小心者が、地方で人生初のイベント主催をしてみて気がついたこと。
こんにちは。なかにしだったりniaだったりしています、中西です。これまで倉庫じみた使い方をして創作ばかり保管していましたが、ちょっとしっかりnoteを書いてみようと思い立ちました。(急に雰囲気変わってびびった人、すみません…マガジンを分けて使っていく予定です)
実はわたくし、物語を軸にしたPR/コンサルティングをおこなう株式会社morning after cutting my hairという会社をやっておりまして、その事業のひとつとして、5/27に幻冬舎の箕輪厚介さんを滋賀へ招いてのトークイベントをおこないました。
これまでもイベントスタッフや運営側にまわることは多かったものの、企画、集客、ケータリングや会場の手配、備品管理や予算管理、当日運営、モデレーター…と、一通りを自分一人でやる主催の経験は皆無だったため、実質人生ではじめての主催イベントとなりました。
めちゃくちゃ根暗&心配性なので、不安が過ぎてなんども死にかけた。
そんなわたしが主催をやってみて気が付いたことがあったので、自分のメモとしても記録しておきたいなとおもいます。
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1)怠け者・小心者こそ、「とりあえず手を上げる」べし
2)「地方だから」の言い訳はポジティブにも使える
3)だれかがやらなきゃ、変わらない。
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1)怠け者・小心者こそ、「とりあえず手を上げる」べし
怠け者&小心者。これまさしくわたしのことなんですね。前職では理事長に「お前はホスピタリティがなさすぎる」と言われ続けていたほど、とにかく面倒くさがりです。それから、めちゃくちゃチキンです。
小心者というよりは、たぶん、「失敗」が極端に怖いんだと思います。
これは育ってきた家庭環境に起因するものなのでまたいつか詳しく書けたらと思いますが、アダルトチルドレン(AC)の特徴を持っているので、ミスは死を表すくらいの勢いで怖いんですね。変な汗めっちゃかきます。笑
だから、たぶん無意識的にも意識的にも、苦手なことを避けて通るための工夫をして生きてきました。
「イベント主催」は、そんな人生のなかで排除してきた「苦手な気がすること」のひとつです。
イベント主催って、中身によって差はあるにせよ、ゲスト決定して、日時確保して、内容決めて、参加料設定して、集客して、当日のタイムスケジュール決めて、備品買って、予算管理して、会場おさえて、ケータリングなどやるのかやらないのか決めて、手伝い募集して、スライドなど用意して、設営して、モデレーターとかやって……と、ざっと列挙するだけでもやることが多い。
あと、わたしはとにかく「失敗」が怖いので、「主催」となると責任を感じて「お客さん集まらなかったらどうしよう」「赤字になってお支払いできなかったらどうしよう」「スタッフ運営ミスったら」「ゲストに失礼があったら」「盛り上がらなかったら」なんてマイナスな要素をめちゃくちゃ早いスピードでたくさん考えてしまいます(ネガティブ妄想)。イベントって、そうした「失敗」になりうるリスクが結構多い。だから、運営お手伝いをすることはあっても「自分」が「主催」するということにだけは、手を出してきませんでした。
しかし今回のイベントは、ノリと勢いで手を挙げたことで、うっかり主催をすることになってしまったというわけなんです。
(やべ、本名バレる)
幻冬舎の箕輪厚介さんが編集されている「モチベーション革命」という本がありまして。その構成の上手さにびびって「会ってみたいなぁ」と思っていたところ、地方で若者向けイベントなら行くよ〜という魅力的なツイートが流れてきたんですね。
これは…乗るしかないのでは…?
という、関西人の軽率なノリでリプライ(返信)をして絡んでみたところ、、
決まってしまった。
という感じでした。まじで。笑
嬉しい反面、「まじかよ」とも思ってました。これ…このままじゃ主催しなくちゃいけないのでは…?とざわつくメンタル。内心必死で巻き込めそうな人に連絡をとりましたが、「いいね!」と連絡はくれるものの、相手も忙しくてコミットはなかなか難しそうな雰囲気。
これは……やるしかないのか……。
こうしてノリと勢いで手をあげてしまった結果、主催をする羽目になりました。でも、実際に終えてみて思うのは、「こうでもしないと一生チャレンジしなかったんじゃないかな」ということ。何かをやるとき、失敗したくないがゆえにリスクを想像してから判断するくせがあり、だからこそ新しい動きが始まりにくい側面があるわたしにとっては、かなりいいきっかけになったなと思っています。
逃げ回って逃げ回って壁に追い込まれて(自分で行き止まりのゾーンに入り込んで)ようやく、意を決して戦おうと決められた。
工夫して生きてきた怠け者は「楽な方法」を探しますし、工夫して生きてきた「小心者」は「怪我をしない方法」を探します。それは弱者の生存戦略で、まったく悪いことじゃないとわたしは思う。素晴らしい工夫です。
でも、どこかで「もっとできるんじゃないか」とか、「本当にこれでいいのかな」とか思い始める瞬間というものが出てきたら、それは一歩を踏み出すチャンスなのかもしれないなとも思います。そういうときにはぜひ、ノリと勢いで。ごちゃごちゃ考え始めると絶対、上手に逃げてしまえるから。
(結論:関西人でよかった。)
2)「地方だから」の言い訳はポジティブに使える
今回、開催地をいま住んでいる「滋賀」に決めて手を挙げたものの、「滋賀の中でもどの辺りでやるか」はかなり迷いました。というのも、滋賀県という場所は琵琶湖をまんなかに抱えているため、「湖南」と「湖北」でかなりの距離があります。移動時間、めっちゃ長いっす。
そして市議会の一般質問でも話題になるほど、「湖北から湖南への人材流出」という問題を抱えてもいます。(あんま知らんけど、湖南の方がなんとなくいい感じらしい。)
イベント開催地を迷っている段階で滋賀県民や近隣県民に相談してみても、「湖北は人が来ない」「遠い」「若者は来ない」「参加費が安くないと無理」といった声をたっっくさん聞きました。むしろ、ポジティブな意見はひとつも無かった。笑
小心者&失敗が怖いわたしは「まじかよ」とびびりまくりつつ、だからこそ湖北でやるべきだなと思いました。
結果的に、参加者は40名。20代の若者がほとんどで、京都や福井からわざわざ足を運ぶ人もでるほどのイベントを開催することができました。会場的にも30名程度集まればいいかなと思っていたので、かなり嬉しい誤算です。
この経験から、「地方だから」というのは言い訳でしかないということも言えますが、わたしはそれよりも「地方だから」という言い訳は上手に使えばいいんじゃないかなと思いました。それは他人への言い訳ではなく、自分への言い訳として。
わたしは今回、常に自分に言い訳を用意しながら準備を進めていました。「人がこなかったらどうしよう…」という不安が出てきたら「でも地方だし仕方ないよね」って言い訳。「協力してくれる人いなかったらどうしよう…」という不安が出てきたら、「でも地方だし仕方ないよね」って言い訳。「失敗したっていいじゃん」なんて言われても思っても怖いもんは怖いので、地方のせいにしてなんとか実行に至っていたという感じでした。ごめんよ地方。ありがとう地方。
「言い訳すんな」(とか、ネガティブな発言はするな)という論も理解するし、そういう考えも持ってはいるけれど、わたしは「それで前へ進めるのなら、いくらだって言い訳したらいい」と思います。決してプラスの印象は与えられないかもしれないし、勘違いされて「あいつ何なの」っていわれるリスクはあるけど、言い訳しちゃダメとかポジティブじゃなきゃダメとか、そんなこと他人に課せられる必要はないです。そんなのを優先して無理をして動きが止まってしまうよりは、毒吐きながらでも弱音吐きながらでも、やることをやれるようにする方がよっぽどいいとわたしは思う。やるのもプレッシャー感じてるのも自分なんだから、自分が自分の目的を遂げるために自分にとって必要なことをやるべきです。
今回のイベントは、この場をつくることが絶対に誰かの価値にもなると思っていました。だったら、「言い訳をしない」という美徳を貫いて動けなくなるよりも、言い訳しまくりながらでも進めた方が絶対に良いと思っていました。わたしにとって今回のイベントは「実現できなくなりました」「やっぱりやめました」という結果になってしまうのが最悪のパターンで、「実現する」のが最優先すべき目的で。
誰に頼まれたわけでもないし、利益を出すためのイベント設計にしていたわけでもないので、やっぱりナシで!とすることだってできたし、むしろそっちの方がよっぽど楽で。だからそっちに流れてしまわないように、声に出すというよりも心の中で、次々わいてくる不安を「地方だし仕方ないよ!(だからやろうよ!)」と打ち返していく感じの準備期間でした。
ネガティブなものであるかポジティブなものであるかというのは、どの地点で、どの角度でものごとを見るのかによると思っています。今回でいえば「その瞬間」という点で見ればネガティブな発言なんだけど、「遂げたい目的」に対する目線で見ればポジティブな作用を果たしていました。
失敗が怖くてチャレンジできない人は、まず地方でチャレンジしてみるのもいいと思います。都会で、ひしめきあうほど人がいて、それなのに「誰も来ない」なんてまじで辛すぎて死にませんか??わたしは死ぬと思う。ツライ…。
地方だったら、環境が勝手に言い訳を提供してくれます。遠いし、若者は少ないし、情報感度は低いし、お金を払う文化もないからね〜仕方がないよ〜って。だから成功したらマジすげぇな最高イェーイ!って感じです。
一見ネガティブな情報は、ポジティブにも使えます。自分がめざすべきところと、何を優先すべきなのかということをわかった上で、弱虫は弱虫なりのやり方で進めたらいいんだって思います。ただし、調子に乗って井の中の蛙にはならないように。
3)だれかがやらなきゃ、変わらない。
先述の通り、実施するにあたり散々「湖北じゃ難しい」ということを聞きまして。「やっぱりそうですよねぇ…南側でやろうかなぁ…」って、めっちゃくちゃ迷いました。笑
でも、だからこそ湖北でやる意味があるなと思ったのも事実で。
・箕輪厚介さんというビッグネームを使わせていただける
・最悪自腹でなんとかすればいい()
・トークイベントなら、最悪自分ひとりでも運営できる
という好機なんてそうそうないので、これは賭けみたいな感じでもいいから湖北でやらねばなるまい…という謎の使命感を背負いました。
「湖北には人が来ない」「若者なんて来ない」「お金は払わない」
みたいな、そういう情報が「みんなの常識」として根付いてしまっている現状があって、みんなが「だよねー」と諦めムードになってしまっていて(どうにかしたいと思っている人たちももちろんいるけれど)。
「アクセスが悪いもんねぇ」みたいなハード面のどうしようもない大きな事実って、チャレンジする際の自分への言い訳ではなく「やらないことの言い訳」にしてしまった瞬間に、途端に大きな「カゴ」になるなと思います。空間を断絶し、そこから先へ行こうという気風や文化をも遮るような、大きな大きな鳥カゴです。
だけど、今回はめちゃくちゃ前のめりに参加してくれる若者がたくさんいました。モノ以外にはお金を払いにくい文化があるよと言われながらも、社会人3000円の参加費を気持ちよく払ってくれる人がたくさんいました。
もちろん箕輪さんの築いてきた実績ありきのものであったとは思いますが、でも、これだけ集まるんだよということは示せたはずで。
「常識」は疑うものだし、その意味を自分なりに咀嚼して理解してはじめて「自分の人生に組み込まれるもの」だと思います。
だからこそ、こういう地方・地域にある「常識」や業界にある「常識」だって、何度だって疑ってかかるのがいいと思う。わたしは大学で日本語を学んでいましたが、言葉だって、つねに変容して「当たり前」が変わっていく「生き物」です。それを扱う社会だって、当たり前に変容していきます。
このイベントは、そういう「今」をつくっていくのは自分たちなんだよなぁっていうことを肌で感じる機会にもなればいいなと思っていました。参加者が何を感じたかはさまざまだろうけれど、編集者や出版業界のカタチを変容させてきた先駆者である箕輪さんの思想や人柄を受け取って、ちょっとの希望を抱いてくれたらいいなと思います。
実際、至らない点も多々あったと思います。ご迷惑おかけしたり、やさしい大人たち&意欲的な学生たちに助けていただいて成り立った部分も多い場でした。
だけど、わたしでも、できたので。
人生のなかでいかに「大丈夫だよ」と言える大人になれるか、生きる選択肢を示せる大人になれるかを目標にしている節があるので、これでまたひとつ、示せることも増えただろうかと思ったり思わなかったりしています。そんな偉そうなもんじゃないんですけどね。
まとまりないnoteになりましたけど、チキンでもこんなことができるんだなーという参考になったらいいなと思います。大丈夫だよ。やってみたら、きっとあなたにもできることがたくさんあります。