![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170074169/rectangle_large_type_2_8ecb934c04e94050eb593dc7c6162b6a.png?width=1200)
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』 〜考えることをやめない
こんばんは、ことろです。
今年一発目! 今回は『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という小説を紹介したいと思います。
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』は、著・梨木香歩、装画・チカツタケオのヤングアダルト小説です。
全部で二十六章あり、主人公コペルの一人称視点で進んでいきます。形としてはノートか何かに自分の思っていることを書いていき、その書いたことが小説として動いていくような感じです。
主な登場人物は……
主人公、コペル。十四歳。男の子。
ブラキ氏という犬を飼っていて(本名はブラキッシュ)、ある日を境に土の中に棲む小さな虫に興味を持ち土壌動物調査をしている。
ユージンいわく『愛すべきやつ』。
でも、自分ではトロくて小心者で裏切り者だと途中で気づく。
物語が進むにつれて考えるのをやめないように努力するようになる。
ユージン
コペルの友達。男の子。本名は優人(まさと)。
今は不登校で学校には行っておらず、家に引きこもっているが、その分自分の好きなように過ごせるので妙に博識だったりする。
両親が離婚して父親と一緒に暮らしているが、ほとんど家にいないため一人暮らしになっている。
昔飼っていたニワトリを学校で屠殺されてから、いろいろ考えるようになった。
ショウコ
コペルやユージンより歳が一つ上の女の子。
ユージンのいとこ。
男勝りで根が正直で、思ったことは口にするタイプ。竹を割ったような性格とも言われる。
コペルとしては苦手な部類だけど、インジャ(隠者)を助ける心優しい一面も持つ。
インジャ(隠者)
名前は事情があって伏せられている。
ショウコのガールスカウトの先輩。
とある事情から社会や人を信用できなくなっており、ユージンに秘密でユージンの家の広大な庭(林や森のようになっている)に隠れるようにして住み着いていた。ショウコが手助けしている。ショウコの母親も見守っており、ユージンの一人暮らしを心配してショウコが度々ユージンの家を訪れていたが、インジャの世話や様子を見るためでもあった。
マーク
オーストラリア人。男性。
ショウコの母親の友人の息子。いつか日本に遊びに来る約束をしていて、それが叶った。ちょうどユージンの家にコペルとノボちゃんとショウコが集まっていたときに来日したので、迎えに行ったときにユージンの家へ招待し、一緒に焚き火をした。
軍に入っていた時期があり、友人を亡くしている。
ノボちゃん
コペルの叔父。本名、竹田登。染織家。
草木染め作家で染材を採取するためにも山小屋で作業をしている。
ヨモギを探しているうちに、ユージンの家の庭にお邪魔させてもらうことになり、久しぶりに訪問する。
コペルやユージンがまだ小さいときに、コペルが熱を出して来られなかったからユージンと二人で山までドライブしたことがあった。
この物語のあらすじは……(かなり長いです)
主人公コペルは、今「実験的に」一人暮らしをしている。と言っても実家で、だ。母親が大学の教師で、通勤するのに遠いからと大学の職員宿舎で暮らしている。父親はいわゆる主夫なのだが、体調を崩しがちな母親に付き添う形で宿舎で過ごすことが多くなった。
コペルは学校を変えたくなかったし、ブラキ氏(飼っている犬)の散歩もあったし(宿舎では犬は飼えない)、何よりそこまで両親と会わなければいけない必要性を感じていなかったので、家に残ることにした。
そこで、まだ十四歳ではあるが実験的に一人暮らしをしてみる案が出て、今に至る。
両親はときどきコペルの叔父(母親の弟)がコペルの様子を見に行ってくれることを期待していたが、ノボちゃん(コペルの叔父)はあまり来なかった。
そうして、五月も近いある日のこと。
連休初日にコペルは土壌動物調査をするために朝ごはんもそこそこで済ませて、自転車で雑木林へと向かった。そこは市内を少し外れた丘の上にある植物公園の、その外縁の更に外側に、なんとなく放っておかれた、という風情でそこにあった。
どこから採取しようかと悩みながら歩いていると、ブラキ氏と一緒に山小屋に行ったはずのノボちゃんがそこにいた。ノボちゃんはクマに遭うかもしれないから用心のためにブラキ氏を借りていったのだった。
どうしてこんなところにいるのか尋ねると、急にイタドリが必要になったとかでこの雑木林に来たそうだ。山小屋の近くにはあまり無いらしい。
ノボちゃんは染織家で、染めるための材料(草木)をいつも必要としている。山小屋を建てたのもそのためだった。
そして、除草剤とか排気ガスなんかが付いていない綺麗なヨモギも欲しいらしく、思案しているうちにコペルがユージンの家の庭を思い出した。
ユージンは、本名を優人(まさと)というのだけれど、六年生のある日を境にぱたっと学校に来なくなった。それから二年以上経つが、彼は一度も中学校にも来たことがない。
コペルはユージンの家に近かったから、いつもプリント類を持っていく係だった。
彼の家は代々この辺りの裕福な農家だったので(もっとも、彼のお祖父さんぐらいから農業から手を引いているけれど)、敷地はかなり広い。屋敷の外回りはサザンカやキンモクセイなどの生垣があり、その内側は昔ながらの防風林がまるで森のようになって屋敷の周りを囲っていた。
池などもあり、母屋の玄関まで辿り着くのに時間がかかる。昔は途中にくぐり戸があったが今はもうない。コペルや訪問客はよく利用したものだった。
コペルはノボちゃんに携帯電話を借りてユージンに電話をかけた。
久しぶりに庭に行ってヨモギを摘んでもいいかと聞くと、構わず勝手に入っていいよと許可を得て、コペルはノボちゃんと一緒にユージンの家へ行くことになった。
ユージンの家の庭には、たくさんの植物が生えている。コペルやノボちゃんがあれこれ見つけては奇跡のような場所に感心している。
それは、かつてユージンのお祖母さんが自動車道を作るためにとある土地が壊されそうになったとき、そこに生えていた植物たちをできうる限り自分の家の庭に移し替えたそうだ。結局、反対派を押し切って工事が進められて今は自動車が走っているけれど、植物たちは今もひっそりとユージンの家の庭で生きていた。
コペルは一応、インターホンを押した。ユージンが出ないであろうことはわかっていたが、これでコペルたちが家に来たことにユージンも気づくだろう。
なぜユージンがインターホンに出ないのかといえば、不動産屋がしょっちゅう来ては土地を売る話をしてくるのだろう、そういうのに疲れて出ないのだそうだ。ノボちゃんも、これだけ広かったらマンションや大型の施設を建てるために欲しがる人はいるだろうなあと言った。
そして、ノボちゃんは昔住んでいた家の隣人の話をしてくれた。その隣人は自然が大嫌いで、誰もスギ花粉アレルギーなんて起こしていないのに、起こしてからじゃ遅いからと、ノボちゃんの家のスギを切るようにしつこく要求してきたのだ。結果、そのスギは切られてしまって悲しい思いをした。
そういう自然が大嫌いな人は、緑を見ると癒されるのではなくゾッとするらしい。開発されていない場所があると、全て人工的なものに変えてしまいたくなる人もいる。
コペルはまだそういう人に出会ったことはなかった。
けれど、ユージンはそういう人たちからこの家を守っているんじゃないかとノボちゃんは言った。
コペルはそんなこと、考えたこともなかった。
いろいろあって、ユージンもヨモギ採りに参加することになった。
すると、コペルのお腹が鳴り、昼ごはんも一緒に作って食べることになった。
今日はユージンのいとこのショウコが来るらしい。みんなで食べようということになった。
一旦、染材を置きに出かけたノボちゃんが帰ってくるまでの間、コペルは久しぶりのユージンとユージンの家の中に少し緊張していた。ユージンもなんとなく緊張しているようだった。
ユージンは両親が離婚して、母親は妹を連れて出ていき、父親は父親の会社がドバイで支店を持つことになって家には居ない。コペルとは事情が異なるが、同じ一人暮らしだった。
何を作るか考えているうちに、ショウコが到着した。
コペルは前にユージンのお祖母さんが生きていた頃、友達みんなでヨモギ団子を作って食べた思い出があって、そこにショウコも居たので会ったことはある。
結局いろいろ話しているうちに、葉物野菜が足りないことに気づき、外に生えている葉っぱは食べられるのかという問題になり(好奇心もあったのだろう。前に庭で採ったヨモギで団子を作ったくらいだし)、屋根裏部屋で昔読んでいた草花図鑑のようなものを思い出して、それを見ながら作ってみることになった。(その本は戦時中に食べるものがないときに、どうにか工夫して食べるための野草の食べ方の本だった。屋根裏部屋にはそういう戦時中に読まれた本などがたくさんあった。)
本を読んで、ウコギの葉っぱごはんを作ることになった。
途中、スベリヒユも発見したので、一応摘んでおいた。これは油で炒めて食べることにした。
ショウコがスベリヒユを外で洗って帰ってきたとき、唐突に話を始めた。
昔のイギリスの貴族の庭園は丘あり森あり湖ありと壮大なものだったらしい。それで、そういう庭園の中に、隠者というのがいたら完璧と思った貴族がいて、当時の新聞に隠者募集の広告を出した。条件は絶対人目に触れないこと、給料はいくらで……とか書いてあったらしい。そして、ここからが大事なのだが、その隠者が、この庭にも居たらどうする? というものだった。
コペルもユージンもびっくりして、どういうことか問いただした。
それはショウコの知り合いで、女の子で、のっぴきならない事情があって、誰にも知られずにひっそりと生きる時間が必要だった。
ユージンは詳しい事情はわからないにせよ、一言相談してほしかったと言ったが、いろいろ聞くうちに彼女(インジャ)にもどうしようもない事情があるのだろうということを察して許してくれた。
今になって話す気になったのは、コペルがこれからちょくちょくユージンの家に遊びにくるならいつか鉢合わせるかもしれないし、ユージンやコペルと話しているうちに二人には話したほうがいいんじゃないかと思えてきて、スベリヒユを洗うついでにインジャに会って許可を取ってきたのだそうだ。
インジャも内緒にしているのは気が引けていたそうだし、伝言として居心地がよくてもう少しここにいたいとのことだった。
インジャはショウコのガールスカウトの先輩だった。だから野外キャンプなどは慣れていた。
作ったウコギごはんやスベリヒユとベーコンの炒め物も、インジャのところに持っていくことになった。場所は墓場だ。
この墓場は大昔の安曇(あずみ)族の古墳ではないかとのことだったが、もしそれが本当で市に正式に認定されると私有地なのに自分たちの自由にできない場所ができるため、ユージンのお祖母さんなんかは「昔の人のお墓かもね」としか言わなかった。それから、そこは墓場と呼ばれ、格好の遊び場になった。
ごはんを作っている間、スカウトがヒトラー・ユーゲントのモデルになった話をした。
ボーイスカウトはもともとイギリス人の軍人、ロバート・ベーデン−パウエルが考え出したことで、それがあっという間に世界に広がった。野外活動などを通して青少年が集団生活の基本を学んでいくものだったが、戦時中は雲行きが怪しくなり、ナチスドイツの時代になると軍隊を矮小化したようなものになり、実際に戦争に駆り出されたりもした。
日本でも青少年団は作られ、イタリアやソ連、中国でも作られたらしい。
ショウコはベーデン−パウエルを軍国主義の片棒を担いだ悪者のように言うユージンを咎めた。
(このように、この物語ではちょくちょく戦争の話が出てきます。)
ショウコが、作ったごはんをインジャに渡しに行っている間、コペルとユージンはヒトラー・ユーゲントの話の続きをした。
あの屋根裏部屋の蔵書の持ち主はユージンの大伯父なのだそうだが、彼も昔は少年団に所属していたらしく、箱の中から出席表が出てきたり、進級や班長になったときの認定証が出てきたり、とにかくいろいろ出てきたそうだ。大伯父もずっと所属していたらリーダーにもなるだろうし、教師になりたての頃まで関わっていたそうだが、だんだん少年団そのものの呼称が変わってくる。何かあったらしいというのが察せられてくる(日本も戦時中は少年団を軍隊まがいのものに変えていったということ)。その辺りの記事に違和感があって、ユージンは調べ出した。
きわめつけは、ヒトラー・ユーゲントが日本に来たときの記事。同盟国だったのもあって日本中あちこちで歓迎された。彼らのもてなし役だったのが、少年団だった。ヒトラー・ユーゲントが来日した三年後に、少年団は他のいくつかの似たような団体と一緒くたにされ、大日本青少年団なんてものになった。ここまでくると、これはもう、軍の下部組織と同じだとユージンは思った。
切り抜きなどがやたら出てくるので、ユージンの大伯父はヒトラー・ユーゲントに憧れを持っていたようだった。
ユージンもいろいろ考えて、もしかして軍隊風の訓練っていうのはそれほど悪いことでもないのかもしれないと思うようになった。自分の欲求より社会の利益を優先する、騎士道的、武士道的な考え方が。でも、やっぱり何か違うと思った。ユージンは考えに考えたけれど、今でもまだはっきりと言葉にできるほどわかっているわけではなかった。
コペルもボーイスカウトと軍隊について考えたことがなかったので、ちゃんと考えなきゃなと思った。
ショウコがごはんを届けに行って帰ってくると、ノボちゃんも帰ってきて、最初縁側で食べようかと話していたが、普通にちゃぶ台で食べることにした。
ノボちゃんは田舎のお母さんから送られてきた鰹のタタキを持ってきてくれたので、それもみんなで食べることになった。
ごはんを食べながら、昔ユージンとノボちゃんが二人でドライブした話になった。
場所は駒追山(こまおいやま)で、ノボちゃんが車の免許を取り立ての頃、染材を集めに行くついでにコペルを誘おうとしたら、コペルが熱で寝込んでて、代わりにプリントを届けにきたユージンと一緒に行ったそうだ。
行く途中でイワナが名物の定食屋があって、そこでお昼ごはんを食べたらしい。中には囲炉裏があって、かなり煙たいけれど、それはそれは絶品だった。
そして、目を離した隙にユージンが居なくなった。ノボちゃんは探しに探して、定食屋のおじさんにも協力してもらって、見つけたのは洞穴だった。地元の人には有名な洞穴だったから、定食屋のおじさんもそこに居るんじゃないかと言って探しに行ったのだけど、そこは昔、赤紙(戦時中の召集令状)が来た村の男が、召集を拒否して隠れて生活していた場所だったらしい。
戦争が終わってしばらくして、その男も出てきた。みんなに気づかれずに街へ出て行って、そして数十年後に帰ってきた。定食屋のおじさんの友人だったそうだ。あの頃、たった一人で、あんなところに篭って、一体何を考えていたんだ? と聞いたら、「僕は、そして僕たちは、どう生きるかについて」考えていたと言う。
そして、自動車道を作ることになったのはこの駒追山で、ユージンのお祖母さんも反対派だったのだけど、同じ反対派の定食屋のおじさんに協力してもらって、そこらに生えてる植物に詳しい人を呼んでもらうことになった。そのときに来たのが、戦時中洞穴に篭っていた男性だった。
お祖母さんはいつ何時なにがどうなるかわからないから、気づいたときには遅かったってことが本当にあるのだから、と話した。
男性も(米谷さんという)、それが国のやり方だと言った。国が本気でこうしたいと思ったら、あれよあれよという間にそうなっていく。直接戦争のことを言ったわけではなかったが、おそらく頭の中では戦争のことがあったと思われた。
植物というのがユージンのお祖母さんにとっては命のようなものでも、あの頃はまだ自然保護という観点はあまりなかったし、定食屋のおじさんも植物を守るというより駒追山の生態系全体を守りたいという感じだったのだけど、米谷さんはお祖母さんの気持ちを理解してくれて、まだ冬だったから春になったら採取しようということになったけれど、春になる前にお祖母さんが亡くなってしまって。
コペルは、そんなことがあったのかとショックで何も言えなかった。
人生は本当に、待ったなしで、そういうことがなんだかものすごくリアルに感じられた。
ユージンは、米谷さんと山を歩いたとき、思い切ってあの洞穴でどう生きるか考えてたって聞いた、と話しかけた。
すると米谷さんは、戦時中だったから、自分の生き方を考えるというのは戦争のことを考えるのと同じだった。でも人間は弱い生き物だから集団の中にいると、ついみんなと同じ行動を取ったり同じ考えになったりしてしまう。だから、自分はたった一人で、初めて純粋にこれからどう生きるのか、考えることにした。そしたら、次に、じゃあ僕たちは、って考えられるようになった。
一旦、休憩が入って、話題が変わり、どうしてコペルは土壌動物調査をしているのか、という話になった。
(長くなるので書きませんが、ものすごく簡単に言うとある日ふとしたときにお父さんに方法を教えられて環境についても興味が湧いて、環境汚染について自分も何かしなきゃいけないんじゃないかと使命感をもつようになり、続けているということです。)
そして、せっかくだからとユージンの家の庭でも土壌調査をすることになった。
みんなでやるかと思いきや、ショウコは用事があるからパスだと言った。母親の友人の息子(ノボちゃんと同じくらいの年齢のオーストラリア人)を母親の代わりに迎えに行かなければいけないらしい。バスに乗っていると間に合わないと思ったショウコは、ノボちゃんに車で送ってもらうことになった。
そして、日本の古い民家を見るのは面白いかもしれないからと、ユージンに許可を取り、連れてくることになった。
ショウコとノボちゃんがオーストラリア人のマークを迎えに行っている間、コペルとユージンは土壌調査をしながら、なぜユージンが群れから離れて一人で生きるようになったのか(つまりは学校に来なくなったのか)話すことになった。
それは、小学六年生のときの担任の先生、杉原先生が原因だった。
杉原先生は若くて元気があって、いつも創意工夫とやる気にあふれていた、青春学園ドラマの主人公になりそうな先生だった。熱血漢であるあまり、我が道を突っ走るきらいはあったけれど、意地の悪いところなんかはなかった。
ユージンは小さい頃、ニワトリのコッコちゃんを飼っていた。ユージンが卵から孵して大事に育てたニワトリだ。
ユージンの両親の離婚がいよいよ決まったとき、最初お母さんはユージンも連れて行くつもりだった。持っていくもの、置いていくものを考えているうちに、あのニワトリはどうしようかとなった。ニワトリはマンションでは買えないし、学校にでもあげてしまおう、そしたらユージンも毎日会えるし、それでもいいかと思った。それで、お母さんが校長先生に許可をもらって、ユージンがニワトリを学校に連れて行くことになった。
なんとか無事に学校に着いて、職員室に行ったら杉原先生がいて、コッコを連れてきましたと言ったら、先生は最初よくわからないような顔をしていたけれど、学校がそのニワトリをもらうことになったんだなと頷き、預かっておくから教室に行きなさいと言ったから、ユージンはそうした。学校がもらう、というのがすでに少しズレていたのだけど(飼ってもらう予定だった)、そのときはあまり気にしていなかった。
朝の職員会議が終わって、教室に入ってきた先生は、いきなり「今日の総合学習では、食べ物がどこから来るかということを勉強したいと思う。たとえばトリ肉は、最初からパックに入っているわけではなくて……」と言い出した。嫌な予感がした。先生は『命の授業』をするために、ユージンが育てたニワトリを潰して食べるというのだ。
先生は、自分の『斬新で本質をついた教育』に興奮して目がきらきらしていた。
みんなも、ええーって言いながら、退屈な授業が、なんだかとてつもなく刺激的なものに変わり、普段はタブーな『殺し』の場に居合わせられるっていう、非日常な事態に動揺し、『興奮して楽しんでいた』。それは、コペルも同じだった。
ユージンは教材のためにニワトリを差し出すべきだと期待されていた。
でも、言えなかった。僕は、教材にするためにニワトリを飼っていたんじゃない、と。
ユージンが黙っているので先生はいらだっていた。
そして、「さっき、優人のお母さんに電話したら、そういうことならニワトリも本望でしょうって言ってらしたぞ」と追い打ちをかけた。ユージンはその圧に負けて、とうとう頷いてしまった。自分の気持ちとは関係なく、体がそう動いた。まるで自分でないみたいだった。
コペルも、もちろん覚えていた。
ただ戸惑って見ていただけだったが、先生が解体作業をしている間もユージンが冷静に対処してるように見えたから、そんなものなのかな? と思った。コペルも知っているコッコちゃんが殺されるのを見るのは辛かったけれど、ユージンが我慢してるのだから自分も我慢しなければと言い聞かせていた。
でも、考えればわかるはずだ。
コッコちゃんをブラキ氏だと思えば。
コペルは自分が裏切り者だということに、ようやく気づいた。
ユージンがコッコちゃんを可愛がっていたことを一番よく知っていたのは自分だったのに、コペルはユージンに何も声をかけてあげられなかった。それどころか、他のクラスメイトと同調して見ていた。それが、どれだけ愚かで残酷なことか、今にして思い知ったのだ。
ユージンに言われた。
コペルは軍隊でも生きていける、と。
その通りだと思った。
それは、「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤魔化すほど、ずる賢いからだ。
しばらく、辺りはしんとしていた。
鳥さえ声を立てなかった。
やがてユージンが身じろぎをする音がして、隣に腰を下ろし、両手で膝を抱くのが見えた。
「だからおまえは、『愛すべきやつ』なのさ」
ユージンが言った。
ユージンは、ずっとこの出来事について考えていた。ユージンが杉原先生に感じた嫌悪感はどこから来たものなのか、それは先生の『安易さ』からなのだと、今は思っている。
最初に教育の現場で『屠殺』をやった教師は、本当の意味で『命の授業』をしていた。それはもう非難中傷覚悟でやった。子どもの自殺が流行っていた当時、なんとかして命の重みを感じてもらうことができないだろうかと考えた末のことだった。
それをメディアで見た他の教師が(杉原先生も同じだ)、二回目以降の『命の授業』をやっても、それは『自分のすべて』を賭けていない安易な方法でしかなかった。すでに確立している方法を、リスクなしでやっている、本当の意味で命の重みを考えずに右から左へと流用する、その安易さ。そのお手軽さの過程で、ユージンのニワトリは犠牲になった。
そういえば、その授業のことを当時コペルは両親に伝えていたのだった。母親は教師でもあるし、その授業の必要性を感じられなかった。命が命を奪うというのは、もっと動物的な、こいつを食いたい、という衝動の中で行われるべきことで、命は本来、その命を呑み込む力のある別の生命力によって奪われるものなのだ、と言った。それが礼儀というか、自然の作法のようなものなのではないか。田舎の庭で飼われているニワトリは、そういう運命のもとで飼われている。けれど、そういう強くて切実な欲望もない、へっぴり腰のコペルたちが、おっかなびっくりやるのは、命に対して失礼な気がする。やらなければいけない理由が『教育のため』というのも、弱すぎる気がする。なにより、ユージンの気持ちを思うと……なんともいたたまれない。そのようなことを言っていた。
あのとき、コペルたちがつぶしたのは、単なるニワトリ一羽だけじゃない。ユージンの「心」もいっしょに「つぶした」んだ……。
ユージンはしばらくしてこう言った。
「ニワトリはその日、唐揚げや炊き込みご飯やさまざまに調理された。けれど僕は手をつけられなかった。杉原はそれを見ていた。次の日、給食が終わった後、杉原は僕のそばに来て、さっき君が飲んだスープは、昨日のあのニワトリのガラから採ったものだよ。これで、あのニワトリは、君の一部になって永遠に一緒に生きていくんだよ、って、例の安易な自己陶酔の中で、すごい真理を教えるようにささやいた。でも、本人のそういう『熱血先生ぶり』とは裏腹に、自分で意識しているのかいないのか、悪趣味ないたずらが成功したかどうかを舌なめずりしながら僕の反応を見ている、そういうレベルの低い好奇心ではち切れそうなのが分かった。僕はすぐに吐いた。鼻の奥がジンジンした。吐きながら思った。なんでこんなことになったのか。僕は集団の圧力に負けたんだ。ばあちゃんじゃないけれど、『あれよあれよという間に事が決まっていく』その勢いに流されたんだ。(中略)僕も集団から、群れから離れて考える必要があった、米谷さんのように。しみじみそう思って、決行したのがそれからしばらく経ってからだったから、あれがまあ、学校に行かなくなった理由だなんて、誰も分からなかったと思う。誰もまた、分かりたくなかっただろうし」
ユージンは、この間ずっとコッコちゃんのことを「ニワトリ」と呼んでいた。
もう「コッコちゃん」とは呼べないのだろう。
ーーーーーーーーーー
その後、ショウコたちが帰ってきてオーストラリア人のマークを紹介されて、みんなで焚き火をしたり、話をしたりしました。
インジャについても、仲間になるかもしれないのですが、長くなりすぎたので割愛します。
ぜひ実際に読んでみてください。
この物語の大事なところ(ポイント)は……
終始一貫して『自分はどう生きるのか』考えさせられる話が続きます。それはキャラクターそれぞれに辛い過去があって、そのことがあったからいろいろ考えるようになって、コペル自身はそこまで辛い経験がなくても、みんなの話を聞くうちにどんどん考えることの深みを感じ、今まで考えないようにしていたことも、ちゃんと考えなくてはと思うようになります。
壮絶な体験をしている人を目の前にしたとき、あまりにも自分と違いすぎて絶句してしまうことってありますよね。自分がなんて幸せに見えるんだろうとか、なんて子どもなんだろうとか、いろいろ考えますが、考えるのをやめたとき、本当に思考停止で周りに流されていきます。よくわからないまま、その流れに乗って、自分とは何なのかわからなくなったり、本意ではないことをさせられたり、傷つけられたり、傷つけたり。自分とは何なのかなんてことも考えないかもしれませんね。
ただ、戦争のように、気づいたときには人を殺さないといけなくなったでは遅いんです。本当はやりたくないのに、強制的にやらなくてはいけない、クラスの同調圧力に合わせなくてはいけない。いじめだってそうですよね。自分が直接関わっていないと思っても、それは加害者と変わらない、と。
でも声を上げる勇気もないとき、どうすればいいのでしょうか?
考えるしかないと思います。考えて考えて、何が一番大事なのか考えて、自分の思いはどこにあるのか考えて、相手の気持ちも考えて、どうしてこうなったのか考えて、答えを出していく。
それは、何であんなことしちゃったんだろうと思い出して恥ずかしくなったり嫌気がさしたり、本当に見て見ぬふりをしたくなるものですが、その先に大事な事があると思います。深く深く考えたことのある人は、滅多に人を傷つけたりしません。何も考えてない人が人を傷つけるのです。
私が今年最初の本にこれを選んだのは、考えることをやめないことをこれからの人生の目標にしてもいいんじゃないかと思ったからでした。それをまずは今年一年、心に留めておく。
そして、みなさんにも考えることをやめないでほしいというメッセージを感じ取ったからでした。どんなに同調圧力や強い意見に負けそうになっても、あるいはもう負けてしまって傷ついていても、考えることはやめないでください。何年かかっても、何十年かかっても、出ない答えというのはあります。病気になりそうでしたら、休んだって構いません。それでも、考えないことには何もならないのだと思います。考えるということができるのが、人間だから。それは本来、素晴らしいことです。
長くなってしまいました。
いかがでしたでしょうか?
梨木香歩さんは『西の魔女が死んだ』などを書かれた人ですが、他の本を読んだことがなかったので、こんな本も書かれているんだな〜と思いました。
今回はユージンの壮絶な話にフォーカスしましたが、インジャやマークにも壮絶な過去があります。ぜひ読んでみて、自分だったらどうしてるかなと思いを巡らせてみてください。
また戦争の話も切っても切れない内容でした。1月の本紹介は戦争がテーマになりそうなのですが(次回はシベリア抑留の話です)、戦争について考えることもまた社会や政治のことを考えることに繋がるので、勉強をしつつ、自分なりの考えを持っていってほしいと思います。
この物語の元になった『君たちはどう生きるか』という本もまだ読んだことがないので(ジブリ映画は観ましたがよくわからなかった……笑)、探して読んでみたいと思います。
それでは、今年もよろしくお願いします。
また次の本でお会いしましょう~!