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『博物館の少女 怪異研究事始め』 〜不老不死をめぐる怪異
こんばんは、ことろです。
今回は『博物館の少女 怪異研究事始め』という小説を紹介したいと思います。
『博物館の少女 怪異研究事始め』は、著・富安陽子、装画・禅之助の小説です。怪異現象が起きるので少しファンタジーな雰囲気もありますが、舞台は明治のはじめ頃、上野にできた博物館(おそらく東京国立博物館)の古蔵で起きる事件を解決していく物語です。
また登場人物も調べてみるとちらほら実在した人も混じっているようで、創作と現実の混在が面白く、明治の当時の町並みも含めてこんな感じだったのかなと想像がふくらみます。
主人公は、花岡イカル。十三歳。
大阪の下寺町に店を構える花宝堂(かほうどう)という道具屋の娘だったが、父と母が相次いで亡くなり、母方の遠い親戚を頼って上京。何の縁があってか博物館に見物に行った際、館長に昔会ったことがあると言われ、紆余曲折して博物館の古蔵で働いている織田賢司(通称トノサマ)の助手見習いになる。
慣れない生活に四苦八苦しながらも、親戚のおトヨさんと仲良くなり、また博物館の古蔵で起きる事件も解決しようと奮闘する。
トノサマ(織田賢司)
かの有名な織田信長の血筋を持つ、気骨のある老人。
博物館の初代館長が一目置いているということだが、イカルの世話役を頼むほどには信頼されている。
本名は織田信愛(のぶよし)。幕府では、儀式や典礼、朝廷との連絡などを取り行う、高家(こうけ)という職をつとめたお旗本。それゆえ『トノサマ』と呼ばれている。
今は博物館の裏にある古蔵で怪異研究の仕事をしている。
古蔵で起きた事件の解決に奮闘する。
アキラ
トノサマの家の奉公人。歳はイカルと同じか少し上くらい。
イカルが来る前、古蔵にある所蔵品がちゃんと収められているかのチェックを手伝っていた。
はじめはイカルと歩調が合わなかったが、だんだん心を許すようになる。
ひょんなことから、古蔵で起きた事件の解決を手伝う。
トヨ
イカルの母方の遠い親戚、大澤夫妻の孫娘。河鍋暁斎(絵師)の娘。
イカルより二つ上のお姉さんで、よくイカルを気遣ってくれる。
自身も絵師として修行を積んでいる最中で、父の弟子として頑張っている。
古蔵の事件には直接は関わらないが、イカルのよき相談相手、話し相手として登場する。
花岡イカルは、大阪の下寺町(したでらまち)に店をかまえる花宝堂(かほうどう)という道具屋の娘でした。父が営むお店は裏通りに面しており、いつもお香の匂いが漂っています。
父は、お客さんが来ると大抵奥の方からぴったりの品物を取り出してくるのでした。それをずっと見ながら育ったイカルは、自ずと商品の見分け方や審美眼が身についていきました。
イカルには腹違いの兄がいて、イカルは後妻の娘だったので兄とはソリが合いませんでしたが、父は五十にもなろうかという頃に生まれた娘だったので孫のように可愛がり、修行中だといって、お店で座っているイカルをお客さんに紹介したりもしていました。
そんなある日、イカルが三歳の春でしょうか。イカルたちが寝起きする母屋とお店の間には渡り廊下があって、そこには椿の生えた小さな庭があったのですが、その椿の下でござを敷いて、ひとりでお人形遊びをしていたときに、おかしなことがあったのです。
誰もいない後ろの座敷で、床の間の上の破魔矢が倒れている。それは、その年のお正月、生国魂神社の初詣のときに母が買ってきた魔除けの破魔矢でした。
イカルは座敷に上がって破魔矢を拾うと、そうっと元の位置に戻しました。これでよし、と思って庭に行こうと背を向けると、またパタリと破魔矢が倒れます。
おかしいなあと思ってまた立てかけるのですが、何度やっても破魔矢が倒れるのです。
さすがに気味が悪くなって、倒れた破魔矢に注目したまま後退ると、障子戸のへりに背中がぶつかりました。ガタンと障子が音を立てたその途端、薄暗い座敷一体に笑い声がこだまして……
イカルは悲鳴を上げて一目散に母のもとへ走っていきました。そのあとのことはよく覚えていません。
しばらくは、薄気味悪くてその座敷には近寄らなかったのですが、時が経つにつれ記憶は薄れていき、あれが夢だったのか現実だったのか、定かではなくなっていきました。
その遠い日の記憶がふたたびイカルの胸に呼び起こされるのは、それからずっとあとのことでした。
イカルは、ひとりで東京行きの船に乗っていました。
去年父が亡くなり、今年母が相次いで亡くなってしまったのです。
花宝堂は兄夫婦が受け継ぎ、切り盛りしていますが、兄たちとソリが合わなかったのは母も同じだったので、父が亡くなったあとすぐに家を出てふたりで暮らしていました。その母もいなくなったので、母の遠い親戚だという東京の大澤家にお世話になることになったのです。
旅の手配は、母が懇意にしていた松寿堂のおじさんがしてくれました。母が生前、イカルの世話を頼んでいたらしいのです。
このおじさんのおかげでなんとか船に乗り、その道中も気にかけてくれる人がいたりして、イカルは不安ながらもなんとか東京まで行くことができました。
東京(横浜)に着いたら、雑踏の中から大澤家の迎えの人を探さなくてはなりません。すると、大きな文字で“花岡イカル殿”と書かれた巻紙を持っている大柄の男が待っていて、イカルはあれだなとすぐ気づくことができました。近づいていって挨拶をすると、その人は大澤家の奉公人である弥助と申します、と頭を下げました。そして、イカルの手から柳行李のかばんを軽々と受け取って歩き始めました。イカルもそのあとに続いていきます。横浜からは、汽車に乗って新橋へ向かいます。
慣れない土地で見知らぬ男の人と一緒なのは気づまりな気がしましたが、いかつい体に似合わず細やかな弥助は、イカルをたいへん気遣ってくれて、道中いろん話をしてくれました。
新橋からは、馬車鉄道というものに乗り継いで、今度は上野に向かいます。馬車鉄道というのは、その名の通り、線路の上を走る馬車のことです。二十人ばかりのお客さんを乗せて、二頭の馬がひっぱるのだそうです。イカルはおっかなびっくり乗りましたが、思った以上に乗り心地はよかったようです。
そうして辿り着いたのは、線路の両側に洋風の建物や店が建ち並ぶ、にぎやかな通りでした。大澤家の家は、上野広小路とよばれるこの通りから、もう目と鼻の先です。長者町のはずれにある黒塀のその家の庭には、大きな柿の木が一本生えていました。
そこに暮らす大澤行衛(ゆきえ)と登勢(とせ)という老夫婦は、イカルからして見れば祖父母くらいの年齢でしたが、登勢という人が母の遠縁にあたるとのことでした。今風の髷(まげ)ではなく、昔ながらの日本髪を結った登勢は色白で首が長く、ぴんと背筋を伸ばした姿は、どこか鶴のようでした。行衛のほうは、金仏か石仏のように、いつも押し黙っていて、ぴくりとも動きません。まばたきをしなかったら、まるでほんとうに作り物のようです。
長い長い旅を終え、大澤の家に辿り着いたイカルは、ふたりに挨拶をすると、晒しに巻いて肌身離さず持っていた大枚のお金を全部、登勢の前につきだしました。
「これから、どうぞよろしくお願い申しあげます。これは父が、母とわたしの身の立つようにと残してくれたお金です。どうぞ、お納めください」
しかし、登勢は拒みます。
「このようなものは、受け取れません」
「あなたの母上には、返しきれぬ恩があるのです」
登勢の話によれば、幕府方に味方したために明治維新後、苦労していた大澤家を、イカルの母親はなにかと援助していたのだそうです。イカルは全く知りませんでした。大澤という親戚がいたことすら、知りませんでした。
受け取れぬ、と言われて困ってしまったイカルでしたが、行衛が「では、こちらで預かっておけばよい」と口を開いてくれたので、登勢も納得して受け取ってくれました。
「若い娘が、こんな大金を持っているというのも、なんですから、それではうちでお預かりいたしましょう。お嫁入りのときまで、責任持ってお預かりしておきますからね」
イカルは登勢が受け取ってくれて、ほっとしました。
「とにかく、あなたのことは、わたくしどもが責任もって後見いたしますからね。お茶にお花にお裁縫、ひととおり徹底的にしこんで、どこに出しても恥ずかしくないようにしてあげます。そして、しかるべきお家に嫁げるよう、きちんと取りはからいますから、なにも心配はいりませんよ」
この言葉を聞いて、イカルは不安になりました。生前、母からもお茶やお花の手ほどきを受けていたけれど、ついぞ身につくことはなく、母も匙を投げたほどなのです。イカルはそういう習い事よりも、学問のほうが好きで得意でした。
そんなこんなで大澤家にお世話になる日々が始まったのですが、お稽古ごとは失敗つづき、ごはんを食べるときでさえも老夫婦と黙って食べ、みじろぎ一つ許されません。どたどた歩かない、大声を出して笑わない、背筋は伸ばす。いつもこんな調子で叱られるので、イカルはほとほと困り果て、逃げ出したく思いました。でも、自分にはもう行く宛てもないのだから頑張らなくてはと、涙を拭うときもありました。
そんなある日、大澤家にお客さんが来ていました。
にぎやかな話し声にそうっと顔を覗かせると、イカルの母くらいの歳の女性に、その娘のような子がひとり、大澤夫婦と対峙して座っています。
登勢さんいわく、大澤夫婦の娘と孫なのだそうです。
名前は近(ちか)とトヨ。
近はイカルの年齢を訊くと、「トヨ、ほら、おまえの二つ下だってさ」とトヨに向かって言いました。トヨはずっとにこにこしています。
近が、もうどこか東京見物はしたの? と訊いてくるので、まだですと答えると、今からトヨが“鍾馗(しょうき)様”の軸を田中様にお届けに行くから、一緒に上野まで行って博物館でも見て、帰りにお団子でも食べてくればいいわ、と言ってくれました。イカルは登勢さんのお許しが出るかハラハラしていたのですが、近さんがとんとん拍子で話を進めてくれるおかげで、そのまま出ることができました。イカルは始めて東京観光へと行くことになりました。
東京へ来てすぐ思ったのは、土が大阪とは違うということです。大阪の地面は乾いた明るい色をしているのに、東京は黒くてしけっています。気をつけていないと草履をはいた足袋の先に土がついて、なかなか取れなくなってしまいます。
〈地面の色はちがっても、空の色はいっしょや〉
そう思うだけで、今日のイカルはなんだかうれしくなりました。時の止まったような家を出て町中を歩いているうちに、胸がわくわくしてきます。カチコチだった心がやわらかくなっていくようです。
イカルは最初なかなかトヨに話しかけられませんでしたが、ふとトヨの持っている風呂敷包みに目がいき、話しかけることにしました。
「あの……、あなたのおうちも、お道具屋なん?」
お道具屋と聞いてぽかんとしていたトヨでしたが、ああ、そういうことかと合点がいくと笑顔でこう言います。
「ちがう。あたしのお父さんは絵師なんだ。あたし、絵師の家の子なの」
絵師と聞いてイカルの好奇心がふくらみます。古物商という家業のおかげで、イカルも古いものから新しいものまで、たくさんの絵師の絵を見てきました。
「絵師って、狩野派? 円山派? それとも光琳派? そうや、東京は開化絵の本場やもん。三代歌川広重とか、芳虎(よしとら)とか、『東京名所図』の小林清親とか……」
ぺらぺらと喋るイカルに驚きながらも、トヨは父が河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)だということを教えました。
それを聞いたイカルは大声で叫び、あわてて口をおさえました。
知ってるの? と問うトヨに、あたりまえやんとイカルは返します。
「だって、暁斎っていうたら、あの烏の暁斎はんでしょ? 一昨年の上野の博覧会に出品した烏の絵に、百円の高値がついたって評判やった、あの河鍋暁斎はんのことでしょ?」
百円は巡査の給料一年分ほどのものなので、世間が驚くのも無理はないことでした。
そして、あの河鍋暁斎の義理の両親にお世話になっているという事実にも気づき、ひとりで舞い上がっています。
「……てことは、その掛け軸の絵は、河鍋暁斎の描いた鍾馗様っていうこと?」
トヨはううんと否定すると、顔を赤くしながら自分が描いたと言いました。
またも大声で叫んだイカル。まさか、トヨさんも絵師なの? と訊くと、河鍋暁斎の弟子でまだ半人前にもなってないと言います。
それでも、注文されて自分で絵を描いて生計を立てられるような道があることにイカルはとても憧れを抱きました。自分も何か手に職があれば大澤家から出ていけるのに……
「大澤のおばあさまは、おっかないでしょ?」
あんな家出ていきたいと言ってしまったものの、そこはトヨの祖父母の家で、怒られるかなと思いきや、にっこり笑顔でそう言われました。
「大澤のおじいさまはね、もと、輪王寺様という宮様のご家来だったんだって。だから、町方とはちがって、大澤の家は、カチコチにおかたくて厳しいんだよ。お父さんもこわがって、大澤の家には近づかないんだから」
あの天下の河鍋暁斎が、お登勢さんたちのことをこわがっていると聞いて、イカルは目を丸くしました。そして、あのふたりにポンポンものを言えるのはお近さんだけだというのも納得がいきました。
「お母さんはね、幕末から御一新のいちばんたいへんな時期、お嫁にも行かず大澤の家をささえたんだって。やっと世の中が治まって、結婚した相手が河鍋暁斎だったんだけど、おかたい大澤家から、いきなり絵師の家に嫁いで勝手もわからないうえに、お父さんときたら破天荒な人だから……。絵を描きだすと、まわりのことがなにも見えなくなっちゃうし、お酒にだらしないところがあってね、一度なんか、はめをはずしすぎて、牢屋に入れられちゃったこともあるんだよ。お母さんはずいぶん苦労したみたい。でも、とっても強い人だからさ。今では、お父さんも、大澤のおじいさまとおばあさまも、お母さんには一目置いてるんだよ」
イカルが感心していると、トヨはおばあさまの前ではなるべく喋らないようにしている、と言いました。喋ればイカルのようにお小言をもらってしまうからです。それにびっくりしつつも安心したイカルは、トヨと目を合わせて声を立てて笑いました。
一体いつぶりに声を立てて笑ったことでしょう。イカルは父が亡くなってからようやく笑うことができました。
そうこうしているうちに、ふたりは上野の森にたどりついていました。
正門を抜け、博物館本館の前に立ったとき、イカルはその美しさと立派さに息をのみました。明るい空の下、聖堂の屋根をかぶった赤煉瓦の建物がゆったりとそびえています。その二階建ての建物の一階と二階には、すきとおったガラスをはめこんだアーチ形の窓がずらりと並び、太陽の光を受けてまばゆいばかりに輝いていました。本館の前は広々とした庭園になっていて、緑の木々にかこまれた丸い池のまん中では、噴水がとめどなく水をふきあげているのが見えました。
イカルはよそ行きの着物に着替えたらよかったと後悔しましたが、意を決して建物の中に入ることにしました。
トヨは注文主のところへ鍾馗の軸を届けに行っています。注文主の田中様という人は実はこの博物館の館長さんなのだそうです。完成した絵を見て、もし気に入らないところがあればここを直してくれとさらに注文が入ることもあるそうなので、少し遅くなるかもしれないと言っていました。その場合は噴水の前で待ち合わせです。
イカルは建物にも驚きましたが、中に展示されている一級品のものたちにも、それはそれは驚いていました。
イカルは昔、父に博物館というものが東京にできるらしいと聞いたとき、博物館がどういうものなのかうまく把握することができませんでした。良い品がたくさん収められているけれど、それを買うのではなくて展示されていて、お金を払ってただ見に来るだけというのは、いささか変ではないか、と思ったのです。
けれど、実際に体験してみて「博物館」というものがどういったものなのかわかった気がしました。
イカルが剥製の部屋で麒麟という動物を見ていたとき、がやがやとにぎやかな声がして、三つ、四つくらいから十歳くらいまでの年齢の子たちが五、六人入ってきました。あとから、その子らを引率しているらしい年輩の女性もひとり入ってきます。引率の婦人はしきりに「お静かに!」と声を張り上げていましたが、子どもたちはいっこうに静まる気配はありませんでした。こんなに面白い部屋なのですから、無理もないのかもしれません。子どもたちは興奮した様子でいろんな動物の剥製を指を差しながら見ていました。
そのときイカルは、子どもたちが婦人のことをスールと呼んでいることに気づきます。婦人は、白い胸当てのついた丈の長い真っ黒な洋服を着て、頭には風変わりな形の白い頭巾をかぶっていました。よく見ると胸には十字架がさがっています。スールというのはキリスト教の尼さんのことだろうか、とイカルは思いました。
仏像の部屋、陶磁器の部屋、刀剣の部屋、漆器の部屋、武具の部屋……いろんな部屋でいろんな品物を見て、イカルはおなかいっぱいになりました。
しかし、これだけの一級品をいったい誰がどんなふうに集めてきたのかが不思議でなりませんでした。その審美眼に、憧憬とも嫉妬ともつかない思いで胸がざわつきます。
トヨはイカルを待っている間、行き交う人々を写生していたようで、その絵のうまさにイカルはまた驚きました。
しかし、トヨの脇にはあの掛け軸が置かれています。なにかまた注文でもつけられたのでしょうか?
「まだ、田中様にはお見せできてないんだ。今日は急なご用があって、お出かけになったきり、まだおもどりじゃないんだって。もうそろそろ帰ってこられたかもしれないから、ちょうど、ようすを見に行こうかなと思ってたとこ」
そう言って、トヨはイカルのことも誘いました。
ふたりで連れ立って池の前を離れようとしたとき、またあの子どもたちと婦人に出くわしました。
トヨが神田教会の孤児院の子どもたちだと教えてくれます。
イカルは孤児院がどういうものか聞いて、この子どもたちも自分よりうんと年下なのに身寄りがなくてつらい思いをしているのかと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。元気にはしゃいでいる姿を見て、すごいなとも思いました。
博物館の事務所に着いて、戸を開けると、館長の田中様がいらしていました。
トヨが掛け軸を渡していると、イカルに気がついた館長が紹介するように言います。
「この娘は、うちの遠い親戚の子で、花岡イカルといいます。最近、大阪からこっちに出てきたばかりで、まだ、どっこも東京見物をできていないというもんですから、今日はいい機会だと思って、博物館見物に連れてまいりました」
すると、館長がその名をどこかで聞いたことがあると言い出して、住んでいたところを詳しく話すと、なんと花宝堂に一度来たことがあると言うではありませんか。そして、幼いイカルとも会ったことがあるのだと言います。
イカルは、ぽかんとして、なかなか思い出せずにいました。
ここではなんだからと館長室に通されたふたりは、大きな三人がけのソファに座るように言われて、さすがに真ん中に座るわけにはいかないと思ったのか、ふたりとも端っこに座る形でおさまりました。
それをにこにこしながら見ていた館長の田中様は、まずトヨの描いた鍾馗の掛け軸をあらためました。とてもよく描かれていて、横で見ていたイカルも迫力満点だとうなったほどです。田中様もありがとうと言って、素直に受け取ってくれました。田中様はトヨの絵が好きなようで、お父上に劣らぬ魅力があるよ、とおっしゃってくれました。代金はあとで使いの者に家まで届けさせるねと言ったとき、イカルは自分の絵でお金を稼ぐトヨのことを憧れと尊敬のまなざしで見つめました。
さて、次はイカルの番です。
イカル自身は三歳くらいだったので覚えていないのは無理もないのですが、町田という初代館長と一緒に大阪の花宝堂へ挨拶へ行ったときにイカルに出くわしたらしいのです。町田様は当時、初代館長として一級の美術工芸品を全国から集めているときで、その年の一年前に全国の文化財調査があって、イカルの父親と面識ができ、ずいぶん助けられたとかで、大阪に来たのだから花宝堂にも挨拶に行こうとなったのだそうです。
実はイカルが三歳の春、お座敷の破魔矢が勝手に倒れて気味が悪いと泣きながら母の元へ駆けていった、そのときに家にいたのが町田様と田中様で、すぐにイカルの父と母も駆けつけたのですが泣いてばかりいて要領を得ないイカルに、町田様が水を張った水盤と塩を持ってくるように言ったのです。町田様は水盤の水を自分の指につけ、イカルの右の手のひらになにやらまじないを書いて、塩をひとつまみ置きました。
「これをにぎっていなさい。今日一日は、拳を開いてはいけないよ」
町田様がそう言ったので、母が端切れをさいて、イカルが拳を開かないよう、手を縛ってくれたのを思い出しました。
〈あれは、なんのまじないやったんやろう?〉
考え込んでいるイカルに向かって、田中様が語りかけます。
「そんなことがあったんで、君のことはよく覚えているよ。もっとも、花岡イカルという名を聞かなければ、君があのときの小さな女の子だとは、とても気づかなかっただろうがね。イカルとはめずらしい名だと思ったんで、名前の由来をわしがたずねたんだよ。君の母上が教えてくれた。母上の故郷の斑鳩(いかるが)にちなんでつけた名前だそうだね。聖徳太子ゆかりの地だが、その里には昔から、鵤(いかる)という鳥がたくさんすんでいるとか……。美しい声で鳴く強い鳥なのだと、母上がおっしゃっていたよ。ところでーー」
田中様の声の調子が変わったので、イカルは、はっと物思いから引き戻されました。
「父上と母上は、ご息災だろうね?」
イカルは、どうして東京に来ることになったのか簡単に説明しました。
「おトヨさん。これからは、ときどきイカルさんを連れ出してやらんといかんな。毎日、ご隠居夫婦と顔をつき合わせていたのでは、イカルさんも息がつまるだろう。君たちは年も近いのだから、いい友だちになれる」
トヨが「はい」と神妙にうなずきました。
田中様が優しい目でイカルを見ます。
「慣れない東京で、いろいろたいへんだろうが、ひとつ、気張ってがんばるんだよ。わしで力になれることがあれば、なんでも相談にのるから。しっかりやりなさい」
「はい」とイカルもうなずきました。思いがけないところで、思いがけない人からかけられた優しい言葉は、イカルの胸にしみ入り、心をさわがせました。
「あの……」
それではひとつだけ、うかがってもよろしいでしょうか、とイカルは意を決して田中様に物申します。
もし、本当にお力添えをしていただけるのなら、自分を初代館長だと言う町田様に引き合わせてもらえないでしょうか、というお願いでした。イカルは博物館の収蔵品を見て、これを集めてきた人はどんな人なんだろうとずっと気にしていたのです。
とても図々しいことだということは百も承知でしたが、言わずにはいられませんでした。
「引き合わせてあげたら、どうする?」
静かな声で田中様がおっしゃって、イカルはしおれ返りながらも、ここまで言ったのだから言わなくてはと最後の力をふりしぼって言います。
「弟子にしてもらいます」
「ほう、町田さんの弟子になりたいのか」
イカルが恥ずかしさのあまり縮こまっていると、すっと田中様が席を立って、あるものを持ってきました。
机の上には美しい花瓶が一つ置かれています。
この花瓶を見立ててみろ、とおっしゃるのです。
イカルは、では失礼いたしますといって花瓶を見始めました。
花瓶の美しい乳白色の素地(きじ)の上には、染付の藍に色絵の赤と金彩(きんだみ)をくわえて、大輪の花が描かれていました。ちょうど両手でかかえあげられるほどの大きさの花瓶は、ぷっくりと肩が張り、底に向かってその張りがすぼまっています。焼きも上々、絵付けの色にも冴えがあり、姿もたおやかで美しい。
「どうだね?」
イカルは心を決めたように顔を上げ、田中様の顔を見つめると口を開きました。
「わかりません」
土はまちがいなく伊万里やと思います。金彩を用い、器面を埋めつくす鮮やかな花々の紋様は伊万里の金襴手(きんらんで)を思わせますが、でも、やはりわかりません。焼きが伊万里とは全然ちがっていますから……。どうもすみません。
そうイカルは謝りましたが、どうやらそれが正解らしく、この花瓶は伊万里の土を使って、ある人がフランスの陶工に焼かせたものなのだそうです。
これを見破ったのは、あの町田様とイカルのみ。他はみな伊万里焼きだと勘違いします。
だったら……、だったら、この娘を、町田様に引き合わせてやっていただけますか? と、トヨが真剣な面持ちで言いました。
うん、かならず引き合わせよう、と田中様も答えます。
しかし、いま町田様は日本には居ないらしく、いつ戻られるかわからないそうです。
すると、何かを思い出したのか急に田中様が「そうか、そういうことだったのか……」とつぶやきました。
田中様いわく、町田様が東京を離れる前、博物館に立ち寄っていろいろ話をしたあと、さあ帰ろうというときに、『わたしが東京を留守にしているあいだに、もしかすると、西から飛んできた鳥が一羽、博物館に迷いこんでくるかもしれない』『もし鳥が迷いこんできたら、そのときには、トノサマにその鳥の世話をお願いしてくれ』と言ったそうなのです。はじめはなんのことだかわからず、なにか西の方から美術品でも来るのかなと思っていたそうですが、その鳥はイカルのことだと言うのです。
トノサマというのは、町田様が一目置いてる人で、昔、高家という職をつとめたらしく、そこからトノサマと呼ばれるようになったとか。あの織田信長の血筋を引く人で、本名は織田信愛(おだ のぶよし)。ご一新後は織田賢司と名乗られているそうです。
そんな織田様にイカルの世話を頼むことになった田中様は、大澤夫婦に手紙を書いてくれました。
こうして、イカルの博物館(の裏の古蔵)での助手としての生活が始まるのでした。
いかがでしたでしょうか?
この後からが本番なのですが、長くなったのでここで終わりです(笑)
そのあとは、イカルが古蔵でトノサマとその奉公人であるアキラと出会い、助手をするならアキラと共に古蔵にある品物と台帳のつき合わせをしておいてくれと頼まれ、それでおまえが使える人物なのか見極めようと言われました。その作業を全部終わらせたら、なんと黒手匣(くろてばこ)という品物がなくなっていることに気づき、実は数日前にこの古蔵で盗難事件があったこともあり、その犯人が持ち出したのが黒手匣だったのではないかということになり、それがどんなものだったのか調べることに。
しかし、この博物館の古蔵は正式な倉庫とはちがって、少しいわく付きのものが収められている所以もあって、物語はあらぬ方向に進んでいきます。
また、博物館見物のときに出くわした孤児院の子どもたちがいる教会も事件に関わってきます。
町中の裏通りにある一松堂というあやしい古道具屋(アンティークショップ)も事件に関わってきます。
途中、トノサマの奉公人であるアキラもあやしい動きをするのですが、真実がどうなのかは読んでからのお楽しみです。
教会の神父さんと孤児の小さな女の子が、この物語の核を握っています。
最後、黒手匣で怪異現象が起きますが、その展開になんだか考えさせられる思いがしました。
すこしこわいですがホラーが苦手な人でも読めると思います。
長いお話ではありますが、これが怪異研究事始めのタイトルの由来か〜と思い、次作を期待してしまいます。
富安陽子さんの作品はたくさんあるようなので、他の本も読んでみたいなと思います。
それでは、また
次の本でお会いしましょう~!