中で、そろそろアウトプットしても良いかな?
という始まりが、2015年のことでした。

そのまとめが「コロコロ変わる女のカラダナビブック」です。

今年50代突入

2014年、40代半ばに東南アジアのリサーチを開始。

いくつかの出会いから始まったリサーチですが、娘の小学校入学と同時に、見直し期間に入り2017年よりそのリサーチも一旦休憩中。

教育移住も念頭におきながら、AAの考え方を社会に還元できるビジネスモデルを作り上げる事を構築する取り組み中です。

メンタルヘルスが叫ばれる昨今、私たちにできることは何か?

女性の一生を心身から支える取り組み

AAの考え方を社会に還元できる「リソース」をカタチにするモデルを構築中です。

50代は、これにかけます。

これを「お母さん・ママ」から。

この仕事に携わった時に根っこに思っていた強い思いは、私自身が育児を通して感じた事、体験した事が加わり、テーマが確立しました。

そして、この8年間の「こどものからだ教育」を通した講演活動や親子面談で出会った多くのママの声が、土台になっています。

「感じたことを止めなくていい」
「あなたが感じた事が身体に表れるだけ」
「誰もあなたを責めていないよ」
「誰のため?自分のためにやってる?」

そんなメッセージを背景において、心身のサポートをし続けます。

サポートの取り組みの「一つ」が、アウェアネス好きな事ノート術

このアウェアネスノート術は、自律神経講座と連動しています。


そして、ママのためのからだ塾

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世界中のママと「からだから見る育児」で繋がりたい!





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