【翻訳】エゴン・エルヴィン・キッシュ『死刑』(ルポルタージュ集『秘密の中国』)
【注意:本記事は、テーマの都合上、刺激の強い表現が含まれます】
5つの大陸を股にかけて活躍した20世紀を代表するジャーナリスト、エゴン・エルヴィン・キッシュのルポルタージュ紹介、第3回目。今回紹介するのは、1932年の中国における共産主義者の死刑執行現場をとらえたものです。
「エゴン・エルヴィン・キッシュとは?」という方は、以下の記事をご参照ください。
今回紹介する作品は、死刑執行現場を具に描写しているという点で衝撃的であるだけでなく、当時の西欧と中国の間にあった暴力的な力関係をも浮き彫りにしているという点で、非常に洞察力に富んだルポルタージュです。
死あるいは処刑というテーマは、これまで文学作品の中で数多扱われてきたものですが、本作品における死刑囚の死の描かれ方は決して陳腐さに陥ってはおらず、読む者をはっとさせます。その点で本作品は、非常に高度な文学性をも備えているといえるでしょう。
テーマの都合上、刺激の強い表現が含まれますので、本記事は最初から後半部分を有料記事として公開いたします。冒頭にも刺激の強い表現がございますので、苦手な方はご注意くださいませ。
死刑
さあ、男が死刑執行人の手によって殺された。血が彼の首から放射線状に長く広く吹き出した。生命が、さっきまで死んでいるようだった男の中から高くほとばしった。
幻のように黄色い顔を青ざめさせて朝パトカーの中からさっと降りたった彼は、手にニッケルの手錠をはめ、糸のように細長い身体には灰色の中国服を纏っていた。彼は腰を振り、幽霊のように教会の中庭を吹く風に揺られていた。
待っている間、わたしは彼の顔つきや姿形を思い描きもしなかったが、殺人犯は一般的に、首は太くはなく、顎も出っ張ってはおらず、額も引っ込んではいないということことは知ってていた。だがこの男の容貌はあまりにも非殺人犯的で、むしろ、まだ生の世界から死の世界に運びこまれていない被害者のようだった。
ツァン・キャインは、簡易裁判所の牢獄にいる30人から40人の囚人のもとに連れてこられたとき、肩を、足を、それどころか繋がれた両手をも揺さぶった。囚人たちは今日裁判に赴くことになっており、漠然と自分の運命を待ちわびていた。しかし彼には、漠然と自分の運命を待ちわびる必要などなかった。彼は死んだような様子をしており、死んだ状態から逃れることはできなかった。彼を連れてきた警察官はみな、そうでなくても十分に守りの固い鉄門の外に残っていた。こうして彼は、自分とは異なる者の群れの中に、他の者と何ら変わりない人間としてもぐりこむことができたのである。彼らは、自分たちの中のひとりがただの亡霊だなどとは気づきもしなかった。
突然鉄門が丁重に大きく開かれた。力強く、横柄に、ひとつの生が入りこんできた。警察官の姿をしている。彼は鍵をカチャカチャならしながらツァン・キャインの方へと向かっていく。ここではじめて他の囚人は知るのだ……
ヨーロッパ人は、この中国人にとって死は何の意味もないのだ、少なくとも我々が感じるほどの重要性はないのだ、と主張するだろうか? 「あいつらは処刑されながら笑ってやがるんだ」監督官はわたしにそう語った。
なるほど、自分の死体から生命をほとばしらせたツァン・キャインは、口を半開きにして口角をあげていただけでなく、途切れ途切れに何かをしゃべり、まるで何かを面白がっているかのように全身を揺らし続けていた。しかしツァン・キャインは本当に面白がっていたのだろうか? それとも、恐怖が彼の口と身体を動かしていたのだろうか?――問いがどうあれ、我々は、生と死の間の道のりを歩む彼が喜びに溢れていたのか、悲嘆に暮れていたのか今に知ることになるだろう。
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