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ブルノ滞在記③ チェコのzine

昨日は疲れて8時に床に就いて、ベッドの中でイ・ランの続きを読んでいたらいつの間に寝落ちしていた。今日は5時過ぎに起床。朝食をとってヨガをして、いくつかのメールに返信する。昨夜のうちに司書さんから、探していた資料がPDFでダウンロードできるようになっているというメールが届いていた。パウル・レッピン Paul Leppin (1878-1945) というプラハのドイツ語作家が1903年に出版した詩集『闇に響く鐘 Glocken, die im Dunkel rufen』。ユーゲントシュティールのイラストと共に、デカダンス風の詩が綴られている。美しすぎて思わずため息が出た。何部ほど刷られたのかは知らないが、この本が所蔵されている図書館は多くないし、保存状態が悪く現物の貸し出しが不可能になっているところも多い。装丁からして結構お高かったんじゃないかと想像する。現代の日本では、詩集や戯曲は散文と比べて出版が非常に難しいと聞いているけれど、例えばこんな風に、小部数でもいいからある種の芸術品として出版・販売することができればいいのにな…などと妄想する(採算は取れないかも知れないけど。レッピンはどうだったんだろう?)。

ちなみにレッピンの代表作『ゼーヴェリーン幽冥行 Severins Gang in die Finsternis』は、国書刊行会から出ている『ドイツの世紀末02 プラハ-ヤヌスの相貌』(1986)内に平田達治訳で収録されている。

今日は午前中に、アテンドの方に紹介していただいた雑貨店に足を運んだ。そのうちのひとつPlace Storeはモラヴィア美術館 Moravská Galerie のすぐそばにある。モラヴィア美術館前では、ブルノ・マサリク大学ゆかりの人物に関する展示があった。

これが、昨日の記事に出てきたブルノの代表的な詩人ヤン・スカーツェル。

こちらは、サーシャ・ドゥシコヴァー Saša Dušková (1915-2002)という歴史家・アーキビスト。彼女は1969年に教授資格が取得できるはずだったのだが、プラハの春事件後の締め付けの結果、資格取得が却下されてしまった。彼女が教授になったのは、冷戦後の1990年。その頃には、ドゥシコヴァーはすでに年金生活者だった。

企画自体も非常に興味深いものだが、添えられたイラストが素晴らしい。展示は全部で6つくらいあったと思うが、肖像画はそれぞれ異なるイラストレーターが手掛けているようだった。

さて、お目当てのPlace Storeでは、地元(あるいはチェコ国内)の作家が作った雑貨や服、アクセサリーなどが販売されている。友人に送る絵葉書を買おうと思ってやってきたのだが、入り口付近にzineらしきものが並べられているのを発見した。ほとんどが女性作家による詩集である。いくつかに目を通して、うち数冊を購入した。思わず全てを大人買いしてしまいそうだった。

特に気に入ったのは、バーラ・ヴェンツァールコヴァー Bára Vencálková の詩集『テクスト Texty』(2020)。まだすべてに目を通したわけではないが、プロローグがすでに素晴らしい。

わたしは好きだ。ピリオドを打つのが。自分の好きなところに。望まれているところにではなくて。

決めるのはわたしだけ。わたしの物語がどこで終わるのか。どこで引き伸ばされるのか。どこで息を吸うか。どこで吐くか。ふたたび。はじまる。

ープロローグ
(バーラ・ヴェンツェロヴァー『テクスト』ことたび訳)

奥付を見ると、1年で版を重ねているようだ。すごい。

彼女たちのどのテクストも、書き手が抱く葛藤や生き辛さが真っ直ぐに読み手に伝わってくる。チェコに到着した初日は、なんてここは健全な社会なんだろう、なんて日本は病んでいるんだろうと思ったものだが、こうして発せられた彼女たちの声に耳を傾けると、生きる環境が違えど、やはりわたしたちはたくさんの痛みや辛さを共有しているのだと思う。例えばルドミラ・テルヴァーコヴァー Rudomila Telváková の『関係 Vztah』には、次のような言葉も記されている。

「親の愛は自動的なものではないから、子どもは自動的に親を愛する必要はない」
(ルドミラ・テルヴァーコヴァー『関係』ことたび訳)

個人的に、チェコでは日本よりも家族を大切にする傾向が強いように思う。チェコ人の友達の多くが、当然のように両親に愛されているように見えるし、当たり前のように両親を愛しているように見える。だから、留学時代はあまり自分の家族の話をしないようにしていた。自分の両親を愛せない自分を、分かってもらえないだろうと思っていたから。その点、テルヴァーコヴァーの言葉は力強い。家族愛への信頼がこれほど厚いチェコ社会の只中で、こんな言葉を堂々と発するとは、なんと勇気のいる行為だったことだろう。

彼女たちの声は国境を越える、とわたしは思う。もし、誰かが(もしかしたらわたしが?)言葉の壁を越える手伝いさえすれば。そんな夢のようなことが、いつか実現できたら…と思いながら、家路についた。

今日はもう少しだけ仕事をしてみようと思う。

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